#4

 昼食を済ませて着替えを済ませた七色のシャツの胸ポケットに潜むと、土筆野原を目指して瀬田家を出る。


 おぉ? おおぅ……おおー……。跳ねる。

 こいついつの間にこんなに育ったんだ。

 柔らかな肉の感触が、七色の歩調に合わせて揺れる度に胸ポケットの中の俺の体はテンポ良く跳ね上がる。

 その感覚はトランポリンよりも、跳び箱の踏み台よりも優しい。

 ふわっふわっと、服越しにでも分かるその感触にちょっと卑猥な妄想をした俺は七色に気付かれない様にポケットに潜り込んだ。


 後ろめたい行動の先に聞こえて来たのは心臓の音。

 歩いている七色のそれは少し性急に鳴っていて、控えめに規則正しく聞こえるその鼓動をカワイイと思ってしまった。

 心音にカワイイとか良く分からない感想だが、いつも一生懸命でボケた事しては慌てている七色らしい音だ。


「あっ! 金色さんだよ、にぃちゃん!」

「お? いたか?」


 ポケットの縁から顔を出して外を眺めると、昨日の土手の木の傍に黒い猫がいるのが見えた。


「ちょ、七色。走るな……こけ……」

「わっ!」

「のぉぉぉぉぉぉぉぉう! 言わんこっちゃないぃいいい!!」


 落下までの間、死を覚悟するには短すぎた。

 押し潰される様な窒息感があったが、呼吸が出来ない程では無い。

 恐る恐る目を開けてみると、俺は七色に両手で掴み取られてポケットから非難させられている。


「な、七色さん……大丈夫っすか……?」

「うっ……いたぃ……」

「でしょうね……顔から行くとか、なかなか勇気あるよ、君」

「にぃちゃん、助けないとって思ったら手が使えなかったの!」

「大丈夫か? 怪我はしてない?」

「うん……ったぁ……肘擦り剥いちゃった」

 

 赤く擦り剥けた肘にハンカチを当てる前に、川で濡らしてからにしようと河川敷へ降りる。

 その姿に気付いたのか、金色がこっちへ向かって降りて来るのが見えた。


「今日は虹色は一緒じゃないのか?」

「あっ……金色さん、こんにちわ。えっと……にぃちゃんならここに……」


 胸ポケットの縁から顔を出した俺は見える様に大手を振ってアピールする。


「ここにいるよ! 金色、昨日は色々助かった。ありがとな!」

「実はお前が来るのを待っておった」

「へ? 待ってたの?」

「今朝、ツクシノと言う土筆の妖精どもが騒いでおって、話を聞いたんじゃ」

「ツクシノ? 何それ?」


 金色が言うには、土筆の若い妖精が人間に胞子を食わせてしまったと慌てていたと言う。

 その胞子のせいで俺は小さくなってしまったそうだ。


「そんで、俺はどうやったら元に戻れるの?」

「多分、自然に元には戻るだろうが……」

「何か問題あんの?」

「ツクシノに何故そのような事をしたのか問うてみたんじゃよ」

「俺……もしかして、何か呪われたりしてんの!? 別に悪い事なんもしてねぇけど!?」

「お前、土筆に良いよなって言っただろう? 仲間が勝手に生えて来て、良いよなって……」

「あぁ……確かにそんな事言ったかな? え、もしかしてそれで怒ったって事!?」


 七色の方を見上げて、降ろしてくれと頼む。

 金色の前に立ってその金色の眸に問う。

 俺が今出来る事が何なのか、元に戻る為なら何だってしてやる。


「羨ましかったのだろうと、思うよ」

「羨ましい? 人間が?」

「昔の子らは土筆が生える頃になると土手に降りて来て土筆を見付けてそりゃ喜んだもんだ。春が来た、土筆見付けた、と子供達は無邪気にこの土手を走り回ってな」


 水面へと視線を逃がした金色は、猫の癖に哀愁漂わせた初老の紳士の様に憂いをその眸に宿している。


「それはつまり、淋しかったと言う事?」


 しゃがみ込んだ七色の言葉に、金色は「一緒に遊びたかったそうな」と顔を洗う。


「そんなの、小さくならなくても出来るじゃん……」

「虹色、ツクシノは知って欲しかったんじゃよ。小さく、言葉を持たない、ただ生まれて枯れて行くだけの自分達の存在の小ささを。決して人間に羨まれる様な、存在では無いのだ。群れているだけで羨ましがられるとは思ってもみなかったんじゃろうて……」


 ――勝手に仲間が生えてくんだろ?


「あ……だから、小さくなって思い知れって事……?」

「悪気は無かったそうな。許してやってくれまいか。ただ、淋しくてお前の一言に悪戯心が擽られてしもうた。若い、今年産まれたばかりのツクシノだ」

「許すとか……俺の言った事が軽率だったって事だろ……? そいつは、金色みたいに喋る事は出来ないのか?」

「お前には無理じゃろうな。彼らの声はとても小さいもんじゃて……」

「でも、俺の声は聞こえる?」

「それは聞えておるじゃろうよ。今も隣にいて謝っておるでな」


 俺の隣には芽吹いたばかりの透き通った白い土筆が風もないのに揺れている。


「ごめんな……勝手な事言って。俺、どうやって友達作ったらいいのか分からなくて、お前らが羨ましかったんだ。言葉があるのに、上手く使えなくてさ……」

「にぃちゃん……」

「俺、お前にしてやれることあんの? ここで遊んだら、お前も楽しいの?」


 返事が無いので、金色の方へと視線を寄越した。


「お前さえ良ければ、遊んで欲しいそうだ」

「わっ! 私も! 小さくなれますかっ!?」

「ちょ! 七色!? お前、度胸あり過ぎだろ! 戻れなかったらどうすんだよ!」

「だって、自然に戻れるって金色さん言ってたし……ね?」

「多分、虹色が小さいままなのは昨日小さくなった時間からちょうど一日くらいじゃろう。娘さんが小さくなっても、明日のこの時間には戻ると思われる」

「にぃちゃん! 遊ぼうよ! 楽しそう!」

「うぇえええ? へ、蛇とかいるんだぞ!? お前、ドン臭いんだから……って……人の話、聞いてんのか!? ツクシノ!!」

 

 言ってる傍から七色は小さくなる。

 身長十五センチ。土筆に埋もれてしまう超小型人間。


「わっは! 凄い、土手が森の中みたいになった。鬼ごっこしよう! にいちゃん!」

「はっ!? 金色が一番速いに決まってんだろ!」

「だから、金色さんを二人で捕まえるんだよ!」

「老体だが、足には自信があるぞ」

「金色も乗り気なのかよ!」

「よーい、ドン!」

「待てこらああああああああ!」


 黒い肢体を追い掛ける俺達の前を、ツクシノ達が悪戯に邪魔をして戯れて来る。

 ここにいるよ、ここにいるんだよ。

 白くて透き通ったその体を、愛らしく尖らせた頭を懸命に風に揺らして、叫んでいるんだ。

 

 小さい頃、土筆を見付けると少し嬉しい様な気持ちになっていた。

 そんな事も忘れて、大きくなるにつれて土筆が咲いているなんて視界に入っていても何も感じなくなっていた。

 クラスの中でいてもいなくても気にされない自分。

 声が小さ過ぎて届かない。

 それでもこいつらは、こっちを向いて、と呼びかけて来る。

 俺は、何をしただろう……。

 出来る事を何もしないで、こいつらを羨んだってそりゃ怒られるわな。


「にぃちゃん、金色さんそっちに行った!」

「よし、挟み撃ちにしてやる! 七色、そっちから攻めろ!」

「うんって……きゃああああああああ!」

「何だ!? どうした!?」


 声と同時に身を翻した金色は、七色の襟刳りを咥えて持ち上げる。


「あはははははは! ビックリした! 蛙がいんだもん! でっかいの」


 金色に咥えられたままプラプラとぶら下がる七色は、それすら楽しそうに笑っていた。女の方が肝が据わっているのかも知れない。

 あの猫バンジーを初体験しておいて、笑っていられるとはなかなか剛毅だ。

 いや、七色だから、かも知れないけど……。


「何だよ、ビックリさせんなよ……」

「虹色、お前の後ろに蛇がおるぞ……」

「うぎゃああああああ!」


 金色の尻尾にしがみ付いてその背に乗せて貰う。

 七色も一緒に金色の背中に乗せられて、白い林を駆け抜ける。

 春の陽射しが新緑の緑を焦がして、香ばしい若草の香りが鼻腔を擦り抜けて行く。


 陽の光が土筆の肢体を擦り抜けて、その白い林は幻想的な淡い光に溢れていた。

 川から上がって来る清涼感のある風と、湿った土壌の匂い。

 蝶を追う様に黒くしなやかに駆ける肢体。

 七色の楽しそうな笑い声が、菫染めされた春の空に響き渡る。

 こんなに夢中になって笑ったのはいつ振りだろう。

 

 春紫苑はるじおん車前草おおばこ大犬の陰嚢おおいぬのふぐり蒲公英たんぽぽ

 全てが等身大の世界で、世界は綺麗に咲いている。


 眼前でアーチの様に擦り抜けて行く土筆たちが、楽しそうに見えるのはきっと気のせいじゃ無い。







 





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