8.買い物と市中の目

 秋の日差しは、京の路上に反射する。

 穏やかで温かい陽の光は、盆地にある京全体を照らし、優しく包み込んでいた。穏やかで過ごしやすい気候は、自然と人々を活発にさせやすいのか、京の往来は自然と賑やかになっている。

 その中でもとりわけ活気ある場所、京の東市に、文殊丸と光の姿はあった。二人ははぐれないようにするためか、手を繋ぎ、寄り添うように歩いている。寄り添うといっても、もたれかかっているのは一方的に光だ。彼女はまるで恋人の逢瀬おうせのように兄へと身を寄せ、また機嫌よく鼻歌を歌っていた。

 その恰好は、自然と人目を引くが、彼女は気にした様子はない。


「ふっふふーん♪ 兄上と買い物~。兄上と買い物~」

「今日は機嫌いいな、お前」


 妹の甘えっぷりに、文殊丸は慣れたものといった様子でありつつも、思わず苦笑する。往来の目は、特に気にした様子なく、彼は堂々としている。

 そんな兄の声に、光は答える。


「だって、兄上と出掛けるの久しぶりなんだもーん。小六を生贄いけにえにした甲斐はあったわね~」

「生贄って……」


 さらりと凄い事、或いはひどいことを言う光に、文殊丸はなんとも言えない表情で呟く。その扱い、生贄扱いされた小六に思いを馳せ、文殊丸は思わず苦笑を深めざるを得ない。

 憐れ小六……そんなことを思いながら、文殊丸はすぐ横にある光の顔から視線を前に戻した。

 仲の良い兄妹の行進は、既述したが人目を引く。その多くが、まだ幼い少年少女の甘い歩きっぷりに、多少なり引いた様子を見せる中、しかし当人たちは一切気に様子はなかった。


「あ、兄上。あれ見ていい? なんか面白そう」


 歩いていた最中、光が側の露店に目を向けた。文殊丸が目を向けると、どうやらそれは男物の装飾品を並べた商店のようだった。

 それを見て、文殊丸は思わず言う。


「お前な……。光はそういうものより……」


 その商店のすぐ横にあった別の商店に、女物の化粧品などを取り扱っている出店があり、文殊丸はそれを咄嗟に勧めかけるが、すんでのところでやめる。そんなことを言えば、今は甘々である真横の少女が、一瞬で不機嫌になりかねない。間違いなく、脛は蹴られるだろう。

 文殊丸が口を開きかけたことで、光は「ん?」と振り向く。文殊丸は、かぶりを振った。


「何でもない。気にするな」

「ふーん。変な兄上~」


 ごまかす文殊丸に、光は頓着することはなかった。彼女は笑うと兄から手を離し、店に並ぶ品物を見回り始める。軽やかな足取りで向かい出す彼女に、文殊丸はその背を見送った。彼が視線を送る先で、光は商人に様々なことを聞きながら、品物を見定め始める。目を輝かせて品物を選ぶその姿は、年頃の少女らしい好奇心に満ちていた。

 もっともこの時代の貴族の子女の一般像からすれば、光は特殊な部類に入る。普通の貴族の子女は、家はおろか部屋もほとんど出ることなく、和歌を詠んだり、香を焚いたりするものだ。光のように外へ出て遊ぶのは、そういう一部の層からは「はしたない」とさえ思われることだった。

 もっとも、そのようなことを光が気にするはずもない。彼女の性分上しょうぶんじょう、外出して遊ぶのは恥ずかしい事でなく、何よりも楽しいことであった。誰が何と言おうと、彼女はこの遊びを止める気はさらさらない。


「………………」


 そんな楽しげな光の様子を微笑ましく思いながら、ふと文殊丸は周りに振り向く。彼が振り向いた先々では、こちらから目を逸らす庶民の目があった。彼らは一応に、気まずそうに顔を背けている。そこには、忌避感や嫌悪感が、僅かながらこもっていた。

 それを見て。文殊丸は嘆息する。一体、いつからだっただろうか。自分の存在が、庶民たちの間にも広く知られるようになったのは。

 文殊丸が鬼子と呼ばれる子供であることは、かつては一部の貴族を除いて知り得ぬことであった。しかし、きっかけはいつだったが、なんだったのかは知らないが、いつの間にやら文殊丸が鬼子であることは、市の人間を中心に知れ渡っていた。

 ただでさえ、髪で目を隠している少年というのは目立つものだ。とはいえ、彼自身が自ら漏らしたわけではないから、他の人づてに知られていったのだろう。どこかの貴族に使える下男げなん下女げじょが漏らした、というのがもっとも可能性としては高い。

 ともかく、文殊丸は庶民の間からも、怖がられ、また恐れられている。彼が何かしたわけでもないのに、思えば少し滑稽こっけいとも言えた。

 だが、人とはえてして、正体の知らない何かというものを恐れるものだ。実際にそれが何か知っている訳ではないのに、そうであるという噂や風評ふうひょうだけで、よく分からないものすら恐れてしまう――畏怖の対象にしてしまうものだと、文殊丸は身を持って体感していた。

 彼は、なんとなしに自分の目へ手を馳せる。そして、頬を歪めた。

 他の常人とは違う、この目を持って生まれたことは一体なぜだろうかと、もう生まれてから何百回目だろうという自問を心中で繰り返す。それは悩みであり、苦しみであり、解けるならば解きたい命題でもあった。

 かつてはそのことについて、空也上人に問うたことがある。きっと彼ならば、自分も納得のいく答えを返してくれると見込んでのことだ。

 それに対しての空也の答えは、文殊丸が特別だから、という差しさわりの無い答えだった。

 空也は、文殊丸には余人にはできない、何か大きなことをする使命があるといっていた。その目は、その時のために必要なのだとも告げた。ゆえにその目を持って生まれてきたのだと、彼はひとえに語っていた。

 同時に、今は普段人から嫌われているが、それもやがて終わりがくる、報われる時が来るとも言っていた。今は冷たく鋭いものが、いずれ温かく穏やかなものになると、そう言っていたのである。

 それが本当か、という疑問は文殊丸にはある。もし言葉の主が空也でなければ、文殊丸はもっと疑う、否、信じることさえ放棄していただろう。空也が言ったからこそ、辛うじて心に留めているのだ。本当に報われることがくるのか、そして、自分が何か大事を為す時が来るのかは、甚だ疑問である。

 思考に没頭し、そんなことを考えていた文殊丸だったが、その時耳を、はしゃぐ妹の声が打つ。目を向けると、ちょうどその時、光が首飾りのような装飾品を持って駆け寄ってくるところであった。


「ねぇ兄上! この首飾り、格好良くない? 馬乗りながらこれをつけていたら、格好良さそうよね? だよね!」


 目を輝かせながら、やって来て光は訊ねてくる。

 そんな彼女に、難しいことを考えていた文殊丸は、それを微塵も感じさせない柔らかく穏やかな笑みを浮かべた。


「お、そうかもしれないな。けど光。そういう品物は、きちんと代価を払ってから持って来いよ。ほら、市人しにんが困っている」


 指を差して言うと、光はそちらへ振り向く。そしてなるほど、確かに店から身を乗り出して困惑する商人の姿があった。

 それを見ると、光はすぐにそちらへ戻って謝罪し、代金を払って首飾りを購入する。

 そんな妹の、明るくも楽しげな姿に、文殊丸は微笑む。いつもながら、天真爛漫てんしんらんまんな妹の姿は、文殊丸の心を癒してくれる。彼女の天衣無縫てんいむほうさの前では、なんだか自分の悩みがちっぽけに思えて、馬鹿馬鹿しくもすがすがしくなり、気持ちが穏やかになるのだ。

 そんなことを考えているとは露知らず、光は首飾りを買って戻ってきた。


「これ、父上に持っていこうっと。父上、喜んでくれるかな?」

「あぁ。きっと泣きながら喜ぶよ。光からの贈り物ならな」


 少し冗談めかして言うと、それを聞いて光は笑った。


「だといいな! そういえば、兄上は何か買わないの?」

「ん、あぁ。ちょっと待っていてくれ」


 そう光に断りをいれると、文殊丸はすぐ近くの出店へ向かう。そして、すぐさま品を購入して帰ってくる。その早さと、そして店の場所に、光は怪訝な顔をする。


「ん。何を買ったの?」

「あぁ、くしだよ」

「櫛?」


 妹からの疑問符に、文殊丸は首肯する。


「この前、母上が大事にしていた櫛が壊れそうだったからな。そろそろ買い換えて贈ろうと思って」

「へーそうなんだ。母上、喜ぶかな?」

「さぁ、どうかな?」


 光が問うと、文殊丸は苦笑した。

 その顔は、ほんの僅かながら固く暗い。彼自身、母にはいろいろと迷惑をかけているという自覚と懸念がある。ゆえに、母が自分の買っていったものを喜んでくれるかが、不安でもあった。

 が、すぐにそんな不安の色を消すと、文殊丸は光を揶揄する口を開いた。


「よかったら、光の分も買ってやろうか?」

「いらない。別に、欲しくないもん」


 文殊丸の一言に、光は少し頬を膨らませる。そこからは、あからさまな女子扱いを受けたことへの不満が窺がえる。

 そんな妹の反応に、文殊丸はもう少しからかおうと思案する。が、やめた。下手にやぶをつつけば蛇が出てくる、れ物には触らない方がよい、と考えたのである。

 それだけ決めると、文殊丸は半身翻す。


「さて、じゃあ帰るか。結構いろいろ見て回れたし」

「えぇー。もうちょっと見て回ろうよ~」

「でもな、もう買うものはないし……」


 先ほどとは違う意味で不満そうな声を挙げる光を、文殊丸は宥める。

 そしてふと、横手へ目を向け、不思議そうに首を傾げた。

 光もそちらを向く。するとそこ、市の出店が並ぶ道の端に、二人組の男女が目に入った。

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