ネタとベタ

「少し難しい事案だが、俺がついているから大丈夫だ」

「すいません、お時間をとらせてしまって」

「気にするな。先生っていうのは“先に生きる”ってことじゃねぇ。“先手を生かす”ってことだ」



 中学校の会議室に呼ばれた親は、そわそわした様子で息子の担任の先生と向かい合っていた。グラスで出された冷茶のグラスについた水滴が重力に耐え切れずに流れる。

「それで、これが先ほど説明した道徳のプリントなのですが」

 先生が手元から一枚のプリントをテーブルの上に置いた。プリントに書かれた文字は確かに息子のものだったし、名前欄にも息子の名前が書かれている。

「ここの記述です。『自分に不利になる事実を語るくらいならば、自分に有利になるように嘘をつくべきだ』と書いているんです」

「……これの何が悪いんですか?」

「お母さん先ほど仰いましたね。『自分に不利になる事実を語るくらいならば、自分に有利になるように嘘をつくべきだ』と。同時に、それは常にあるべき心構えではなく時と場合を考えて用いるべき、とも仰いました」

「そうです」

「シンヤくんは、お母さんの言葉をよく聞いているんですね。それでこういう書き方をした」

「だからこれの何が悪いんですか?」

「シンヤくんに聞いてみたんです。『これはこの道徳の授業で書いていいことか?』と。授業の内容はこのプリントなんですが、要するに友達の物を盗んで友達が不利益を被った時に、正直に謝るべきか、という設問なんです。そうしたら、シンヤくんは、当たり前のように『盗んだことはいけないけれども、それを自分が白状することで不利益になるのなら、僕は言わないのが正しいと思います』と言ったんです。これはちょっとおかしいな、と思って」

「おかしくありませんよね?」

「えっ?」

「設問は何でしたっけ?『正直に謝るべきか』でしたっけ?それなら当然選択肢の中に“謝らなくてもいい”があっていいはずで」

「お母さん、これは道徳の授業です。道徳的に考えたら」

「道徳的な行動をしたために不幸になるくらいなら、我が子には自分の幸せの為に嘘をついていいと私は思います」

「それは『自分に有利になるような嘘』ですか?」

「本心です。道徳に利益を阻害されるようなら、多少不道徳的であっても利益を尊重すべきです」

「ですがお母さん、『自分に有利になるような嘘』をつき続けることは出来ません。嘘がバレた時に、信用は揺らいで『自分に有利になるような嘘』をついた時以上の不利益を被ることだって」

「それは結果論です。その場の最適解を求めるのなら、道徳的ではない答えも已むを得ないと私は思います」

「それでは社会はまわりません」

「先生の仰る社会とは、つまるところ学校という場の話ですよね」

「学校は社会の縮図です」

「ならば息子のような人間がいるのも社会ではありませんか?」

 一瞬の沈黙。遠くから部活動を終えて家路につく生徒たちの声が聞こえる。

「お母さん、お母さんは先ほど『自分に有利になるような嘘』は時と場合を考えて用いるべき、と言いました」

「ええ、ですからこの場合は『自分に有利になるような嘘』をついていいものだと思います」

「そうですか……分かりました。シンヤくんとは、もう一度少しだけお話をして帰しますので、お母さんは先に帰っていていただけますか?ご足労いただいて、ありがとうございます」


 自転車置き場で先生に呼ばれたシンヤが会議室に入ると、担任の先生はいつもより疲れているように見えた。

「先生、さっきの話ですか?」

「ああ。ちょっと座れ」

 対面するように座る。気まぐれでテーブルに手をつくと、その場所だけ円状にひんやりしていた。

「先生としては、これをそのまま掲示してしまうとシンヤに不利益があると思うんだが」

「それなら掲示しなければいいじゃないですか」

「そうは言ってもな?今までも道徳の授業プリントは全て壁面掲示してきたし、このプリントだけ掲示しないっていうのは、具合が悪いだろう?」

「具合が悪いのは先生だけじゃないですか?僕はその意見が他の人の目につくことも構いませんし、何なら僕がそういうことを書いた、って知っている友達もいますから」

「……そうかぁ」

 先生はガクリと肩を落として、それから少し頷いて顔を上げた。

「シンヤ、お前は決して頭は悪くない」

「えっ、何ですかいきなり」

「物事を論理的に考えることも説明することも出来る。多少、小手先に頼って論理的な嘘をつくことも出来るだろう。それでその場はお前が不利益を回避することもあるだろう」

「なんですか、褒めてるんですかそれ」

「ここから先生がいう事は、全て嘘だ。いいかシンヤ、お前のお母さんが言った『自分に不利になる事実を語るくらいならば、自分に有利になるように嘘をつくべきだ』というのは、真実だ。以上」

「えっ?」

「先生もお前に倣って嘘をつくことにした、ってことだ。もう一度嘘を言うぞ?お前のお母さんが言った『自分に不利になる事実を語るくらいならば、自分に有利になるように嘘をつくべきだ』というのは、真実だ。以上。もう帰れ」



「シンヤは決して先生を信用しないヤツじゃあないんです」

「おう。それで、ちゃんと連絡はしたか?」

「お父さんの方ですよね?連絡しました。でも、あんな言い方で良いんですか?」

「良いんだよ。両親の両方が道徳的におかしい、っていう家庭はまずない。大抵の場合、どちらかがマトモだから家庭が成り立っているが、どちらかの影響が強くて子どもが感化される。子どもの頭がいいなら尚更だ。それじゃあどうするか」

「普段話していない方と話すことができるようにする、って事ですね」

「そういうことだ」

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