第6話 それを想像するのはアウトです!
念のために予防線を張っておくと、所謂オタク文化というものに縁がなかったわけでもないし、嫌悪しているというわけでもない。
大人になっても漫画を読みたい奴は読めばいいし、アニメだって好きにしたらいい。歳をとれば酒にゴルフに、将棋と趣味を変えなきゃならないなんてことは一切なく、個々人が好きだと思えることに熱中するのは悪いことではないし、むしろ良いことだと思っている。
問題なのは、趣味自体ではなく、それを望んでいない相手に押し付ける身勝手な姿勢だ。
俺はそれ興味はない、ノーセンキューだと告げているのに関わらず「いやいや一回でいいから試してみなよ」ってのはあんまりだ。気分が良くなるからって怪しい薬を勧めてるのと変わりない。お前にとっちゃそれが楽しいのかもしれないけど俺にとっちゃ「興味がない」だ。
良いとか悪いとかじゃない。
興味がない、だ。
「(なるほど、お気に召しませんでしたか)」
「(ああ、力説どーもありがとよ)」
「(いえいえ、お兄さんほどではありませんよ?)」
やはりスッキリと疲れの抜けた不思議な金曜日の朝。
悪足掻きだとは思いつつもいつもとは違う車両に乗り込んだ俺をあの女子高生は待ち構えていて、開口一番、異常なほどのテンションで昨夜の深夜アニメについて語られた。
「(社会現象になりそうなレベルですよ? エヴァとかまどマギは知ってるんですよね?)」
「(知識としてはな、見てねーよ)」
「(うーん……? 不思議です)」
「(お前らの基準で世界を見るな。いくら人気があるからって外の世界じゃその程度の認識だ。ニュースで取り上げられでもしなきゃ親世代は知らねーよ)」
「(ニュースにはなりましたよ!)」
「(悪い方のニュースな。犯罪に影響を及ぼしたとかなって初めて周知されんだ。ンなのはゴメンだろ?)」
「(んぐぐ……)」
かつてはサブカルチャーなんて呼ばれた文化だ。
政府はクールジャパンだとか言ってアキバの萌文化を推し進めようとしてるらしいが、お役所仕事でうまく行くとは思えない。ああいうのはこいつらみてーな「周りの見えないオタク」が好き勝手やりたい放題にやった結果、バカみてーなエネルギーとなって形を成すのだ。そうして初めて社会は認識する、「ぁ、変な人たちが集まってきてる」と。
「(ちぇいさっ)」
ぼすん、と胸元に手刀を叩き込まれ痛くはないが視線で抗議しておく。身動き取れねーのに余計なことすんじゃねーよ。
言いたいことは伝わっているだろうがなんせ自由気ままなバカだ、行き場の失って指先でネクタイをくるくると弄り始め……何してんだこいつ。
本格的にうっとうしい。
「(とりあえずお前がそのなんとかってアニメの同人を描いてるのは分かったよ。それで俺にどうしろってんだ)」
「(ですから、ヒロインのみすずちゃんがえっちなことをされている光景を想像して欲しいんです! 私はそれを参考にコマ割りを考えます)」
「(みすずって女子高生なんだろ……良いのかよそれで)」
「(法律的には問題ないはずですよ? 実在する人物ではありませんし)」
「(いや、そうじゃなくてな……)」
うまく伝わらないようでんぅーっと頭をひねる。
おかげさまで昨日はよく眠れたし、今朝もスッキリ起きることができたのだが、こうなってくると結局余計な疲れが溜まっていく気がする。
「(ぁ、上手くいったんですね。疲労回復って試したことなかったんで不安だったんですけど)」
「(人を実験台にしたわけだな)」
「(結果オーライじゃないですかっ)」
ふと、太ももの感触が頭をよぎったが猛スピードで外に押しやった。読まれていないことを祈る。
「(で、……だ……)」
問題はそこじゃない。
架空の女子高生のキャラクターとはいえ、自分と同じ「女子高生」で成人男性が「エロい妄想をしている」ことに関して何も思わないのか、という話だ。などといっている間にも「エロじゃなくてえっちです!」と脳内に直接訂正を求めてくるが取り合わない。時間の無駄だ。
他人に俺たちが何をしているか悟られることなどないとは思うが、それはもとより自分自身の問題でもある。
ぶっちゃけてしまえば「恥ずかしい」のだ。
いくら要求されたことだと言え、「女子高生」に「女子高生の」「えっちな妄想を」(お、自然にえっちって言えたな)考えさせられて、しかもそれを「覗き見られる」というのは最悪だ。サイテーの気分だ。いわば「あなたの性癖見せてください」って言われているようなもんだった。それを元に漫画を描く? ふざけるなッ、ンなもん頒布されてたまっかよ!
「(深く考えすぎなのではー? 男の人がえっちなのは私たちもよく知ってますよ)」
知っていて当然だとは思うが平然と突き付けられたくはない真実だったかな……。
まぁ、街中に「制服喫茶」とか溢れてる時点で男がエロの亡者だという事は隠しようがないとは思うが……。
「(好きなんですか? お兄さんも。……あ、ちょっとーっ、無心貫かないでくださいよーっ!)」
だいぶコツがわかってきたぞ、思考停止の。
なるほどこうやってブッダは悟りに辿り着いたのかもしれない。なむあむだー。
「(第一、アニメと現実は別物ですし、アニメの女子高生が可愛いからって現実の女子高生に手を出したくなるわけじゃありませんよね?)」
くるくると相変わらず指先でネクタイを弄りながら女子高生は告げる。
「(お兄さんはそーいう人だって知ってるからお願いしてるんですよ?)」
……いやいやいや、なんとなく押し切られそうになってるけどそういう問題じゃねーから。
最初からリアル女子高生なんて制服着てるから価値があるようなだけで、脱いだらただのガキだし、制服喫茶も制服脱いだらただのキャバクラだ。脱ぎ捨てた制服に価値はないが(いや、感じる奴もいるのかもしれないけど)多くはそれを着ている女性に価値を見いだす。即ちそれが「女子高生」の本質だ。ってそれもちげーよ!!
完全にこいつのペースに乗せられている。
それを自覚しているのか相当楽しそうだ。良い笑顔してやがる。まるで悪魔だ。
「(単純に恥ずかしいって言ってんだよ。お前だって夜な夜な発散してるの見られたら恥ずかしいだろ)」
「(アニメ見てるところ見られても恥ずかしくもなんともありませんけど)」
「(アニメじゃねーよ、俺が言いてーのはお前が)ぁっグンンンン!!?」
「(!!!!!!)」
ガクンガクンと何を思ったのかネクタイを勢いよく引っ張り俺の息の根を止めに来る女子高生。
死ぬっ死ぬ死ぬ死ぬ!!! これはマジで死ぬ!!!!!
そのまま顔を真っ赤にして俯きながらネクタイを引っ張り続ける。
「(ギブっ……!! ギブギブ!! マジで死ぬっ……!)」
「はっ……」
想いが通じたのか突然我に返っらしく手を離し、俺の首元が解放される。
「ぷは……」
「すっ……すみませんっ……!!」
「いや……、まぁ……なんつーか……どうも……」
会社員、満員電車で窒息死。新聞の見出しとしては相当のインパクトだ。
実情は女子高生による他殺だが。
「(おっ……お兄さんがいけないんです! 私でそんな妄想するからっ……!)」
「(お前なぁ……)」
人に妄想しろだのえっちなこと考えろだの散々言っておきながらこの仕打ちはどうなんだ。場合によっちゃ訴えられるぞ、物的証拠がねぇなぁ……ダメだ。早々に諦めつつも肺の中に酸素を送り込む。
とはいえ、満員電車の中はどこも空気が薄い。
冷房もガンガン効かせてくれてはいるが全くもって死人の出るレベルだ。マジで窒息死する奴出て来るんじゃないのか? そしたら本当に「走る棺桶」だ。海外メディアでネタにされるぞ。いっつぁクレイジーってな。
「(今日はよく喋りますねぇ、なんか良いことありました?)」
「(強いて言えばおかげさまでハイになってる)」
「(疲労回復が効いてるってことですか!)」
そうじゃねーから。生命の危機に面して落ち着いていられるほど人間はできちゃいねぇ。
「はぁ……」
無駄に体力を使って仕事に影響が出たらどうしてくれるんだ。休日出勤になったらマジで笑えねーぞ……。
その件についてはこの女子高生に不備はなく、主に後輩の責任なのだが八つ当たりもしたくなる。
ぁーあ、できた大人になりてーなー。あわよくば「デキる大人」にも。
妄想に次ぐ妄想でバリバリのエリートサラリーマンを想像するが正直似合わない。不相応ってのはまさにこのことだなーっと実感する。満員電車に詰め込まれて出勤する生活が俺にはお似合いだ。
「(とにかく……そういうこったからやめてくれ。第一、朝っぱらからエロい妄想なんざしてくねーよ)」
ましてや満員電車の中で。
変に意識すれば目の前にはガキとは言えそれなりに出るところは出ている女体があるわけで、もしもの場合、歯止めが効かなくなるかもしれない。人間の性慾を甘く見ちゃダメだ。無論、人間だけに構わず大抵の生き物は子孫を残すために存続しているのだから「そういう気分」になった時の歯止めの効かなさは厄介以外の何物でもない。
実際に犯罪に走るかどうかはそいつ自身の自制心というか、我慢できないのならばそれは「欠陥」と言われても仕方がないとは思う。だが、自ら「エロいことを考える」なんてほぼ自殺行為に近すぎて危なっかしいったらありゃしない。
「(なるほど……男性の生欲を舐めていました……、性欲の猿とも言いますもんね)」
「(真面目な顔でやめてくれ……何だか虚しくなって来た……)」
ほんと朝っぱらから何してんだ俺は……。
頭を悩ますのは仕事のことだけにしたいというのにこいつに関わってからというものろくなことがない。
「えいっ」
「ぁ……?」
もうそろそろ終点に着く。
そう思って外に顔を向け戻すとほっぺたを指先でぐいっと押し上げられた。
これあれじゃねーか、肩トントンってして指でぐさーって学生の頃によくやった。
「何しがやる」
「おまじないです」
「はぁ……?」
女子高生だからとは言わないが、やることなすこと意味不明すぎるぞこいつは。
何やら満足したらしく指自体はさっさと元あった場所へと戻されるが、それはそれで相変わらずネクタイだ。下に下ろせないなら吊り輪でもつかんどきゃいいだろうに。……ああ、届かないのか。俺が掴んでるから。
「悪いな」
「へ?」
「気がつかなくて」
腕を一つ横にずらし、今更ながらに吊り輪を一つ開けてやる。俺は俺でつり輪の上のこの、何だ……? バーを掴めば済む話だし、流石に摑まるところがないってのは不安だったろう。
後ろは扉でもたれかかっているとは言え急停車でもすればバランスを崩してしまう。そうなれば摑まるところがないこいつはーー、
「……ぁー……」
多分、俺のネクタイを掴んでたんじゃないかなぁ……? と思う。だとすれば死んでいた可能性もある。よかった、今日は安全運転で……。そうだよな……? 今日1日乗り切れば明日は休みで今日、線路に飛び込もうってやつはいねーよな……?
通勤時間帯、満員電車時の人身事故ほど欝陶しいものはないだろう。ぎゅうぎゅうに押し込められたまま過ごす、永遠にも感じる時間ーー、滅多に遭遇するものでもないが、本当にきついときは「いっそ殺せ!!」と叫びたくなる。俺らも道連れにしてくれ。
いや、願わくは最初から一人で死んでくれ。俺らを巻き込むな。
「(やっぱりいい人ですね、お兄さんは)」
「あ?」
今の流れでどうすればそうなるのか分からないがそれを聞く前に駅のホームへとついてしまった。
ダラダラと話すのはこれまでだ、ここから先は仕事。己の戦場に向かわなきゃならん。
「(まぁ、お前のおかげで今日1日ぐらいは頑張れそーだよ、ありがとな)」
「ぇっ……?」
電車を降りる瞬間、一応礼ぐらいは言っておくべきかと「疲労回復」について感謝を述べておく。ほんと超能力って便利すぎて少しだけ羨ましくなっていた。悪用しないから少しだけ使わせてほしい、主に上司の肩をツンツンしてぐいってやるだけだから。
「じゃーな」
何だかその浮かんだ光景があまりにもシュールで笑みがこぼれ、それを噛み殺しつつ今日は女子高生よりも一足先に改札へと足を向けた。この分だとどうにか仕事も片付けられそうだ。根拠はないが何だかそんな気がする。
「(わっ……私の太ももは高いんですからねー!!)」
後ろの方から意味不明な宣言まで飛んで来るが振り返りはしない。グイグイっと緩んだネクタイを直すと肩をすくめて見せ、そのまま歩き続ける。
んな高いもん押し付けられたってんなら、あんまり待たせないようにしねーとなぁ……?
休日出勤だけでなく、サービス残業もどうにか回避しなきゃいけなくなったと呆れるしかない。
ただまぁ、そんなに悪い気はしていなくて、
「篠崎柚乃、なぁ……?」
なんだかんだと女子高生と知り合いレベルにはなってしまったことに苦笑した。
未だに俺、名乗ってねーんだけど。
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