第8話 そば粉うどんの世界
土曜の朝、結局ビールは一本空けるにとどまった翌日はどうにも気乗りしなかった。
いつもなら昼頃までベットでゴロゴロ携帯でも弄り、昼からは適当に飯を食い、掃除をしながら見ていなかった映画なんかをながら見するのだが今日はそれも出来ず、普段よりも少しだけのんびりとした朝を迎え、珈琲を淹れながらトーストをこさえた。
ベランダから街を見下ろせばなんてことはない、ただの土曜だ。無駄に青空が清々しく、夏が近づいてきている割に案外寒い。
テレビをつければ平日とは打って変わってバラエティ番組が流れ、どこぞのランチを紹介している。
今年の夏はかき氷がアツいらしい。
7色のレインボーマウンテンが女子高生に大人気だそうだ。
「どーでもいいけどなぁ……」
そんなかんだでノロノロと身支度を済ませると約束の時間に間に合うように駅へと向かい、ホームに滑り込んできた電車に乗り込む。
やはり土曜の朝というだけあって人は少ない。余裕で空席が目立ち、言わずもがな、当たり前のように目の前の席に、
「おはようございますっ」
そいつが座っていた。
「……おはよう」
ニコニコと笑顔を振りまいてくるのを鬱陶しく感じつつ向かい側に腰掛ける。隣に座るつもりはさらさらなかった。なんでこんな奴に付き合わなきゃならんのかイマイチ腑に落ちない。忙しいと断ってしまえばいいものを律儀というかなんというか……、……超能力で洗脳されている線も疑わずにいられないレベルだ。
「(お兄さんがいい人だってだけの話ですよ)」
「(普通こういうおにーさんは悪い人って相場が決まってんだよ)」
ホイホイなんの見返りも求めずにいうことを聞いてあげる男ってのは下心以外に何も持っていない。男の俺が断言する。あいつらはヤリタイだけだ。
「(けど、お兄さんはそうじゃないって知ってますから)」
「(むしろそうじゃないならどういうことなのか説明して欲しいぐらいだけどな)」
いや、自分の心の中を読まれるのは勘弁してほしい。
なんとなく思い当たる節もなくはないが、それを浮かべてしまえば余計なことをこいつに悟られることになり、なんというかそれは癪に障る。プライバシーもへったくれもないがプライドはそれなりに持ち合わせているしな。
「(分かってるから必要以上には覗いてません。お兄さんが本気で隠そうと思えばそこらへんのことは私だって読めませんよ?)」
「(ホントかどうかわかんねーけどな)」
ガタンゴトンと電車はスカスカのまま線路を走り、そのまま混むこともなく終点まで辿り着く。普段は吐き出されるようにして降りるホームだが今朝はのんびりと自分のペースで降り、そのまま他社の路線へと乗り換えた。その間も篠崎との会話は殆ど無い。何を考えているのか知らないがこれといってかたりかけられることもなく、目的地へと辿り着いてしまった。
「……おい」
「……はい?」
当然のように改札をくぐり、並んで待ち合わせ場所で足を止める。待ち合わせの10分前だった。
「あーっ! もしかして先に着いて待ってくださってるつもりだったんですか?」
「チゲェよ」
そもそも同じ電車で来るなら待ち合わせの必要なかったじゃねーかって今更気がついたよ。
後、お前が私服なのも今更だ。
「可愛いですか?」
「麦わら帽子がガキっぽいな」
「嘘つきですっ」
けらけらと笑いながら薄い水色のワンピーツを揺らすオフの日女子高生。
ベージュのトートバックを肩にこのまま何処かの避暑地にでも出かけそうな服装だった。
「そういうお兄さんはなんていうか普通ですね」
「基本家ではスエットだからな。そもそも出かけることもすくねぇし」
「んー……まぁ、似合っているから良しとしましょう」
おっけーです! と指でマークを作り。わけェなぁと俺は早くも気落ちし始める。10歳しか歳は違わないのに早くもジェネレーションギャップを感じつつある。
いや、この場合はただのテンションの違いか……?
服装が違うだけで違った印象を受ける女子高生を前にそもそもこの後どうするのかも聞いていない。ロクでもないことに付き合わされるのは分かっているが、それを思うと心底アホらしくなる。マジでなんでこんな奴に付き合ってんだ俺は……。
「とりあえず移動するならしてくれ」
そしてさっさと用事を済ませよう。あわよくば昼過ぎには帰りましょう。
後悔が先に立ってくれないことを身を以て実感し、歩き出すが篠崎はついてこようとしなかった。
振り返ればモジモジと照れ臭そうにこちらを見つめ、はにかんでいる。
「なんだよ気持ち悪いな……」
純粋に、ただの女の子とのデート言うなら可愛らしいとでも思えるんだろうがこいつの場合は得体が知れなさすぎて不気味さが際立った。嫌な予感は感じていた、だが足取り軽く、篠崎は俺の隣に並ぶと手首を掴んで微笑んだ。
「とりあえず二人っきりになれる場所へ行きましょうかっ」
思わず浮かべた想像に、顔が引きつってしまった。
「お兄さんのえっち」
高校の頃、俺は文学部に席を置いていた。
部活というよりもただの溜まり場で、運動部に入るには根性が足りず、吹奏楽部などの芸術活動にも興味のない、ただの「帰宅部になるには勇気が足りない」奴らの掃き溜めだった。
「やー、今週のジャンプはオモシレーなー」なんて言いながら部費で買った雑誌を読み回し、たまにリレー小説なんかを書けば良いレベルで基本的に時間を浪費し、廃部の決定を延命させるだけの部活だ。
これといってやることもなし、暇なら課題を片付けてもいいし緑茶なら淹れ放題。持ち込んだインスタント珈琲は各自管理して中にはガチの文学少女もいたが結局鳴かず飛ばずの小説家志望だった。
だから、「二人きりになれる場所」でその本の山を広げられたとき思い浮かべたのはそのときの記憶だった。
駅から少し歩いたところにあるチェーン系列のカラオケ。学生の頃は俺もたまに利用したそこにあの頃とは違って休日料金で入室し、曲を入力する「進化したデンモク」にも目もくれず、俺たちはテーブルを挟んで向かい合う。
「これからお兄さんにはこれらの本を熟読してもらいます」
成人向け同人誌の山だった。
「違いますよ!! 半分以上は全年齢対象です!」
とはいうがその半分未満に含まれる成人向けのそれは明らかに「エロ」で、正直お前こんなものをそのトートバックに詰め込んできたのかと若干どころかドン引きだ。
できればそっとそのままお返ししたいところだったが、ここまで堂々と並べられてしまうと逃げ道を塞がれたようなものだ。
とりあえず一番手前の絵が比較的「可愛らしい」ものを取ってみる。
いわゆる何処にでも売っていそうな漫画で、普通で無い点と言えば「やけに薄い」ぐらいだろう。
最初から最後までめくって見てもページ数は30数ページ程しかない。
薄い本だとかなんとか言っていたのはこのことかとまたもや文芸部時代の記憶が思い返された。
「俺にオタクの知識を植え付けようってのか」
内容は頭に入ってこない。ただパラパラとめくり、よくもまぁこんなものを作ったもんだと何処ぞの誰かを賞賛するだけだ。仕事じゃなくて趣味なんだろ? よくわかんねぇ世界だなぁ……。
何かで見たことがあるようなアニメのキャラクターが描かれているものもあった。そこまで詳しくはないが女の子同士が恋愛するような話ではなかったハズだ。中にはよくわからない食レポ的なものまであって、一体これはなんの本なんだと頭をひねる。カロリーメイトをひたすら調理する漫画を誰が読みたいと思うんだ。
「誰が読みたいかではなく誰が描きたいかという話です!」
「はァ?」
本人は言いことを言ったつもりらしく自信満々だがこちらとしては一切響いてこない。
何言ってんだこいつ、といつものように思うばかりだ。
ふと手に持っていた一冊の途中で手が止まり、描かれている絵に絶句する。これは俺でも知っている。ジャンプで連載されている漫画のヒロインだ。確か超能力バトルものだったハズだがそのような面影は一切なく、満員電車でヒロインがもみくちゃにされ、男たちに弄ばれている。
お得意の超能力は都合の良い携帯アプリで妨害され逃げ出すこともできない。
「……おィ……」
「お目が高い! それぞ我がサークル・そば粉うどんの冬の新刊、まーんイン電車です!」
「ぁァ……」
もうなんと言えばいいんだろう、思わず目を伏せページを閉じてしまった。
うなだれ、何をいうべきか悩んだ挙げ句、
「あのなぁ……?」
親御さんの気持ちを代弁することになった。
「こんなもんを娘が描いてるって知ったら父親は泣くぞ……? どこでどう育て方ミスったんだって真剣に落ち込むと思うぞ……」
だって超能力だろ……? 女子高生だろ……?
100歩どころか1000歩譲ってエロい漫画描くのは許すとしても、それを自分と似たような境遇を選んでやるか普通……。「私は変態じゃありません!」とかなんとか言ってたけど普通に変態だろその思考は。
「お兄さんこと変態ですよ!! なんでえっちな漫画を描いている人がえっちなんだと思うんですか! 私はこの子が可愛いと思って描いた! この子がえっちなことされるシーンが描きたくて描いた! それだけです! 私がこうされたいとか、私もこんな体験したいだなんて妄想の押し付けはやめてください!」
「いやいやいや……どうなんだよそれ……」
確かに殺人ミステリー書いてる奴が人殺しになりたがったるわけじゃないだろうし、フィクションはフィクションなんだろうけど……。
「ンァー……???」
ダメだ、理解が追いつかん。
そういうものだと飲み込もうと思ってもどうしても拒否反応が出てしまう。意味がわからんのだ。
「それともお兄さんには私が、こーいうことして欲しがっているように見えますかっ?」
ばんっと広げられたのは見開き2ページ使って描かれている絶頂シーンだ。
目も覆いたくなるような恥ずかしい絵がデカデカと印刷され、直視するに耐えない。
「…………どうでもいいから落ち着いてくれ、なんかもうげっそりだ……」
「はいッ……!」
篠崎は鼻息荒く座り直すがそんな姿に頭が痛くなる。
一体何をどう説明すればいいのやら……。
そもそもどうして俺が頭を悩ませているのかも不明だ。ンなもん個人の自由だと切り捨てちまえばいい話じゃないのか……?
「そもそもどうして俺にこんなもの読ませたいんだ……? 漫画を描くための取材か?」
これを参考にエロい妄想をしろというのならお断りだ。盛大にンなものは断固拒否。
そうだというのなら三行半で帰らせて頂こう。
「今夜、そば粉うどんになって欲しいんです」
「……日本昔ばなしでヤマンバが豆に化けて食われたのを想像したんだが伝わってるか」
「違います。そういうことではなくて」
真剣に。いつになく真顔で取り出されたのはスマートフォンで、そこに表示されているのはツイッターでのやりとりだ。
どうやら「そば粉うどん」というのはこいつのハンドルネームらしい。先ほどの超能力女子高生をアイコンに日頃なんだかんだと呟かれている。
「フォロワー数すげーなー、何すりゃこうなんだ」
「日頃イラストをあげていればそれは自然と。……で、問題はこれです」
ぽちぽち、すすすーっとスクロールし、表示されたのはどうやらダイレクトメッセージのやりとりで、相手は女子高生のキャラクターをアイコンにした人物だ。
長々と綴られた文章とそれに対する返信を見せられるがままに読んでいき、「なるほど……」心底呆れて椅子に座り直した。
俺がもし喫煙者だったらここで一本吸って深く頭を抑えていたことだろう。
「……私の代わりにオフ会に参加してください、お願いします」
なんの迷いもなく、真っすぐを俺を見据えたエロ同人作家のそば粉うどん先生は、そう言った。
「やなこった」
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