12.文殊丸の憧れ・後

 文殊丸が知りたいと聞いた人物である平将門というのは、先ほどから何度も名前だけは出て来た人物だ。

 少し解説すると、彼は坂東地方で勢力を張った豪族の武者で、理由は諸説あるが、同族の平氏の中で領地を争って坂東で戦いを繰り返し、やがてそれに勝利した後、紆余曲折うよきょくせつを経て坂東に会った国府こくふを襲撃してそれら機関を掌握し、自らを「新皇しんのう」と名乗って朝廷に反抗の意思を示し、東国に国家樹立を目論んだ人物だ。かなり強く勇猛であった彼は、多くの豪族から支持を得て、一時は遥か西にあった京の都を混乱させるほどの威名を馳せたが、やがて同じ武者の豪族である平貞盛たいらのさだもり藤原秀郷ふじわらのひでさとらに討たれ、反乱に失敗して鎮圧ちんあつされたとの結果になった。

 そんな人物の仔細を、文殊丸は聞きたいという。

 良門と皐月は目を合わせ、それから再び文殊丸に目を戻した。


「気になる、のかい?」

「あぁ」

「どうして?」

「あの人は、京では悪者わるもの扱いなんだ。京を大混乱させら大悪人として、人々から怖れられている。だけど……」

「だけど?」

「現地では違う、という風に昔父上から聞いたことがあるんだ。京での悪人が、現地では悪人という訳とは限らない。だから、真実は自分の目と耳で確かめるようにしろと。そう教えられた」


 文殊丸がそう言うと、良門たちは再び顔を見合わせた。父親の受け売りらしいが、何とも十何な考え方・物の捉え方である。そのことに、良門は感嘆した。


「君の父上は、凄い人だな。そんな客観的に、京の人間でありながら京の人間を分析しているなんて」

「……まぁ、実際に父上は凄い人よ。私たちの自慢なの」


 そう言って、光はまたも胸を張る。自慢げな彼女に、今度は文殊丸たちも突っ込んだりしない。

 彼女を尻目に、良門は顎に指を馳せる。


「そうだな……。俺たちも、生粋の現地の人間というわけではないけど、すくなくとも極悪人でもないし、英雄だと思われているわけでもないよ」

「と、いうと?」

「半々、なんだ。彼のことは坂東の武者を救おうとした武者だと言う人もいるし、私欲で朝廷に刃向おうとした大罪人だと言う人もいる。どちらかに偏った意見を言う人も多くて、でもすべてがすべて一方に偏っているわけでもない。評価も出来るし批評も出来る……扱いとしては、そんなところかな」

「……それは、少し残念だな」

「残念?」


 怪訝な様子で良門が訊くと、文殊丸は頷く。


「もっと現地では英雄視されているかと思った。とても強くて、大望に生きた人間だという風に」

「……君は、将門が怖くないのかい? 京では、大悪人と言われているんだろう?」

「うん。むしろ格好いいと思っている」

「格好、いい?」

「うん。だって、理由や真相はどうあれ、坂東のための国を興そうとした人物じゃないか。なんだか、唐土もろこしの古代の英雄みたいだなって思って。そういう姿勢は、嫌いじゃない。無論、やり方は間違っていたのかもしれないけど、一国の主になろうという大望は、ある意味武人の本懐ほんかいだと思うから」


 そう、文殊丸は少しばかり嬉々とした様子で語る。おそらく、髪の下の瞳は輝いているだろう明るい声に、良門姉弟は驚きで言葉を失っていた。まさか京の都で、こんなにも将門に対して肯定的な考え、強い憧憬どうけいを滲ませる人物がいるとは思っていなかったからだ。

 ただ、その考えは少なからず危険でもあった。現に、光が口を挟む。


「ちょっと兄上。そんなこと、他人にあまり言ったら駄目よ。兄上の意見は、私たちには分かるけど、知らない人が聞いたら、きっと勘違いするから」

「あぁ、そうだな。分かっている。思わず、口が滑った」


 珍しく妹にたしなめられると、文殊丸は少し反省した様子で肩を落とす。実際に、若干興奮していたのだろう。彼は、荒げかけていた呼吸を慌てて整えようとしていた。

 そんな彼に、我に返った良門は、思わず苦笑を浮かべる。


「まさか、君たちみたいな人間がいるとは思っていなかった。素直に、驚いた」

「驚いた?」

「うん。かくいう俺たちも、将門のことは好きだからね」


 頬を掻きながら、良門はそう言った。


「さっきはあぁいったけど、俺たち自体は、彼のことを誇りに思っているんだ。おおっぴらには言えないけど、君の言っていた通り、一種の英雄だと思っている。ある国にとっては、ある地方の人間にとっては大悪人でも、現地では英雄だってことは往々にしてあるというのも、同意見だ」

「そうか。それを聞けただけで、なんだか嬉しいよ」


 良門の本心ともいえる意見に、文殊丸は嬉しそうににっこりと笑った。

 そしてそれから、不意に空の方を見上げる。そして、ややあってから視線を良門たちに戻した。


「よければ、また話しを聞かせてもらえないかな。すごく、もっと話がしたい」

「また?」

「うん。実は、そろそろ、いかないといけない場所があるんだ。時刻的には、そろそろここから向かわないと……」


 そう言われ、良門たちも空を見上げる。時計らしき時計はないこの時代、時刻を知るのは空の太陽の角度からだ。それを見て時刻を悟り、そろそろ昼も過ぎると悟った良門は、納得した様子で顎を引く。


「そうかい。俺たちも、もっと話がしたかったけれど、残念だ。君たちとの話は、なんだか楽しいからね」

「うん、俺たちも。また会ったら、その時はまたじっくりと話そう」

「そうだね。それがいい」


 文殊丸の提案に、良門は頷く。齢の頃合いとしては、十も年下だろう文殊丸たちだが、話す内容は大人顔負けであり、なかなかに愉快で面白い。そんな彼と、良門は純粋にもっと話がしたかった。

 そう思う中、文殊丸たちは半身を引いて、良門と皐月に別れを告げる。


「じゃあ、俺たちは行くよ。またな」

「またね。今日は話をしてくれてありがとう」

「あぁ、楽しかったよ」

「帰り道、気を付けてね」


 互いに挨拶を交えると、文殊丸と光は、良門・皐月姉弟から離れていく。早足でもゆったりでもない速度で離れていく彼らを、良門たちは見送った。

 そして、やがて彼らの姿が見えなくなったところで、良門は踵を返し、そして苦笑を浮かべた。


「いやはや、京は面白いな」


 思わず、と言った様子で漏れた一言に、皐月が振り向く。


「まさか着いていきなり、あんな子に会うとは。実に楽しいし面白い。来てみてよかったよ」

「そうね……。でも、面白がるのはいいけど、情を移しては駄目よ」


 楽しげな良門だったが、皐月はそれに釘を刺すように言う。その顔つきは、先ほどまでとは打って変わっていた。

 文殊丸たちと対峙している時は、明るくもおおらかそうな感じを漂わせていた皐月であるが、今はただただ冷たく、鋭い眼光を放っている。まるで、氷雪の山から下りてきた人ならざる雪女のような目だ。

 そんな彼女に良門が振り向くと、皐月は言う。


「私たちの本懐は、決して人には知られていけないものよ。その目的、正体も。あぁいういい子にもね。だから、肩入れしすぎないように気をつけねばならないわ」

「うん。分かっているさ、姉上。ただ――」


 充分に姉の警告を理解した上で頷きながら、良門は背後を窺がう。そこに、もうあの兄妹がいないことを確認してから、彼は言う。


「その心配は、杞憂だと思うよ」

「? どういうこと」

「あの子、きっと分かっていて喋っていた。勿論全てとは言わないけどね」

「………………」


 良門の何気ないその一言に、皐月は少なからず唖然とする。口を半開きにして固まった彼女は、ややあって、前へ進む良門に追いつく。

 一方で、良門の方は楽しそうに肩を揺らす。


「面白いな。実に、面白い」


 そう言って良門は、今は立ち去って行った少年の姿と顔立ちを思い出しながら、言う。

 次に口を出た言葉は、人によっては戦慄を覚えるようなものだった。


源経基みなもとのつねもとの孫、そして源満仲の子というのは」

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