平安の兵・今昔夜話~赤眼の鬼子~

嘉月青史

序章

善と悪

 今となっては昔の話だ。

 きょうがまだ「平安京へいあんきょう」と呼ばれていた時代、一人の人物がこの世に生をけた。

 その者は、成長の後に「大内守護おおうちしゅご」と呼ばれる、時の朝廷の守護者たる地位を手に入れ、また没後ぼつご様々な伝説を語り継がれる英雄となった。彼は人々から「朝家ちょうかの守護」、「武家の棟梁とうりょう」などと持てはやされ、尊敬と憧憬を一身に浴びることになる。



 されど彼の生後は、決して順風満帆じゅんぷうまんぱんなものとはいえなかった。彼はしばし、その生の価値を疑われ、あるいは生まれてこなければよかったのではないかと思えるほどの仕打ち、扱いを受けた。本人も、また周りも、なかなか彼の生の価値を見いだせず、苦難や受難を被ることになる。

 こんなこともある。

 後の世に英雄と呼ばれた者が、皆生まれた直後からそうであると祝福を受けた例は多くない。

 また後に悪逆のと呼ばれたともがらも、この世に生を享けた時は多くの者から歓迎された例もある。

 そんなことも、少なくない。

 生まれもっての英雄など、この世に存在することはなく、生まれもっての悪党など、衆目しゅうもくがその存在を見極めて知る由もない。

 誰にも彼にも、紆余曲折うよきょくせつ波乱万丈はらんばんじょうがあり、その生が善か、あるいは悪か、どういわれるものかは分からない。すべてはあくまで本人の生き方次第であるとともに、また周りがその人物をどのように見て、認め、感じ取るかによって、その者の価値や立場は大きく変わっていくものなのだ。

 だから……というわけではないが、この世に生を享けたその子もまた、生まれたばかりの頃、その本質を見抜けた者など一人たりともいなかった。当然である。生誕から、その運命や因果いんが、末路までもが決まっている人間など、この世には一人たりとていないのだから。



 だが、少なくともその子は恵まれていた。

 それだけははっきりといえる。

 多くの理解者が周りにはいたし、良き親も友も師もいた。もっともそれに当人は気づかずにいたが、振り返ってみれば、きっと彼もその事に気づいたことだろう。彼は、とても恵まれていた。

 一方で恵まれざる者もいた。

 その者は己のことを理解する者はいれども、それが決して善なるものとは呼べなかった。おのが欲望に忠実、とまではいかなったかもしれないが、それでも彼を正しき道、正なる道へ導こうとする者たちではなかったということは断言できる。ゆえにその者は、邪なる道へ、自らと周囲を破滅へ導く道へと突き進む災いへとなった。



 人の生とは難しい。

 多くの歴史、多くの人物の伝記に触れる度に、人々はそう思わざるをえない。何を行なえば正解で、何を行なえばあやまちであるのかに、定型とした正解はなく、また必ずの間違いもない。時と場合、洞察どうさつと直感により、人は正しきを取るし、間違いも選ぶ。多くの人間の生を見るたびに、その混迷はますます増し、深いうねり・・・へと沈んでいく。

 中には、そこが面白いという者もいるが、それを変人と見られても仕方がない節があるのもまた事実である。



 ――話がれた。

 にもかくにも、人の生とは様々だ。

 そこに絶対の正解はないし、明確な不正解も存在しない。

 ただ、どちらへ行けば「人として」正しき道か、あるいは「人として」過ちかは、おおよその予想はつくものである。



 これは、そんな正しき道をいった者と、邪なる道を進む者の、邂逅かいこう因縁いんねんの物語。

 時代は天徳てんとく四年――分かりやすく今のこよみでいえば、西暦九六〇年の物語である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る