7.父の評価

「ま・た・かあああああ!」


 憤りに染まった大声が聞こえてくるのを、自室で作業を行なっていた満仲は耳にする。木簡もっかんにつらつらと筆を走らせていた手を止めると、その声が気になった様子で部屋の外へ出る。縁側へ出ると、朝のざしが顔に掛かり、その眩しさから目を細めた。

 しばらくして、縁側の角から、ドタドタと忙しい足音が聞こえてくる。目を向けていると、そこから素早く姿を見せる老人の姿があった。

 季国である。直垂の袖をはためかせて現れた彼は、素早くこちらへ猛然と進んできた後、満仲の影に気づいて急停止をかける。そして、怒り肩のまま呼吸を整えてから、姿勢を正す。


「こ、これは殿。もしかして、今の声が聞こえていましたか?」

「あぁ。どうした? また文殊丸に逃げられたか?」

「えぇ実は……ってよく分かりましたな!」


 説明をしかけた季国であったが、先読みで当てられると驚いた様子で顔を上げる。

 その反応を見て、満仲は肩を竦める。


「大体予想がつく。して、今日はどんな風にはかられたのだ?」

「殿。笑いながら訊かないでください。意地が悪いですぞ」


 苦言を呈され、満仲はそこで自分の頬に手を当てる。そこが緩んでいるのを確認すると、それから今度は苦笑を浮かべる。


「すまんすまん。つい、な。我が息子がどうやって人をあざむいたのかが気になってしまってなぁ」

「……まったく。他人事だと思わないでいただきたいものですぞ、殿」

「で、実際どうだったんだ?」


 楽しげに訊ねられ、季国はいささ憮然ぶぜんとした様子であったが、視線を外して答え始める。


「昨日の反省から、今日はうちの倅を監視して注意を払っておったのです。いなくなるとすれば、また小六に声を掛けると思いましてな。そしたら、今日は姫君……光様とともにいなくなりました」


 悔しげに、季国はそう告げた。

 昨日は小六と出て行ったことから、本人を監視するよりその供に連れていく者を監視すればよいと一計を案じた季国だったが、それが裏目に出たらしい。本日の文殊丸は、小六ではなく妹の光を連れだって出て行ったらしかった。


「申し訳ございません。今、急いで他の者たちの協力を得て捜索させますゆえ。この失態の責任は、いずれ後ほど――」

「いい。そんなことはせんでもな。お前の責を追及する気も毛頭ない。放っておけ」


 すぐに後を追うことを約そうとする季国に、満仲はそう言って踵を返す。その顔には、楽しげな笑みが浮かんでおり、文殊丸たちの行方を気にした様子はない。

 自室へ戻っていく彼に、季国は咄嗟に続いた。


「し、しかしですね、殿。外出するにしても、若と姫には最低限お付きの者をつけておきませんと。もしものことがあっては――」

「お付きとは、護衛のことか?」

「えぇ。そうです」

「誰から守るというのだ?」

「それは当然、都の暴漢や賊徒どもからです。昨今さっこんの京では、そういう不逞ふていやからがいつ出てもおかしくない状態でありますゆえ……」

「それならば問題はあるまい。あの子たちにはな。特に、文殊丸に護衛など必要はないだろう。むしろ、邪魔になるくらいだ」


 自分の作業用の文机ふづくえの前で立ち止まって振り返って、満仲は言う。そこには、依然として笑みが浮かんでいる。

 そんな笑みを見て、季国は目を細めた。疑問が、ふと心のうちから浮かび上がる。


「殿は、若のことが心配ではないのですか? いろいろと言われますが、若は源家の嫡子ちゃくしでございますぞ」


 もしや、満仲は文殊丸のことを軽んじているのではないか、そんな危惧が季国の心中に疑念として渦巻く。文殊丸の存在をさほど重要視していないから、こうも適当な処置を取ってもいいようなことをいうのではないか、と。

 もしそうであるならば、季国はそのことについて諫言かんげん、あるいはそう思われていることに対し抗弁こうべんしなければなるまい。傅役として、彼の教育に不備があるのを謝罪しつつ、その存在価値を満仲に認めさせなければならない。

 そんな危惧に、満仲は半身振り向いた体勢で、小首を斜めに傾げる。


「まさか。どう成長してくれるか、不安も心配もしている。だが、一方で期待しているし、過度な心配もしていない。特に己の身の安全に関しては、武芸の腕前についてはまったく心配はいるまい」


 季国の憂慮を吹き飛ばすように、笑いながら満仲は言った。


「あの子の腕前は、もう大人に引きを取っていない。鬼子などと怖れられているが、それが忌避のだけの一方的な評価のなすりつけではないほどに、な。実際、鬼のように強いだろう、我が子は」

「……そうですな。儂はもう完全に負けますし、保光などもうかうかしていられないと言っておりました。弓も馬も剣も、皆上達しております」

「だろう? そんな子に、適当な護衛などをつけてみろ。かえって事が起きた時に、足手まといになりかねん」


 笑いながらそう言って、満仲は文机の前に戻る。そして、元々やっていた作業に戻ろうとした。

 けれども、季国は猶も危惧する様に、言葉を続ける。


「し、しかし! ただの暴徒ではなく、若をたぶらかそうとする輩が近づいて来たらどういたします? 若が鬼子と呼ばれているのを、悪しく利用とする者がいたら!」

「……なるほど。そういう心配もあるか」


 季国の指摘に、その可能性について、満仲は顔を上げる。それについては失念しつねんしていた、というほどではないが、あまり考えていなかった様子であった。

 が、表情にはあまり危機感はない。実際、彼はすぐに季国の心配に対して首を振った。


「ま、その点の問題もあるまい。あの子は、天童てんどうだ」

「天童?」

「あぁ。武の腕もさることながら、一体誰に似たのか、頭も非常に切れるし、何より物の正邪せいじゃを的確に見抜く慧眼けいがんを持っている。聡く賢い。たとえ誰かが言い寄って来たとしても、間違いは犯さないだろう」


 相変わらず笑いながら、満仲は言う。ただ、その笑みは先ほどまでの、ただ単に面白がっているだけの笑みとは違った。そこには信頼と確信、そして少量の感嘆が込められていた。


「あの子を誑かそうとしても、あの赤眼あかめの前には偽りは通じない。誘惑や侫言ねいげんも打ち負かされるだろう。聡明な上に潔癖けっぺきであり、真っ直ぐながらしなやかとも呼べる柔軟さも持ち合わせている。本当に、自慢の、少し恐ろしさすら感じる息子だ。そういう意味では、鬼子の評は正しいかもな」


 肩を揺らして、満仲は言う。

 文殊丸が鬼子と呼ばれる由縁ゆえんは、その両目にある。彼は、その瞳が人間のものではないのだ。血で濡れたように輝く紅玉べにぎょくの瞳で、それがあたかも人を突き殺すような眼光をたたえていることから、鬼子であるといわれているのだ。その身体的変異・特徴ゆえに彼は忌避の対象とされるゆえ、彼はそれを存ぜぬ者から隠すため、前髪を伸ばして顔を隠しているのである。

 ただ、満仲は今指摘した鬼子としての性質はそんな身体的特徴ではなく、その内面の性格に関することだった。彼は、他者を危険な目に遭わせるのではなく、良い方向へ、正しき導き方向へ導くことができる。否、正解の道へ他人を導きすぎるのだ。少しの間違いもなく、曇りも迷いもなく正解を見つけるという点では、それに一種の恐ろしさがある。

 子供ながら賢者のような性質を既に持つ彼には、確かに一種の不気味さ、末恐すえおそろしさがあった。

 そんな満仲の指摘に、季国は茫然とする。が、すぐに首を振った。

 一瞬、満仲が本音で文殊丸を危険視しているようにも聞こえたが、すぐにそれを否定する。満仲程のうつわの人間に限ってそれはない、と思ったからである。

 あるいは、そう信じたかったからもしれない。満仲に限って我が子を忌むことはありえないと、長年の奉公を続けている季国からは否定したい主観があったともいえる。

 真実は、満仲の笑みからは読み取れぬが、季国は不安な考えを取り払い、満仲の言葉を額面がくめんとはひねくれた意味で捉えることにする。


「そうですな。確かに、若はもう充分一人前の人物です。もう既に、儂らが心配する必要はないのかも……」

「だろう? それに、光についてもさほど心配は必要ない」


 少し弱腰になっている季国を畳みかけるように、満仲は言う。


「あのも、文殊丸という抜群の兄がいるゆえに陰に隠れているが、並みの子ではない。姫習いをまったくしないことが女子としては最大の難点ではあるが、武の心得や学への知識も同年代と比べても見劣りしない。それどころか、大人に交じっても充分通用するだろう。もし兄がいなければ、あの子が男児であったならば、といって嘆く羽目になっていたかもしれない」


 苦笑しながら、満仲はそう娘について評価を下す。

 とんだじゃじゃ馬、とは思いつつも、彼女も諸々に対して才能を発揮している。言葉通り、文殊丸さえいなかったら、彼女もまた天童扱いを受けていたかもしれぬほどであった。


「そんなむすめだ。あの子にも護衛の類は必要ない。いや、仮に必要だとしても、今は文殊丸がついている。あの娘はきっと、兄に守られるから安心だ」


 言って、満仲は邪のない笑みを季国へ向けた。


「あの二人が勝手に出て行ったところで、そう心配は必要あるまい。身の危険はないだろうし、どこぞの馬鹿に騙される心配も皆無だろう」

「……しかし、ですな。万が一ということもあります」


 満仲の完全ともいえる説明を受けて、しかし季国は、苦しいながらも反対の意見を表明する。


「もしもあの二人に何かがあったとしたら、殿は勿論、儂どもは悔いても悔い切れませぬ。やはり、護衛に何人かはつけておきませんと、安心できませぬ」

「そうか……。まぁ、お前のような意見が分からぬでもない。好きにしろ。お前のような臣下も意見や考えも、また必要だしな」


 季国の意見に、しかし満仲はそれを無下にはしなかった。

 過保護が過ぎるようにも聞こえるが、季国の意見にも一応の説得力はある。何より、彼の文殊丸たちを心配する心情は本物である。それを馬鹿にしたりからかったりするのは、失礼だというものだ。ので、それも正論の一種だと、満仲は受け止めた。

 理解を示す主人に、季国は少し安堵しつつ、しかし一方で恨めしげに渋い顔を浮かべる。


「殿。理解して下さるのはありがたいですが、分かって下さるのでしたら少しはご協力くだされ。儂らだけに任せきりでは、儂らの身が持ちません」

「ははは、そうかもな。分かった。今度から気をつけるとしよう」


 豪快に笑ってからそう言うと、満仲は話は終わったという様子で視線を落とす。そして、何も言わずに木簡へ筆を走らせる作業を再開した。

 それを見て、季国は双眸を細めてから、何かを悟った様子で顎を引く。


「それは、各所へのくだんの指令の書簡ですか?」

「ん? そうだ。出す場所がたくさんあってな。書記を誰かに任せてもいいのだが、頼む相手どもが相手どもだ。俺が直接書いた書簡じゃないと、やる気を出さない面倒な奴も多いからな」

「なるほど。お気遣いのほど、御察しします」


 昨日、満仲が保憲たちとの会議を行なったことは、郎党の間でもすでに知れ渡っている。ただし、そのような内容であり、何を依頼され承認したかは、郎党たちも把握していなかった。

 それもそのはず、内容は内裏の火災の犯人探しに関する極秘の依頼である。内容が内容、詳細が詳細であるために、郎党にも仔細は伝えられてはおらず、「満仲が陰陽寮から依頼を受けた」という事実しか知らされていなかった。

 そんな中で、密かに季国はそれとなく探りを入れてみる。

 が、その意図にすぐに気付いたのか、満仲は淡白に応じる。


「あぁ。それで悪いが、出て行ってくれぬか。一人で集中したい」

「はっ。では失礼します。儂は若たちの捜索に出て参ります」


 頭を下げて退室する季国を、満仲は微笑みながら見送り、作業に戻る。

 そんな満仲からの去り際、季国は気づかれないように嘆息する。満仲は、基本自分たちに文殊丸の教育を投げている。彼からすれば、自分たちのことを信頼してくれているということなのだろうが、しかし放任主義にも少し程がある様に感じられる。子供を寵愛ちょうあいするがゆえに、かえってあまり干渉を取っていない節もあった。

 もう少しでいいから、子供たちへの執着を持ってほしいものだと思う。

 そんな風なことを思いながら、季国は満仲の許を離れていくのだった。

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