9.旅の姉弟

 二人の人物のうち、片方は青年、もう片方は女性と表記できよう。

 青年の側は、色の薄れた黄緑の直垂に濃色の括り袴姿で、日焼けした精悍な顔つきをしている。二十代半ばあたりの整った端正な鼻梁びりょうと眉筋から、鋭い、鷹のようなと形容できる目であるが、それでいてどこか穏やかそうであるという、相反する雰囲気を持っていた。

 もう片方の女性は、これまた色薄れている、萌葱もえぎ色の単衣を纏っている。青年ほどよりほんのりとだけ日に焼けたその女性は、青年と同世代、或いは少しだけ年上といった年頃だろうか。やや年増としまのその女性は、男性と似た端正な顔立ちをしていて、その頭に日除ひよけの市女笠を被っていた。

 余談となるが、この時代の年齢に関する観念は現代より厳しい。どう厳しいかというと、全体的に現代よりも年齢の割に老いへの扱いが早いのだ。今でこそ十代後半はまだ子供、二十代は大人、三十代もばりばりの大人と思われているが、古い時代では十代後半はもう立派な大人であり、二十代後半にもなれば年増呼ばわりとなる。

 そのため、女性も便宜上べんぎじょうで「年増」と表記したが、現代でいえば、まだまだ若い大人の女性であった。

 さて――そんな二人組であるが、文殊丸の目に止まったのは、その二人の様子と雰囲気である。彼らは今、何やら困った、難渋している様子で、周りを見回しながらどうやって状況を打開しようか考えている様子であった。女性の方が膝をついており、立ち膝の態勢で下唇を噛む一方、青年側が少し苦笑気味で周りを見回している。

 その顔に、文殊丸は見覚えがない。市中をよく訪れている人間については、記憶力のいい文殊丸は、大抵の人間の顔を覚えている。顔というより、雰囲気を覚えているというべきか。見る顔とその雰囲気から、この人物はよく市で見る人間だと把握しているのだ。その感覚からいうと、目の前の二人は、見も知らぬ大人たちであった。

 そんな二人を見て、文殊丸は何気なく近づいていく。特に何か、理由があるわけではない。なんとなく、その人物たちが困っている様であったからである。


「どうしました? 何かお困りのようですが?」


 文殊丸が少し遠慮気味に声を掛けると、気がついた相手は少しばかり驚いた様子だった。それも当然かもしれない。困っていたのは事実かもしれないが、それを突如眼前の「少年」に見止められ、声を掛けられたこと、また何より少年の風貌が特殊であったことなどが理由としてあげられる。

 特に後者に関しては、大きい。この時代においても、両目をすっぽり隠すほどに前髪を伸ばした少年というのは稀有けうである。

 眼前の少年・文殊丸に対し、青年たちは少し戸惑った様子を見せてから、しかし邪険に追い返すというようなことはせず、ややあってから顎を引いた。


「あ、はい。少しね。姉上の草鞋わらじが壊れてしまって」


 青年は、そう答える。とても聞き覚えの良い、透き通った良い声だ。

 それを聞くと同時に、文殊丸は青年と女性の関係性を聞き逃さずに理解する。どうやら二人は姉弟のようだ。そう言われれば、どことなく顔つきも似ており、納得がいく。

 とかく彼に言われ、文殊丸は後を追ってやってきた光と共に視線を落とす。確認すると、確かに女性の草鞋の片足の紐が切れてしまっていた。おそらく使い込み過ぎてのものだろうと思われ、少し襤褸になっているようだ。


「本当ですね。あぁ、これはすぐには直せないかも……」

「でしょう。それで、近くに草鞋を売っている店はないか、と」

「困っているなら、自分の替えの草鞋を差し上げましょうか」


 苦っぽい顔で辺りを見回す青年に、文殊丸がそう提案しながら、懐から一足分の草鞋を取り出した。それは、普段から自分の履いているものが壊れた時用ときように、念のため持ち歩いているものだった。

 いきなり取り出されたことと、そして文殊丸の厚意に対して、二人は驚いたようだ。軽く目を見開きながら、二人は視線を合わせる。


「あ、いえ……。その、気持ちはありがたいですが、しかし……」

「気にしないでください。今日は、晦日は草鞋屋は市には来ていないんです。なので、使ってください。少し小さいかもしれませんが」


 そう言って、文殊丸は自分でも少し強引かもしれないと自覚しつつも、草鞋を二人に差し出す。

 それを見て、青年と女性の姉弟は、迷う様に視線を合わせた。そこには、こんなにも幼い少年からの厚意を頂いてよいものか、断った方がよいのではないか、という戸惑いがおおいにあった。

 が、やがて青年が顎を引き、多分に申し訳なさそうにしながら、少年に対して頭を下げる。


「すみません。いきなり、見も知らぬ我らに、こんな親切を」

「気にしないでください。京の外から来た人に、京の人間全体が冷たいように思われたら寂しいですから」


 笑顔で文殊丸が言うと、その言葉と気遣いに、二人は口々に感謝の言葉を告げる。

 だが、はたと言葉を返しながら疑問を覚えたようだ。文殊丸の言葉の奇妙な点に、二人は敏く反応する。


「はて? どうして我らが京の外から来た人間だと分かったのですか?」


 不思議に思って、女性の側が文殊丸に対して訊ねる。確かに、この男女は京の人間ではないのだが、その事を見抜かれたことに、少なからず驚きがあったようだ。

 そう訊かれつつ、視線が文殊丸に集まる。その視線には、目の前の姉弟の他に光の視線も含まれる。彼女も、文殊丸と違ってそこまで気づきはしなかった。

 視線が集まる中で、文殊丸はかえってその事が意外そうに眉を持ち上げる。


「え? 違うんですか?」

「いや。違いませんが」

「だって、少し考えれば分かりますよ? まずお二人の恰好は、旅装束に近い格好ですし、ここでは見ない顔でしたし。それに、話してみて分かったことですが、京の人間ならば、草鞋屋の位置やいつ店が開いているかぐらいは知っているはずですから」


 理路整然りろせいぜんと、文殊丸はそう答えていく。

 直感的に、それと記憶から、二人が京の人間ではないということを感じ取った、とは言わない。

 それもあるのだが、ここはあくまで論理的に、二人の姿格好や言動から推理したとして、光を含めた三人に説明する。

 彼の推測に、幸い二人は疑問や怪訝を抱かずに、すぐに納得した様子だった。顔を見合わせた後、苦笑に近いものを浮かべる。


「なるほど。そう言われればそうですね。盲点でした」

「京の人々は皆、教養が深いと聞いていましたが。洞察力もすごいのですね」


 感心した様子で、男女は言う。彼らは、どうやら京の人間ともなると、ここまでみんな慧眼であると感じ取ったようだ。

 それが間違いであると訂正をしたのは、文殊丸ではなく光だ。


「そんなことないです。観察力があるのは、兄上が特別なんです。他の人ではここまで気づけませんよ」

「いや。そんなことない……というか、なんでお前が自慢げなんだ?」


 妹の訂正に、謙遜気味に訂正を重ねようとした文殊丸だったが、その前に彼女が少し誇らしげに胸を張っているのに気付き、呆れた様子で訊く。

 そんな二人のやりとりが微笑ましかったのか、男女は思わず微笑を浮かべる。

 そしてそれから、女性側が草鞋を履けるかどうか試み始めた。厚意で受け取ったが、果たして少年のそれの大きさが合うかは不明だ。

 文殊丸たちと青年が視線を注ぐ中、女性は草鞋を履き終える。


「……あぁ、ちょうどぴったりです。ありがとうございますね」

「いえ。お役に立てたようでよかったです」


 どうやら履くことが出来たらしいことを悟り、文殊丸も安堵したように微笑む。

 それを見て、青年側も頭を再び下げる。


「俺からも礼を言います。これも何かの縁です。よければ、お名前をお聞きしてもよいですか?」


 感謝の言葉を返しつつ、当然の流れとも言うべきか、旅の姉弟から文殊丸たちは名を訊ねられる。それに対し、文殊丸と光は少しだけ躊躇った。手助けをしたのは善意からだが、果たして見も知らぬ相手に感謝されたからといって名乗ってもよいべきか、まだ幼い彼らには判断が難しかった。

 そのことに、相手が気づいたのか否か……。青年は、自分たちが少し失礼なことをしていたのに気付いた様子で、苦笑を浮かべた。


「すみません、少し無礼でしたね。名乗るなら、まずはこちらから名乗らないと……。俺は、良門よしかどといいます。姓は平姓たいらせいを名乗っております」

「私は皐月さつき。彼の姉です。この度はどうも親切になりました」


 相手、名乗りが正しければ平良門と皐月というらしい二人の姉弟が、丁重に自らの名を明かしたのを聞き、文殊丸と光は目を合わせる。そして、静かに顎を引き合う。ここまで言われた以上、今度はこちらが名乗らなければ無礼にあたるだろう。


「御丁寧にどうも。俺は、文殊丸と言います。それでこちらは、妹の光といいます」

「はじめまして。これも何かの縁でしょう」


 頭を下げて、二人は挨拶を口にする。

 礼儀正しい二人の名乗りに、良門・皐月姉弟は微笑んだ。



 何気なく交わされた名乗り合いだった。

 しかしこれが、後に因縁として語り継がれる彼らの邂逅かいこうとなろうとは、四人は露として知らないままであった。

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