15.鈴鹿御前と桔梗
「そうだ母上。渡したいものがあります」
やがてあることを思い出した文殊丸は、そう言って母親に対して声をかけた。彼は袖の中に手を入れると、そこからある物を取り出した。出されたのは白い紙に覆われた包みだ。
「これ、自分と光からの贈り物です。受け取ってください」
「これは?」
「櫛です。この前、気に入っているのが壊れそうだと言ったのを聞いたので買ってきました」
受け取りながら中身を訊ねてくる桔梗に、文殊丸は答える。それを聞きながら、彼女は包みを解いて、手触りで櫛を認識する。そして、茫洋とした輝きの瞳を文殊丸へ向ける。
「……これを、私に?」
「はい。そうです。気に入っていただけるか、分かりませんが……」
「とんでもないわ! ありがとう、文殊丸、光」
少し不安げな文殊丸に、桔梗はとても嬉しそうに笑う。突然の贈り物に驚いた様子であったが、それ以上に嬉しさがこみ上げた、そんな様子の笑みであった。
そんな母の美しい笑みに、文殊丸はほっと胸を撫で下ろした。
が、そんな文殊丸に横合いから光が口を挟む。
「兄上、嘘をついちゃだめよ。私たちからじゃなくて、兄上からの贈り物でしょ? 私は選んでないもの。あ、さては――」
言いつつ、光は何かに気づいた様子で意地の悪い笑みを浮かべる。
「もしかして、渡すにいたって恥ずかしくなっちゃった? もう、駄目じゃない兄上。こんなところで恥ずかしがってちゃ」
「……いいだろう、別に」
茶化されると、文殊丸は少なからず憮然とした様子で光を横目で
そんな兄妹のやりとりに、鈴鹿が笑った。
「ははは。随分といい子たちのようだな、桔梗。流石はお前の息子たちだな」
「えぇ。本当に自慢の、私たちの子です」
褒める鈴鹿に、桔梗は貰った櫛を胸に当てながら、感慨深そうにまた嬉しそうに言う。
その言葉に、鈴鹿は更に肩を揺らす。
「私たち、か。そこで満仲を引き合いに出されると、少し説得力が欠ける気がするのだが」
「そんなことありませんよ。満仲様は、普段はお茶目ですが、本当は心の優しい素敵な方です」
「……そうか。だが、突然
そう言って、鈴鹿は拳を握りながら口元に掲げる。それは、実際にここに満仲がいれば、彼の頬を殴っているだろうと想起させる構えであった。
勿論、それは比喩であって本心ではない。その証拠に、鈴鹿の目は笑いで細まっている。あくまでたとえであり、実際に満仲がいても殴ったりはしないだろう。
その辺りの言葉と雰囲気を、桔梗もよく心得ている。特に制止することも慌てるようすもなく、ただ声なくくすくすと笑うのみだった。
「鈴鹿殿は、母上だけなく父上ともお知り合いのようですが、一体どういう御関係なのですか?」
ふと、文殊丸が鈴鹿と桔梗のやりとりから疑問を覚えた様子で訊ねる。
関係性を尋ねられ、鈴鹿は彼に振り返りながら、顎を僅かに下げた。
「あぁ。ちょっとした戦友だよ。昔から時々、悪しき妖怪の討伐を手伝ってきた、な」
「そうなのですか?」
「うむ。興味があるか? 私にも、昔の奴にも」
「はい。とても」
「そうか。そうだな……では、昔のあやつの恥ずかしい話でも教えてやろうか」
「え! 何それ面白そう! 教えてください」
急須から飲み物を淹れ終え、運んできた光が、鈴鹿の言葉に食いつく。彼女ほどではないものの、光から湯呑みを受け取った文殊丸も、鈴鹿の言葉に内心興味を持っていた。父の失敗談・失態のような話など珍しいし、他人からはあまり聞かない。
子供たちの好奇心に、鈴鹿はニヤリと笑う。
「そうだな。では奴が昔、鬼を退治する際にした失態でも話すとするか。あれは――」
「鈴鹿殿。やめてください、満仲様の恥ずかしい話だなんて」
答えかける鈴鹿を、桔梗が制する。どこかたしなめるようなその響きに、鈴鹿は首を傾げた。
「そうか? だが、子供たちは興味津々のようだが?」
「駄目です。勝手にそういう話を子供たちに吹き込んでは。あの方は
「そうか。ならばやめておくか」
「はい。するなら、格好いい話をしてください」
「……過去の話を無暗にされるのは嫌いだったのではないのか?」
「それは別腹です。私の好みです!」
「あ、そう……」
桔梗の良く分からない主張に、鈴鹿は微苦笑する。すっかりと満仲に惚れ込んでいる様子の彼女に、内心呆れつつも、どこか微笑ましく感じていた。
そんな彼女だったが、ふと視線を文殊丸へ向ける。そして、話を聞けずに少し残念そうな彼へ、声を掛けた。
「お前さん、確か文殊丸といったな?」
「はい、そうです」
「そうか。ひとつ聞きたいのだが、そのような目を持っているとはいえ、そのように前髪で隠して、前は見えておるのか?」
鈴鹿がそう訊ねると、その言葉に文殊丸はややあってから少し驚いた。何気ない問いかけであるが、その問いはまるで髪に隠れている文殊丸の瞳が見えているかのような問いであったからである。
一体どうしてそのことを知っているのか、もしかして母から自分の目のことを聞いたのかと、文殊丸は疑問を覚えた。
そんな彼に気づいたように、鈴鹿は口を開く。
「あ、これは少し驚かせたかな。別に驚かなくていい。私は、そういうのが視える者だし、それを疎んじるような者でもないからな」
「そう、なのですか?」
「あぁ。何せ私は、人間ではないのだからな」
さらり、と口にされた言葉に沈黙が下りる。文殊丸と光が半ばぽかんとする一方で、鈴鹿は笑みを浮かべ、桔梗は両者にそっと視線を送っていた。
思いがけない突然の告白に、文殊丸たちは面食らった――かと思われたが、少し間を置いてから文殊丸は顎を引く。
「あぁ、なるほど。どおりで、少し変わっていると思いました」
「驚かぬのだな。だがふむ、変わっているというのは?」
「身体の気の流れが、普通の方とは違いましたから。どうやら人間ではないというのは分かっていました」
鈴鹿の問いに文殊丸が答えると、それを聞いて今度は鈴鹿が軽く驚いた様子で瞼を持ち上げる。だが、すぐに納得した様子で顎を引く。
「そうか。そういえば、そういう目を持っているのだったな。今更びっくりするようなことでもないか」
「へぇ。鈴鹿殿って人じゃないんだ。妖怪の一種なの?」
あまりに自然と会話する文殊丸と鈴鹿であったが、そこに光が入ってくる。彼女は、文殊丸と違って初めはきょとんとしていたが、文殊丸たちのやりとりを聞いて驚きが薄れていったのか、今では平然と事実を受け止めていた。
そんな順応性の高い彼女に、鈴鹿は苦笑を浮かべる。
「妖怪、ともいえるな。別に悪しき妖魔の類ではないが、少なくとも人ではない。それにしても……お前さん方は全く驚かぬのだな。普通、人じゃない者には子供は怯えるものだぞ?」
そう言って、鈴鹿は肩を揺らしながら問う。
通常なら、子供は妖怪の類に怯えるもの――そう言いつつも、彼女はどこか楽しそうだった。
「そうですか? 妖怪って、そんなに怖いものじゃないって、父上たちからよく言われてきたのですけど」
「自分は、よく霊の類を視ますから。光以上に、それとはよく付き合いますから」
光と文殊丸は、それぞれそう言って答える。特に自慢する訳でも謙遜する訳でもなくあっさり言い切る二人に、鈴鹿は満面の笑みで顎を引く。
「ふむ、そうか。どうやらこの辺りでも、桔梗の教育が行き届いているようだな」
「もう鈴鹿殿。わざと言っているのですか?」
感心した様子の鈴鹿に、何故か桔梗は少し不満そうに言う。
「満仲様、の教育の賜物です。私はさほどこの子たちに何かしてあげたわけじゃありませんよ」
「そうか。だが、何故なんでそんなに憤っておるのだ?」
「鈴鹿殿がわざと満仲様を無視なさるからです。あの方は素晴らしい人なのですよ? この前だって――」
「あ、その話はいい。長くなりそうだ」
桔梗が熱を込めて語り始めようとするのを、鈴鹿は止める。放っておけば、きっと弁明という名の惚け話が始まると察したのである。
彼女のその勘の良さと止められる母親の光景に、文殊丸たちは思わず笑みを浮かべて笑いあうのだった。
*
暗い小屋の中には、蝋燭の火が一本だけ灯っている。
時刻は、すっかり日が落ちた夜分へと移行していた。辺りは一面暗闇に染まり、晩秋の寒気が小屋の中へ隙間風となって流れていた。
「京の様子を窺がった感想はいかがでしたかな?」
小屋の中に響いたのは、軽々しくもどもった声であった。声の音源に目を向けると、そこには肥満体の影が映し出された。大きく、しかしどこか不気味な雰囲気を漂わせている影で、何か本能的な、生理的嫌悪を感じさせる存在だった。
「なかなか平穏そうだった。個人的には、もう少し見て回りたいと思うほどだ」
返ってきたのは、青年の声だった。暗闇の中で輝く二つの目は、薄ら笑みで細まっている。
そんな答えに、くっくっくと笑い声が響く。
「それは残念。憎しみが増し、より企みへの意欲が湧くのを期待しておったのですがな」
「……元々、京の都自体が憎いわけではない。俺が憎んでいるのは、その中に君臨し、自分たちこそが絶対的な支配者だと思い込んでいる浅薄な輩どもだ。庶民もろとも、憎悪を抱えているわけではない」
「それはそれは。お優しいことで」
青年の答えに、どもった笑い声が返ってくる。それは、愉しんでいるようにも嘲笑っているようでもあった。
そんな、少し相手を苛立たせるような声質と言葉に、しかし青年は平然としていた。
「お前からは何か報告はあるか? ただここで、のうのうと我らの帰りを待っていたわけではなかろう」
「そうですな。一人、面白い子を見つけました」
「ほう。どんな?」
声は、二人の男声の横合いから割って入る女声であった。二人を横合いから望む瞳は、じっと肥満体の方へ向けられていた。
「鬼の子です。とてもおとなしそうですが、心の裡では現状を憂えている。あれは、純粋そうな分、上手くいけば強力な手駒と出来るかもしれません」
「子供、か。こちらも、面白い子供に出会った」
「どのような?」
「聡明で洞察力の鋭い子だ。もしかしたら、こちらの正体に大方気づいた上で平然と振舞っていたかもしれない。ある意味、豪胆な子でもある。あれは、欲しい」
口角を、青年は緩やかに持ち上げる。
「なるほど。我が君が欲しがる人間とあらば、是非手に入れたいものですな」
「そうだな。何か、手立てはないか?」
「この
自信を覗かせながらいう相手に、青年は声なく笑う。
何かを企む彼らの言葉と意思は、京の一角から、やがて京全体へと広がるのではないかと、確信めいた不安を感じさせるに充分なものであった。
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