第1章

1.鬼子の日常

 土が露わになった都の路地を、両手で書物を抱える、一見風変ふうがわりな少年が進んでいる。

 群青ぐんじょうの、「狩衣かりぎぬ」と呼ばれる衣装に身を包んでいることから、彼がある一定以上の階級の子息しそくであることは想像がつく。また、この時代において烏帽子えぼしを被っていないことからまだ未成年の童であることも読み取れる。

 問題はその髪型だ。彼はその前髪を鼻頭びとう付近まで伸ばし、双眸をすっぽりと覆い隠している。メカクレ、といえば現代の人間には伝わりやすいだろうか。長髪の後部は旋毛つむじ辺りでくくり、前髪で目を隠している。そんな髪型の少年であった。

 そんな、この時代でも変わった髪型をした少年が路地を進んでいると、その先で遊んでいた子供たちが、ふと彼に気づく。和気藹々わきあいあいと遊んでいた子供たちであったが、少年を見ると途端に嫌悪感を露わにした。


「あ、鬼子おにごだ! 鬼子の文殊丸もんじゅまるだ!」

「来やがった! 皆、石投げろ、石!」


 口々に言うと、わらわたちは一斉に路地に落ちている小石を拾う。そしてそれを、歩いてくる少年に向けて投擲とうてきした。

 次々と投げられてくる石に、少年は足を止める。

 そして、溜息をついて飛んでくるそれらをかわし始める。石は、まっすぐ少年にむかってくるが、そのどれもが空を切って後ろへ飛んでいった。

 石がまったくあたらず、子供たちは徐々に苛立ち始める。


「くそう! 逃げるな、鬼子!」

「当たれ! 当たれ!」


 怒声を上げながら投げる子供たちに対し、少年は涼しい顔で首を傾げ、体勢を変え、次々と飛んでくる小石をさばき躱していく。そして、諦めずに石を投げてくる相手の群れが、いつあきらめてくれるかと考える。

 そんな時であった。


わか~! 待って下さーい!」


 背後からの声に、少年と子供たちが振り向く。

 そこでは、橙の狩衣をきた少年が走ってくるのが見えてきた。少し細い面立ちに華奢きゃしゃな体つきという線の細い、目隠れの少年より少し年下と思しき少年である。

 彼は、石を躱していた少年を見ると、安心と少しばかり憤りの色を見せた。


「若! 勝手に行かないでくださいよ!」

「遅いよ、小六ころく。それに、別に置いていったつもりは――」


 苦情に、少年は答えかけながら石を躱した。まるで背中に目がついているかのごとく、少年は背後からの石も回避してみせる。

 だが、その小石の一つが、たまたま追いかけていた少年・小六の頬を掠める。その鋭い痛覚に、小六が、軽くうめく。

 それを見て、前方にいた子供の一部は、狙いが外れたもののはしゃぎだす。


「当たった! 狙え、狙え!」


 そう言って、子供たちは投射の標的を目隠れの少年から小六へと変えた。次々と投げられる小石は、距離が離れているため威力は低いものの、段々と小六に当たる。その石から、小六は身を守るように縮こまる。


「い、痛っ!」

「あははは! どうだ、参ったか! 鬼子の一味いちみめ!」


 少年には当たらなかったものの、その連れに石が当たり続けたことで、子供たちは満足そうに笑い声と歓声を上げる。彼らの中では、少年に当たるのも少年の連れである小六に当たるのも大差はない。一方的に一人を多数でしいたげるということ自体に意味があるのだ。そんな被虐ひぎゃくの対象に攻撃が当たっていることに、子供たちの間では暗いよろこびが満ちていく。


「………………」


 そんな彼らを見て、少年・文殊丸と呼ばれた彼は石を拾う。子供たちが投げた石の一つで、小六に当たって跳ね返ってきたものだ。彼はそれを掴むと、子供たちの方角を髪の下から一瞥いちべつし、狙いを決める。

 そして、一投いっとう

 風を切った石は、子供たちの間を縫い、背後の小屋に立てかけてあった木の板に突き刺さった。凄まじい風圧と、ドゴンという鈍い音に、子供たちはぎょっと背後を振り向く。投擲された石は、背後の木板を真っ二つに砕き、それの破片を軽く宙に舞わせてから、地面へ落下させた。


「おい、お前ら」


 その威力と結果に愕然がくぜんとしていた子供たちへ、少年は笑いかける。


「前も言ったが、狙うなら俺一人を狙え。俺の連れを狙って大怪我させたら、その時は……」


 少年は、片手の中で新たな石をお手玉しながら、子供たちに対して笑みを消す。言葉は、少しの溜めを経てから、吐かれた。


「殺すよ?」

「……う、うわあああああ!」


 文殊丸の脅しの言葉に、子供たちは一目散に逃げ出す。中には、恐怖のあまり泣きだす者もいた。鬼子だとか、殺されるだとか、そんな悲鳴を上げながら、子供たちは蜘蛛くもの子が散るように逃げ去っていった。

 その背を見送り、文殊丸は石を放り捨てて、背後の小六を見る。


「大丈夫か、小六? 怪我はないか?」

「え、あ、はい。大丈夫、です」

「そうか」


 少し呆気にとられる小六に対し、文殊丸は満足そうに笑みで唇にを描く。その瞳は髪で見えないが、おそらく口同様に笑みで細まっていることだろう。


「いつも申し訳ありません、若」

「気にするな。だが、お前も縮こまってばかりいないで、たまにはやりかえせよ」

「それは駄目だめです。俺は若と違って、無用な争いは嫌いですから!」

「……お前、誰が誰のために荒事あらごとを行なっているか、棚に上げているな?」


 少し呆れたように言ってから、文殊丸はぎこちなく固まる。

 それを見て、「あ、いえ、そういう意味では……」と小六はしどろもどろに弁明を始めようとしたが、文殊丸はそれを聞かずに息をつく。


「まぁいい。それより、早く行こう。早く行かないと、上人しょうにん説法せっぽうに遅れてしまう」

「あ、そうですね。急ぎましょう若。でも、今度は置いていかないでくださいね?」

「急ごうと言う癖に、置いていくなというのは矛盾だな」


 軽くからかいながら微苦笑を浮かべ、文殊丸は進みだす。書物を両手で抱え直した彼に、小六は慌てて付き従った。



   *



 人の世の時代には、平和な時代と乱世らんせいと呼ばれる戦乱の時代があるだろう。そのどちらがどのような時代であるかは、およそ語るに及ばないことであるだろうが、単純に言えば人が不条理ふじょうりに死ににくいのが平和な世というものであり、理不尽りふじんにその命を奪われてしまいやすいのが戦乱の世である。

 また、その時代の価値観も大きく変わるものだ。乱世では、百人千人といった数多あまたの人を殺す者が時代を切りひらく英雄であるが、人一人殺せば罪人とされるのが治世ちせいというものである。平和な世と戦乱の世では、物の見方・捉え方も大きく異なっていく。



 さて、ではこの平安という時代、それは果たしてどちらか。これは非常に区分が難しい。

 一見すれば、この時代は内乱も少なく乱れた政治も少ない安定した時代に見える。

 しかし身分差別や疫病えきびょう・自然災害なども少なくなかった乱れた時代にも見える。

 あえてこの時代を定義するとすれば、平和と乱世、その「中間ちゅうかん」の時代といえようか。表立った争いはないものの、人民皆が笑って安穏と暮らせていた時代、というには程遠い。一部の貴族が私腹を肥やし、多くの民の中には飢えや貧困であえぐ者も少なくなかった、そんな時代である。

 かといって、それが極度だったという時代でもないだろう。そうであるのならば、いくら下民げみんといえども生きるために必死になって決起するであろうし、反乱や内乱が頻発ひんぱつした世相せそうになっていたはずである。貧しくも、その貧しさの中で暮らしていける、そんな時代でもあったのだ。


 そのような時代の中で、比較的裕福ゆうふくな家庭で生まれ育った少年がいる。

 彼は今、当時の社会の中心、平安のみやこを早足で進んでいる。

 少年の名は、みなもとの文殊丸。

 後に、「大内守護」として「朝家の守護」と呼ばれ、数多の怪異から朝廷を守り抜くこととなる英雄・源頼光みなもとのよりみつ――その人であった。

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