#3
「七色さん……」
「よっし、出来たぁ! これでどお?」
靴箱の蓋に星の形の穴が開いていた。
ただ四角く切り抜くだけじゃない所が、七色らしい発想だ。
「うん、ありがとう」
「今なんか、言い掛けた? にぃちゃん」
「……キス、しませんか?」
大きな眸を瞬かせた七色は、少し沈黙し、首を傾げて真顔で問う。
「どうやって?」
「……こっち来て、ここ、顔持って来て!」
ベッドの上に置いてある靴箱の中にいる俺は、自分の顔の前に顔を寄せる七色に一瞬ビビる。
「っ!! ちょ、怖い……」
「ここに来いって言ったのは、にぃちゃんでしょ!」
「わ、分かったからデカい声出すな! おばさん達が起きちゃうだろ?」
「何か、小さい頃に戻ったみたい……大きい大きいってからかわれてさ……」
「あ、ごめん……そう言うつもりじゃないけど……」
自分の体がこんな事になって、俺もまだ感覚が掴めていない。
近づかれると同じ人間なのに、明らかに違う生物の様に感じてしまう。
「本当に、ごめん……」
尖った七色の唇を両手で捕まえてキスをした。
勿論、下唇しか掴めず、顔ごと押し当てる様な感じになってしまった。
「ふふ、何かあんまり触れた感じが分かんないや……」
「そか……ごめん」
「にぃちゃん、どうしてそんなに小さくなっちゃったの?」
「分からないよ……」
「昨日の、金色さんなら何か分かるのかな?」
「どうかな……? でもそう言えば、俺みたいな小さな人間に出会うのは久しぶりだって言ってた気がする……」
「じゃあ、お昼ぐらいまで寝て、もう一度金色さんに会いに行こうよ。そしたら、何か分かるかも!」
「そうだな。そうしよう」
靴箱の蓋を閉められて、おやすみ、と言う声が星の穴から降ってくる。
「おやすみ」
「にぃちゃん……」
「ん?」
「……なんか、虫飼ってるみたい」
「……」
素直と言う名の刀で余計な一言と言う必殺技を間合いに入った瞬間に迷いなく抜刀する辺り、一流剣士顔負けの思い切りの良さ。
でもそんな事にはもう慣れている。
前向きで楽観的な七色で良かった。
俺が七色に怯えている様に、七色が俺を怖がったり、俺だと信じてくれなかったら俺は今も金色と一緒に外にいるしかなかったかもしれない。
昨日、七色の部屋に帰って来てから自宅には友達の家に泊まると言う伝言を伝えて貰って事なきを得た。
この土日で何とかしないと、言い訳が苦しくなるのは必至。
背負ってたリュックはそのままのサイズで残っていたから、あの時体に触れていたモノだけが小さくなっていると言う事は分かる。
昼頃起き出して、七色は気を効かせてラーメン丼にお湯を張って持って来た。
「お風呂、このくらいで良いかな?」
広さと言い、浅さと言い、丁度良い感じだった。
ただ、ちょっとお湯が熱すぎて水を所望したらまた不機嫌になったけど。
ブツブツ言いながらもその間に洗面所で制服を手洗いして、ドライヤーで乾かしてくれる。
「ぐぁー……良い湯だぁ―……」
昨日の事なのに、色々あり過ぎて溜まっていた疲れが丼のお湯に溶けて行く。
流石に小さくなっても全裸を見られるのは恥ずかしいので、ハードカバーの本を開いて衝立代わりに立てて貰った。
「旦那さん、お背中流しましょうか?」
本の陰から片目を覗かせた七色はその手に怪しげな武器を持っている。
「待て、七色。それは何だ?」
「超コンパクトヘッド極細毛やわらかめ、新品だよ?」
「お前、それで俺の柔肌を歯の様に磨き上げるつもりか!?」
「きっと気持ち良いよ?」
「いや、多分流血沙汰だろ……」
「えー、軟弱だなぁ、もぅ……」
ぐはっ!! 軟弱!! ナンジャック!!
己の恋人に言われたくない科白トップ3に入るぞ、その科白!!
「じゃあ、これは?」
七色が自分のポーチから取り出したのは綿棒だった。
「お、それならいいんじゃね?」
思いの外ヒットしたその綿棒で、七色に背中を隅々まで洗って貰い、極楽気分を味わった。少しくすぐったい様な感じもしたが、それ以上文句言うと何を持ち出して来るか分からない懸念に、そこはグッと堪える。
「にぃちゃん、何か新婚さんみたいだね」
「俺はこんな新婚生活嫌だよ……」
「うんまぁ、色々小さいもんね……」
含んだ様な七色の科白に、ラーメン丼溺死事件が幕を開けるところだった。
小さい。小さい。小さい……ち、い、さ、い……。
ナニがチイサイって?
「にぃちゃん、ご飯どうやって食べる?」
「どうやってって……」
「箸になりそうな物が思い付かないんだけど……爪楊枝だと長過ぎるでしょ?」
「いや、爪楊枝で良い。一本、用意してくれたら狩れるぜ!」
「ご飯粒狩る人とか、面白過ぎるんですけど……」
「しょうがねぇだろ! それとも、お前が食わしてくれんのかよ!」
「良いよ? 指先に乗っけて食べさせてあげよう」
七色が一階に昼飯を取りに行っている間にドライヤーで乾かしてくれた制服に着替えて、濡れた髪をタオルドライする為に七色が置いて行ってくれた折りたたんであるタオルに頭から突っ込んでみた。
挟んで吸収。なかなか名案だ。
瀬田家の昼飯は厨房の賄で出るドライカレーで、七色が部屋に戻ってくるとカレーの香りが部屋中に広がる。
昨日の晩飯すら食いっぱぐれていた俺の胃は素直に鳴いた。
未だ現役の店主を務める七色の爺さんのドライカレーは最高に旨い。
だが、驚愕の事実が判明する。
「これ、何粒位食べれるの? にぃちゃん」
「デカイな……タイ米だからか……?」
「取りあえず一粒、食べてみる?」
七色の指先に乗せられた黄金の細長いカレー味の米粒を口に含んでみたが、一口では入らない。
徐に七色は、口いっぱいのタイ米と格闘している俺の横にスプーンを立てて比べている。
「スプーンより小っちゃい! ふはっ、ちっちゃーぃ!」
「うるへーな! ちょっと、だまっ……げほげほっ……」
「ちょっと、定規! 何センチあんのか、測ってみたい」
「はぁ? 別に良いよ! 何センチか分かっても、ちっちぇーのには変わりねぇんだから!」
「はい、ほら、背筋伸ばして!」
定規の傍に立たされた俺は、バツが悪くてワザと背中を丸めてやった。
「ほらぁ、シュッとして! んー……十五センチ!」
「あ、そ……」
「にぃちゃん、ペンケースにも入るね」
「俺を何処に持って行く気だ! 俺は元に戻るぞ!」
「ふふ、でも小さくないと出来ない事もあるかも知れないし、そんなに焦らなくても大丈夫だよぅ」
「他人事だと思って……」
「小さくても、にぃちゃんはにぃちゃんだから。もし、にぃちゃんが小さいままでも、私はずっとにぃちゃんのお世話するよ」
冗談じゃない。
そう言い返せなかったのは、小さな掌にスッポリと包み込まれていたからで、もしも本当に元に戻れないなんて事になったら、七色以外こんな事言ってくれる奴はいないんだ。
「もう一粒、くれ……」
「うん、お爺ちゃんのドライカレー美味しいもんね」
「うん……」
泣きたくなるのは、きっと香辛料のせい。
縮小された眼球には、きっとそれが刺激的なだけだ。
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