第9話 魔女の子が愛の魔法で一発逆転を狙う第八週②
「元の虹ノ岬町にもある建物がここしかなかったんだよ。ユメノのやつ、念入りにあっちの痕跡を消してやがるからさ」
そういうモモに導かれて入った古びた洋館の中を見て、私は思わず目を見はった。
ホールの壁という壁には形や大きさが様々な鏡が並べられ、その向こうではなじみある候補生たちがいれかわり忙しそうに働く様子が見える。時々こちらに向けて何事がどやしつける子もいる。ある鏡はびゅうびゅう吹きすさぶ嵐の町の様子だけを映している。
まるで様々なコントロールパネルで宇宙船や戦闘ロボットに指示を与えるアニメの指令室みたいだ、呆気にとられた私は思わずそんなことを思った。
賑やかな鏡でやかましい壁とは反対に、床には古いソファが一つと、そして何か怪しいものが煮えたぎる大鍋とそれを支える五徳があるだけだ。
五徳の下では薪が直接くべられている。火事になるんじゃないかとこんな時なのについつい心配になってしまう。
「モモ、酷いじゃないか。思いっきり踏みつけるなんてさ……」
「ごめんごめん。でも今それどころじゃないから」
使い魔としての力を取り戻したらしいカエルくんが、自分を踏みつけた主人への抗議する。でもモモはさらっと流した。手をさっと一振りすると、私たちが入ってきた重たげなドアがひとりでに閉まり、閂までかかった。
モモは踏み台に乗って大鍋の中を大きな棒でかき混ぜた。その手を休めずモモは私に話しかける。
大鍋の中身はぐらぐら煮え立っているが、料理をしているわけではなさそうなことはそこから立ち上る何とも言えない匂いで判断できた。悪臭ではないが食欲をそそる匂いでもない。
鍋の上に大漁の湯気が踊っている。異様なのはその湯気にある風景がうかびあがっていることだ。
海をのぞむ坂の上から見下ろす町、坂道を笑いさんざめきながら歩く中学生たち……そんな風景が蜃気楼のように浮かんでいる。モモが鍋をかき回すと、湯気がうつす風景もさっと変わって、中学の教室風景を映し出す。
「ごめんね、マミ。せっかく夢がかなうところだったのに邪魔しちゃって」
「それはいいよ。そうも言ってらんないし。それより……」
訊きたいことは山のようにあるがモモの表情は真剣で、言葉をかけるのに躊躇してしまう。
その間をついて、鏡の向こうが急に騒がしくなった。誰かがあたしを見つけて『あーっ! 天河エミだー!』と叫んだからだ。
そのとたん、今まで倒れた子たちを介抱したり、PCとにらめっこしたり、停電などの不測の事態にそなえていた子たちがどやどやと近くにある鏡に殺到したからだ。
『ほんとだ、天河エミ!』『本物だ!』『なんでそっちにいるの⁉』
キャーキャーと大騒ぎになってしまい私は思わず後ずさると、鏡の一つがぱっと切り替わり私も知っているあの子の顔面がアップになった。
『あなた達! 誰が持ち場をはなれていいと言いました⁉』
結んだ髪の根本に蓮の花かざりをつけた黒髪ツインテールの女の子はリーリンだ。
『リーリンの言う通りだ。お前たち一人ひとりが貴重な戦力だという自覚をもて』
別の鏡が、つなぎの上に白衣を着た金髪でメガネの女の子を浮かび上がらせる。彼女はサイファイガールズというユニットを結成しているソフィアという子だろう。
二人は意見が合ったのが気まずいような表情を浮かべてから、フンとそっぽを向いた。
「鏡を通して向こうの虹ノ岬町とつながってるのね……」
二人に叱られてもこちらに向けて手を振る候補生に手を振り返しながらつぶやく。
『初めまして……でいいのかしら? 天河エミさん。それともマミさんとお呼びしようかしら』
高速で何かをタイピングしながらリーリンが私に微笑みかけた。
『リーリンと申します。本当はきちんとご挨拶したかったんですけれどこんな形で失礼いたしますわね。あなたのことはそこにいるルームメイトから簡単にですけれど話を聞きました』
モモに視線を送ると、気まずそうに肩をすくめた。緊急状況では黙っているわけにはいかなかったのだろう。
『キューティーハート候補生の一人としては言いたいことは山のようにありますけれど、この状況から脱するまでは私たちは力を合わせてことに当たらねばなりません。是非ご協力くださいませね』
もとよりそのつもりではあったけれど、リーリンの強い口調で慇懃無礼に話しかけられると思わずその場に這いつくばりそうになる。そんな気持ちをはねのけて私は彼女に尋ねた。
「魔法がつかえなくなったって聞いてはいたけど、そうでもないのかしら?」
するとソフィアが若干得意そうにメガネを持ち上げた。
『魔法少女たちの魔法が否定されても、我々のようなオーバーテクノロジーやそのほか宇宙人やサイボーグといった魔法以外の由来があるミラクルなパワーまでは否定されなかったらしい。ユメノが我々を魔法少女の範疇に入れなかったおかげだろう。東邦動画の旧弊的な価値観に首の皮一枚で助かったことになるな。──初めまして同士天河エミ。私は天才科学者のソフィ……』
『とはいっても、ボクらもフルパワーが出せるわけじゃないしね』
ソフィアの自己紹介を遮ってまた別の鏡に新たな女の子の姿が映る。私を名指しした水色のショートカットの女の子だ。この子もサイファイガールズの一員のはず、名前は確かクリスといった。
『魔法じゃなくても、普通の十四歳が「こんなのありえない」って判断した力には大体制限かかってる。ボクなんて宇宙人だからね、体がが消えかかっちゃってるし、ホラ』
彼女がひらひらと振って見せた指先は確かに先が透けていた。
『アンドロイドのマキナは並みのロボットみたいになっちゃってるし、サイボーグのミライは人間レベルの医療活動しかできないし』
『私の電子魔法はかろうじて機能する程度。おそらく私の魔法の形態がユメノさんの理解の外にあるものでしたから否定も肯定もできなかったのでしょうね』
少し得意げにリーリンが答える(ソフィアが少しつまらなそうな顔をする)と、指先の透けているクリスが対抗するように胸をはり、じゃーんと口で言いながら懐中時計のようなペンダントをつきつけた。その蓋をひらくと、中には淡く発光している小さな石のかけらがある。
クリスの隣には手を組んで祈るパウダーピンクの髪の色をした女の子・クレアがいて手を組んで祈りをささげていた。
『確かにそこの電子魔法使いのお陰でボクらはなんとかやっていけてるけどさ、でも寮全体をなんとか外部遮断してギリギリ魔法の影響の外にいられるのはできてるのはボクとクレアの持ってるこのメテオのお陰なんだからね! メテオのカケラにはどんな願い事もかなう奇跡の力があって本当ならボクとクレアの母星のピンチを救うために使う予定のすっごく貴重なアイテムで……』
『あなた方の物語の設定は先ほど聞きました! 大体どんな願いでもかなえる貴重なアイテムだのなんだと恩着せがましいわりにこの厄介な大嵐と魔法を消滅させることすらできないなんて名前負けもいいとこじゃありません? まるで誇大広告ね、嘘! 大げさ! 紛らわしい‼』
『はぁあ~っ⁉ 宇宙に散らばったすべてのカケラを回収しないと本領発揮できないんだよ! むしろカケラだけなのにギリギリ魔法に対抗できてるんだから優秀だろ! 七つそろわないかぎりただの奇麗なでっかい石っていうどっかの有名アイテムより断然すごいんだからな!』
『……クリスちゃん、うるさい。集中できない』
祈るクレアがほんの少し目を開いて厳しくたしなめた瞬間、鏡の向こうで閃光が走りしばらくして激しい落雷の音。鏡が映す映像が乱れ、向こう側の少女たちがキャアアア! と悲鳴が上がる。
落雷にはリーリンの顔まで蒼白になる。さっきまで威勢のいい口をポンポン叩いていたクリスもあわてて双子の姉妹に謝っていた。
『クレア~、悪かったよ~! 静かにするから~、邪魔しないから~‼』
『……魔法の影響を遮断することと電力を維持し続けることをメテオに願い続けるのは結構力がいるの。集中させてくれなきゃ困るの』
『うんうん、分かったから~。ボクが悪かったから~』
宇宙人双子姉妹のやり取りがきりかわり、気をとりなおしたらしいリーリンがすました口調で説明する。さっきクレアの言葉にムキになっていたり、落雷に蒼白になっていたのなんて無かったといわんばかりだ。
『──ともかく、このような状況でなんとか最低限度の力が使える状態を維持しています。クレアさんの集中力と、私の魔法の媒体となる電力の供給がもつ限りは存在できるでしょう。ただし……』
鏡の向こうで激しい稲光が見えた。その直後に雷鳴が轟く。
『この寮には予備電源もないようですし、こういう天候ですので停電にでもなりましたら……』
リーリンの声に脅えが滲んだ。彼女の魔法は電子機器に頼っているので電気がなければどうにもならない。
なんとかしていち早く、そちらの世界にかけられた魔法を解かないと候補生たちが存在できなくなってしまう。
私は鏡の向こうに向けて問うた。
「スタッフさんたちは? マザー・ファニーサンデーと連絡を取らなきゃ……!」
もともと虹ノ岬町に様々な物語の世界からやってきた少女たちが存在できたのはマザー・ファニーサンデーの強力な魔法の力があったればこそだ。ということはマザー・ファニーサンデーに連絡を取りもう一度同じ魔法をかけてもらえばなんとかなる……! 私にはそういう甘い考えがあった。
しかし、今まで鍋をかき回していたモモがそれを否定した。
「それはできないよ、マミ。いくらマザー・ファニーサンデーでも他人がかけた魔法を解くのは無理だ。ユメノがかけた魔法なんだからユメノに解かせるしかない」
モモは真剣な表情で鍋をゆっくりかき回す。
湯気がさっきから映し出しているのは、ある少女と少年、二人の物語だ。主人公は少女。教室で同級生の気になる男子の姿をずっと目で追っている。さらさらの黒髪を短く整えた、涼やかで大人びた外見の少年。少女は少年にほのかな好意を抱いている。……そんなストーリーがあることが私にも見て取れた。
そして湯気が映し出すブレザーとチェックのスカートというありふれた制服すがたの女の子が、「普通の女の子」に変身しているユメノにそっくりなことも。
湯気の中で繰り広げられている少女の物語と、額に汗を浮かべながら鍋をかきまわすモモの様子を見比べながら、私はここに来るまでに得ていた一つの仮説を口にしていた。
「私、ここにくるまでにユメノとそっくりなこの子と出会ったんだけど? ここってユメノの夢の中ってことであってる?」
虹ノ岬町の面影をところどころに残しながらも全く別の松ヶ岬町となっていたこの洋館の外の世界。あれはきっと、魔法と魔法少女の物語に愛想をつかしたユメノが夢見た、魔法もなにも存在しないユメノが本当に出演したかった理想の物語の舞台なのだ。
「そして、あの湯気が今ユメノが見ている夢」
鍋から視線を動かさず、モモはうなずく。
「正解だよ、本体のユメノはあそこだよ。寮の部屋で寝かせてる。──ったく気楽そうな顔して寝やがって……」
モモの示した鏡にはベッドに横たわるユメノがいた。
黒髪姿の変身魔法が解けたユメノは、本来の黄色いツインテール姿で、モモが毒づいているとおりとても幸せそうな表情で眠っていた。
よくみればそこで眠っているのはユメノだけじゃない、何人かの女の子たちもユメノの周りで横になっている。
ユメノや他の子のこめかみや額にはコードのついた吸盤が貼り付けられている。コードはおもちゃみたいなカラフルな機械につながっていた。その機械の上にリーリンの使い魔である小さなパンダがちょこんと乗っている。見方によってはお人形遊び中の一コマのようでかわいらしい。
「あのへんなキカイ、ソフィアの発明品なんだ。あれでつないだ人間の夢の中に自由に出入りできるんだってさ。で、上に乗ってるのはリーリンの使い魔。あいつの力で夢の中をカクチョウなんとかっていうもう一つの世界として独立させている」
「拡張現実?」
「うん、たぶんそれ。あたしキカイのことはさっぱりだからさ」
「……ということはここはユメノの夢の世界でもあり、私たちといた世界とは別のルールで動くもう一つの世界ってことね」
「そういうこと。正確にいうと出来立てほやほやで作者のいない≪影の世界≫ってことかな。──しっかし夢の中だっつうのに魔法もなんにもないシケた世界を夢にみるなんて、変な奴だなアイツは」
大鍋の上の湯気がまたゆらめき、二人のいるシーンが変わる。浴衣姿のユメノとそんなユメノをまぶしそうに見つめる男の子。周りの風景からしてお祭りデートらしい。これはまた定番な。
二人はクジをうる屋台に足を止める。そこの店主は夏祭りの雰囲気に似つかわしくない、赤毛の老婆だ。それは誰かによく似ている。
「……モモちゃんはユメノを起こそうとしてるの?」
「ちょっと違う。正確には魔法を信じさせてから起こそうとしているんだ。──リーリン、薬棚!」
『「薬棚を出して下さい!」でしょ!』
鏡の向こうでリーリンがキーボードをたたくと、部屋の隅にドン! 古ぼけた木製の棚が出現した。
リーリンのお礼を後回しにして、モモはカエルくんに薔薇のエキスだの鉱石のかけらだの麝香の元だのを集めるように命令する。勝手知ったようにカエルくんはぺったんぺったん跳ね回りながら出現した薬棚から言われたものを小さな体で集める。
モモが言ったものを彼がすべて運ぶのは難しそうだったので私も手伝った。鍋の中にそれらを入れろというモモの指示に従い、小瓶の蓋を開けてそれらを適当にぶちまけた。
「……ばあちゃんの仲間の魔女がさ、昔こう言ってたんだ。『魔法と奇跡がいらない人間は空飛ぶ魚の数と同じ』って」
モモは呟く。
「つまり、どんな人間の心にも魔法や奇跡の付け入るスキがあるってことだよ」
『私はそうではないぞ。人類のすべてが魔法などという非論理的なものを欲すると思われては困る』
「まー中にはああいうひねくれ者もいるけどさ」
ソフィアの横入りをうんざりした口調で受け流しつつモモは続けた。
「どれだけ口で魔法や奇跡を否定してもどこかに信じたい気持ちがある。恋に恋する年頃の女の子ならなおさらだ。絶対魔法をどこかで信じている」
だから私はそうではないぞ! とソフィアが大声で主張していたけれど、私にはモモの言い分に同意できた。
魔法少女の魔法は否定したユメノだけれど、魔法少女のものではないちょっとした不思議なチカラは否定しきれていない。つまりはなにか不思議なものを心のどこかでは信じたい、そんな思いがユメノの中にはあるということだ。
「人間の弱みにつけいるなんて、悪い魔女みたいで自分でも本当に嫌んなるけどさ。そこを利用させてもらう」
湯気の中で、くじを引いた少年が赤い樹脂製の宝石がついたおもちゃの指輪を引き当てる。その指輪を少年ははにかみながらユメノに手渡す。
それを真っ赤になって受け取るユメノ……、見ている方が恥ずかしくなるくらい甘々な光景だ。
「これからユメノが魔法の存在を信じざるを得ない状況を作って、必ず『魔法はある』と口にさせる。それができればユメノがかけた魔法は必ず解ける」
・ここまでに分かっていること
魔法少女の魔法は使えない。
しかしユメノが魔法とは認識できない不思議なパワーはある程度使用可能。
外の天候は依然として最悪。停電すれば一発アウト。
マザー・ファニーサンデーの力は借りられない。
ユメノの言葉から生じた魔法はユメノの言葉でないと取り消せない。
現状を整理して、私は皆と同じ目的を得た。
とにかく自分たちで今使える力と知恵でなんとか虹ノ岬町にかけられた魔法を解き、元通りにしなければならない。
本来虹ノ岬町に出る筈だった月のエレベーターがこの世界に出たのはそういうことだろう。ここで先にやることをやらないと、本当の虹ノ岬町にはたどり着けない。
湯気の中の場面はまた切り替わる。
夏休み明けたある日の帰り道、ユメノは好意をいだいているらしい男の子と別れたあと自転車を運転する背中を見つめている。
夕日に照らされた海沿いの道、制服姿の少年少女、少女の指には夏祭りで手渡されたおもちゃの指輪。まったく少女漫画のワンシーンみたいだ。微笑ましいストーリーだけど、これが小さいころから知っている幼馴染が見ている夢かと思うと気恥ずかしくて直視しづらい。
やがて湯気の中で時間が進み、少年の目の前に魅力的な女の子が登場する。
ちょっと小悪魔めいた表情がキュートでスタイルがよく少年のことを気に入ったらしく何かと少年に付きまとって彼をユメノから引きはがそうと画策する。意地悪っぽくユメノに勝ち誇った表情までしてみせる。不安でいっぱいそうになるユメノ……。
ついうっかり恋する少女ユメノに共感してしまいそうになる光景が繰り広げられていて状況をわすれて見入ってしまう。
大鍋をかき回しながらユメノが見る夢を演出している。これがモモの魔法なのだろう。本人の性格に反して丹念で慎重だった。
そしそれにしてもモモの魔法は少し手間と時間がかかりすぎるような気がする。鏡の向こうではリーリンを始め候補生たちが『まだなの!』とじれた声をあげるのも無理が無いように思えた。
「まだだよ! 悪いか! 魔女の魔法は手間暇かかるんだ!」
鏡に向かってモモは怒鳴った。そしてぶつぶつと「だから魔女なんて嫌なんだ、古臭くってあか抜けなくって泥臭くって……」とつぶやく。
魔法をかけるモモの気持ちが揺らいだせいか、湯気の向こうにいる少女がふとこちらをじっと見つめた。まるでモモの干渉に気づいたように。
モモはやべっと言うなり、手当たり次第に様々な香料は薬品を投入する。湯気はもやもやとゆらいでまた別のシーンに変わった。
「あいつに気づかれないように慎重に干渉しないと……」
真剣な表情でモモは鍋に向かい合った。私は時間がかかりすぎるのではないかと焦った自分を恥じた。自分の魔法に息を殺してむかいあっているモモは、今までみせた元気で活発でドジっ子なモモとは違う気迫がみなぎっている。私は内心格好いいなと見惚れていたのだけどそんな場合ではないので黙っていた。
湯気の中の少女は夏祭りに少年からもらった指輪を眺めてそっと祈りを込めている。彼がもう一度自分に振り向いてくれますようにとそんな願いをこめているのだろうか、湯気の中の季節はおそらく秋だ。
文化祭の準備にわきたつ学校内、それでも二人はお邪魔虫な、女の子の妨害にあって彼と元の関係になかなか戻れない。そんな二人を、ユメノと一緒に坂道を歩いていた二人の友人がしきりに励ます。ユメノである少女は空元気で友人に微笑みながら、夜に一人部屋にいる時は、窓辺で指輪に祈りを込めている。
文化祭の後夜祭でもう一度気持ちを彼に告白するのだと……。
『なにそれ! さっきから見てたらすっごいじれったいんですけど!』
息をつめていた私たちはその声にびくっと肩を震わせた。
振り向くとある鏡にどーんとヒメカの顔が大写しになっていた。
魔法少女は存在するのがやっとの筈の向こうの世界だというのに、普段のお嬢様然とした姿が見る影もなくボロボロになっていたにも関わらずヒメカは元気にがなっていた。
この時点では、私はまだヒメカがどうして寮にいるのはわかっていない。あとから聞いた話によると、大都市の繁華街で魔女に倒されたあとマミに変身したモモに助けを求めるコールを入れた後、なんとか電車を乗り継ぎ、息も絶え絶えの状態で虹ノ岬町にたどり着いたそうだ。
変身魔法がつかえないため、金髪にボロボロに乱れたふりふりコスチューム姿だったので相当変な目で見られたらしい(「あんな恥ずかしい目に遭うのはもうこりごり!」とその時しきりにこぼしていた)。
「急になんだよ、うるさいなあっ! さっきまでビービー泣いてたくせに黙って寝てろよ! 気が散るっ」
空気を乱されてモモが鏡を睨みつけながらヒメカをどやしつけた。が、ヒメカはくってかかる。
『そんなちんたらしたお話じゃあ〝愛の魔法″なんて到底信じられないっていうのよ!』
「んっだよ、人の考えた恋物語にケチつけるなよなあ!」
『あんたみたいなちんちくりんのチビ魔女が考えたお話でユメがキュンキュンできると思う? これならヒメが考えたお話の方がまだマシよ! ほらっ!』
文字を打ち込んだスマホの画面をこちらに向けるが到底読めたものではない。モモも自分の考えた物語を否定されてちょっとむっとしたようだ。
「
『そっちは夢の世界なんでしょ! 少々変なことが起きても大丈夫だってば!』
その時、外の世界で激しい雷鳴が轟く。停電をおびえるリーリンの悲鳴が響いた。電灯が不穏に瞬く。状況をみていたソフィアも焦りを隠さない。
『同士モモ、悪いがこちらの状況はあまり楽観視していられないようだ。ダメでもともと、同士ヒメカのシナリオを採用してみてはくれないか』
『ほーら、リケジョメガネちゃんもそう言ってる! すっごいんだからね、ヒメの考えたお話はとびっきりあっま甘でゴージャスなんだから!』
ソフィアの意見に調子づいた風のヒメカがスマホを操作する。すると、鏡が光って一冊の本がこちらに届けられた。床に落ちたそれを私が拾って届けるとモモに手渡した。
「くっそ、お前なんか助けてやるんじゃなかった……」
モモは世にも嫌そうな表情でその本の中をパラパラと読むと、うんざりしたような口調でつぶやく。
「……脳みそくさりそうな内容だな」
『なんですってぇ?』
二人のケンカが魔法に作用したのか、湯気が不穏に揺らめいた。少女が不審そうにこちらをにらみつける。湯気の向こうからこちらにいる私たちが見えるのか、目をこらして。
そして言葉を発した。
「ヒメ……?」
本体のユメノがいる部屋を見ると、さっきまでの幸せそうな表情が一変して苦悶の顔になっている。ユメノのそばにいて介抱しているサイボーグ少女のミライがその手を握りしめる。
そして私たちのいる館の扉がドンドンとノックされた。
『警告・警告』
鏡の向こうでマキナと呼ばれていたアンドロイドの女の子が、口だけをかぱかぱと動かして無機質な機械の声を出して呟いた。
『何者かが・対象領域に・侵入を・試みています・警戒・警戒』
「すいませーん、松ヶ岬役場のものですけど、誰かいますー?」
カタコトなのがより不気味さをかきたてるマキナの口調に反して、いかにも呑気な役場の職員といった雰囲気の声がドアの向こうからかけられた。
でもここはユメノの夢の中だ。ドアのそとにいるのが役場のおじさんなわけがない。
モモは慌てて様々な薬品を鍋に投入したがすべて手遅れだったらきい。湯気の中のユメノはすっかりこちらの様子に気づいてしまったらしく、みるみる顔を嫌悪感でそめあげる。
「あんた……魔女の……。それにエミまで……どうして?」
「すいませーん、誰かいらっしゃいますよねー? ここ立ち入り禁止なんで開けますねー」
どんどんと扉をノックする音が大きくなる。私はドアまで走ってとりあえず体で抑えた。
「あんたたち……あたしの夢をいじってくれた……?」
湯気の中のユメノの顔がみるみる真っ赤になった。無理もない、自分の夢物語を勝手に覗かれたとなっては恥ずかしくてそうなるだろう。しかも、あんな直球初恋ストーリー。
「いじったんじゃないよ。お望み通りの夢を見させてさしあげたんだ! 感謝くらいしな!」
ここにきて緊張の糸が切れたのかモモが生来の短気をおこしてしまい、湯気の中のユメノとケンカを始めてしまった。
「こんなことになったのもお前がばあちゃんのしかけた罠にのこのこ引っかかっちまったせいだろ! 責任とってとっとと魔法をときやがれ!」
「はあっ⁉ 何それ、何言ってんのか全然わからないんですけど! それより人の夢いじって気持ちを操ろうとするなんてサイテー! これだから魔法使うやつって信用ならないんだってば」
「すみませーん、開けますからねー。これも仕事ですんで~」
私は必死でドアノブをつかんでドアを開かせまいと抵抗していた。
でもそれも限界に達する。魔法を使わない私の腕力は普通の女子中学生レベルだ。
「ああクソっ!」
モモは鍋から離れドアまですっとんでくると、傍にあった西洋の甲冑から手斧を取り外して振りかざす。
そのタイミングで私の力も限界に達し、ドアノブから手を放してしまった。私は倒れこみ、ドアは外に向けてはじかれたように開く。
ドアの外に立っていたのは作業着姿の男性だったが、手斧を構えたモモとひっくり返った私を見てみるまに姿を変えていった。ドロドロした黒いオーラのかたまりに。
「見つけたよ、生意気な孫娘にこざかしい魔法少女……!」
オーラの塊に最後まで言わさず、モモが手斧を投げつける。
斧の刃は黒い塊の頭部にささった。頭に斧が刺さった状態で、黒い塊は姿を変えてゆく。三メートルほどに膨れ上がった、かろうじて人型だとわかる怪物だ。
声がうわんうわんと割れていたがセリフの内容から≪鏃山の魔女≫だとわかった。シャイニープリンセスから逃れながら、私を追ってここまでやってきたんだろうか。
「魔法少女どもが無い知恵絞ってくだらないことを考えたものだねえ! 笑わせるよ」
モモが短い呪文を唱えると大鍋の中の湯が膨れ上がり黒い怪物に襲い掛かった。じゅうじゅうと蒸気が上がるが、怪物には効果が薄かったらしい。燃え盛る炎のような口を見せて大笑した。
「モモ、お前はいつもそうだ。気が短くていつも魔法を失敗する。そんなお前がいいとおっしゃる方もいらっしゃるのになぜ嫌がるんだい?」
「うるさいな、嫌なものは嫌なんだ!」
「お前は魔女なんだよ。誇り高い闇のしもべ、地母神の末裔だ。そんな昨日今日生まれたような魔法少女になりたいだなんて、笑わせるんじゃない。うちの伝統を汚す気かい!」
モモの目がらんらんと輝いた。食いしばった口元から鋭い犬歯がのぞき、獣めいたうなり声が漏れる。
モモが短気を起こすと周囲のものが破壊されるのは本人も日記にさんざん書いてきたとおりである。
私もこの時までに何度か、モモが怒ると「やらかして」しまうのは本人のおちゃめな失敗談として聞いてはきていた。しかしモモの変貌は私が想像していたもの以上だ。
「モモ、落ち着いて!」
私はとっさにモモに抱き着いて落ち着かせようとした。
ユメノに魔法を信じさせる魔法をかけられるのはモモしかいない。それに、怒りで我を失うモモが見ていられなかったのだ。
しかし魔女が化けた怪物は私を引きはがし、壊れたドアから屋敷の外へ放り投げた。
ふわっと宙を舞ったと思った次の瞬間、砂利の上に体ごと落下する。一瞬モモの呆然とした表情が見えた気がした。
地面に伏したまましばらく動けずに硬直する。
本当の世界じゃないのに、砂利の上に落下するとかなり痛いな。あちこちすりむいてるっぽいな……とどこか他人事めいた気持ちを抱いていると、ずうん、と地面が揺れたことに気づく。
「……を……っ!」
なんとか体を起こし、丸見えになった館の中を見る。怪物の体の向こうで小さな体で仁王立ちしたモモの目が赤く輝き、おさげがほどけで逆立ち、床板がめくれ、蜘蛛の巣のはったシャンデリアが大きく揺れたのが分かった。鏡の向こうでは候補生たちがおびえて遠のく。
「よくもマミを……! よくもマミを……っ!」
モモが腕を払うと強い魔力がほとばしり怪物を粉みじんに打ち砕く。魔力の軌道上にあった壁や天井砕け、もうもうとほこりが舞った。壁にかけられていた鏡のほとんどが粉々になる。モモの手足が毛皮に覆われた獣のそれに変化し、があっと一声うなるなり高く跳躍して怪物に食らいつく。
「ほうらいつもそれだ、短気をおこして暴力に訴える。とんだDV娘だね、お仕置きが必要だ!」
わざとちゃかすようなセリフをはいて怪物は喉にくらいついたモモを引きはがしぶんと投げた。半身だけ獣化したモモは空中で身軽に体制を整えて壁をけりもう一度怪物に食らいつく。があっ! と叫んだ口からは火の玉が放たれた。
二体の怪物となったモモと魔女が争いだすありさまに、事態の急変に私はほとんどなすすべもなくあたりを見ているばかりだ。そこへ背後から声がする。
「あーああ、何やってんだあのウィッチ娘は」
「言ってる場合じゃないわよ、ティーダ」
振り向くとそこにいたのはおそろいの制服を着た、こんがり日焼けした女の子と中性的なショートカットの女の子だ。その姿が一瞬ゆらぐと私もよく知っている女の子の姿になる。
アミとティーダだ。どうして二人がこんなところに……という疑問に答えるより先に、アミが倒れている私に気が付く。
「……⁉ あなたもしかしてエミ? 天河エミ⁉」
頷くよりもはやくアミは私を抱きしめて、感激したように母国語まじりで何かをまくしたてた。
「エミ! あなたはあたし達を助けに来てくれたのね! きっと願いが天に届いたんだわ」
「そうかあ? どっちかってたら俺らがそいつを助けてやんなきゃいけないような有様だぜ」
ティーダは呟きながらもしゃがんで私の傍で呪文を唱えた。すると見る間に傷が治っていく。
「魔法が……使えるの?」
「あの魔女がそばにいるんでその影響じゃねえか? それに俺はもともと魔法少女ってやつじゃねえし。……つってもレベルの低い魔法しか使えなさそうだけどな。でもってこいつはこの格好じゃないと魔法がつかえないんだどさ」
ティーダが示すさきにいたアミは恥ずかしそうに顔を手で覆った。
カナリア色のドレスが彼女の戦闘服だったはずだったのに、今の彼女は本来デビューするはずだった猫耳のついた黒いフードを目深にかぶったダークガールヒーロー姿だ。
「ああっ、エミにだけはこの姿を見られたくなかったのに……! こんな黒一色姿、あたしじゃないのに!」
どちらかというと、猫耳付きフードを被ったレザーパンツ姿のアミのいでたちの方が結構私の趣味に合致していたんだけど、本人が恥ずかしそうにしている以上はあまり触れないでいることにした。
「ちょっとは動けるメンバーで戦闘力高めなのはあたしらしかいないってことだったから、あの黄色髪小豚娘の夢の中でウィッチ娘の手伝いをしてやってたんだけどさ」
怪物と化した二人の争いを見てアミとティーダも冷や汗を浮かべている。
「……やばくないか、これ?」
「やばいと思います」
私が正直に答えると、アミもフードを目深にかぶって両手を掲げた。ぼんやり輝く緑色の炎のようなものがその手にともる。ティーダもさっと腕をなぐとその手に愛用の杖が現れた。
「とりあえずなんとかモモを正気に帰して見せるわね。エミはその鍋を見守っていいて頂戴。あれさえ生きていればまだ勝ち目はあるはず」
アミは私にウィンクをしてみせる。
二人の言葉に私は頷いた。この中で魔法少女になれない私に何ができるかわからないけれどとにかく、モモの魔法を潰えさすわけにはいかない。目を合わせた私たちが頷きあい、半壊した館の中に駆け込む。
私は鍋の前にたち、とりあえずモモが持っていた鍋をかき回していた棒を手に持った。そのあと、モモの怒りの爆発でもなんとか割れずにすんだ鏡の中の一枚に目をとめる。
その鏡は、眠り続けるユメノの本体の映している。しかしその中でユメノはさっきまでとは違い、うんうんと苦しそうにうなっている。
そりゃそうだろう、突然淡い恋物語を上映していた夢が一変して魔女と魔女との大バトルになってしまったのだから。
モモが慎重に管理していた大鍋はまだ茹っている。湯気の向こうでユメノは「何々、何があったの?」と泡を食っている。
「もうやだー! なんなのこいつら人の夢の中で好き勝手してー!」
ユメノはついに子供の様に泣きわめきだした。それに応じて鏡の向こうのユメノ本体も激しく唸る。ミライが心配そうにその両手を握りしめた。
不意に何かを踏んづけたので足元を見てみると、そこにあったのはヒメカが無理やり押し付けた「脳みそがとけそうな」物語が記された本だ。
それと湯気の中でパニックをおこしているユメノを見比べる。
モモが気を張り詰めて演出していた、あの地に足についた少年少女の初恋物語はこの状態では修復不可能だろう。
モモを助けるために援護に間渡ったアミとティーダだけど、自分の力を存分に発揮できない二人は苦戦を強いられていた。巨大化した怪物がモモ、アミ、ティーダをもてあそんでいる。
湯気の中では悲鳴をあげるユメノ……酷いありさまだ。夢は夢でも悪夢ってやつだ。
手元の本をもう一度眺めてから私は目をつむり、意を決した。なにがどうなるかわからない、ひょっとしたら取り返しのつかないことになるかもしれない。けれどきっと今この状態を放置するよりも何かしたほうがずっといい。
目をぎゅっとつむり、思い切って本を鍋の中に投げ入れた。
そのとたん、まるで化学反応でも起こしたように白い湯気がはじけるように一気にあたりへ立ち込める。
硫黄臭さや薔薇の香料、お菓子のような甘い匂いに、鼻に突き刺さるような激臭、様々なにおいのつい湯気が視界を覆い隠し嗅覚に蓋をした。激しい刺激にめまいを感じ、意識を失ったのはほぼ同時だった。
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