第8話 魔女が魔法少女の領土に報復する第八週①

 恥ずかしながら、その時私は何も知らなかった。

 

 自分があこがれの魔女の国にいるという興奮でいっぱいで、虹ノ岬町で何が起きていたのかを全く把握していなかった。


 よって、以下に記す内容は伝聞や東邦動画内で保存された資料を読んだのちに私の体験をつけ加え、自分なりにまとめたものである。そのことを承知されたい。


 

 大都市のファッションビルでユメノとヒメカと私が袂を分かったあの日まで話は遡る。

 

 ユメノとヒメカは魔法少女にならねばならぬという大人に定められた運命を自ら放り投げた解放感から遊び歩いていた。

 都市内にある二人の親のどちらかが所有している仕事用のマンションに寝泊まりし、二人とも裕福であるがゆえに豊富に持っている小遣いを糧に「魔法を知らない普通の女の子」が興じるような様々な遊びを楽しんでいたらしい。

 危なっかしいが夏だもの、バカンス中の少女が少々羽目を外すのも仕方がない。

 

 

 遊び歩いているのも一週間ほどで飽きた頃、ユメノは街中で偶然、格好いい男の子に出会い、ひとめぼれをしてしまったらしい。

 普通の学校に通う普通の女子生徒になり学園の王子様と恋に落ちるような物語のヒロインになりたがっていた、ユメノはそんな少女だ。つまり常日頃から恋物語のヒロインになれるチャンスに敏感だった。

 

 ユメノのお相手の男子がどんな子だったか、削除される前に保存されたユメノのSNSの魚拓には写されていたという。しかし件の少年が写っていたであろう場所には真っ黒な人型の靄として記録されているのみので今となってはどんな容貌の主だったのかはもうわからない。おそらく若手俳優かアイドルのように美しい姿をしていたのだろう。

 ユメノがどのように恋の魔物に侵されていったのかは彼女のSNSをたどるといい、つぶさに理解できる。

 

 突然親友が彼氏を作ってしまい、蚊帳の外に置かれるようになったヒメカは最初不機嫌になるだけだった。

 が、だんだんユメノの状態が普通でないことに気が付く。明らかに恋ではない理由から目がとろんと溶け、彼氏のいうことを機械的に繰り返すだけにかる。

 くさってもヒメカはシャイニープリンセスメンバーの娘、魔法少女のサラブレッドだ。親友がタチの悪い魔法にかかってしまったと気づいて変身し、ヒメカの彼氏を浄化しようとした。


 が、結果は惨敗だった。


 いくら魔法少女でもあの大都市は魔法少女の物語の外にある世界だ。そこで私たちは存分に魔法を使えない。

 しかも二人がいたのは深夜の繁華街の裏通り、よいこの魔法少女がいるはずのない空間だ。

 魔法少女には絶対的に不利である上に、欲や陰謀を利用してのし上がる悪い魔女にとっては有利なフィールド、ヒメカの敗北は決定されていたといっていいだろう。


 ユメノの彼氏、というよりもユメノにかけられた悪い魔法の塊はユメノの体に侵入して老婆の声でこういって消えたという。



「マザー・ファニーサンデーに伝えな。今からこれまでのお礼を返しにいくってね」


 悪い魔法にかかったユメノは暗闇に溶けるようにして消えたのだという。

 ただ消えたはずが無い。

 大きな災厄がマザー・ファニーサンデーのおひざ元に近づいていると察し、ヒメカは半泣きで救いを求めようとした。

 しかし自分たちが砂をかけた親や東邦動画の関係者に泣きつくわけにはいかなし。悩んだ末に縋ったのは、よりにもよって喧嘩別れしたばかれの幼馴染であるところの天河エミ、つまり私になりすましたモモの元だった。


 

 眠りを邪魔された私の姿のモモが不機嫌に電話に出た直後、ヒメカは泣き声で助けて! と叫んだのだという。ユメノが悪い魔法に取りつかれてしまった。マザー・ファニーサンデーにお礼をすると言っている、と。


 

 モモがしょっちゅうこのノートに書いているように、≪鏃山の魔女≫ことモモの祖母はとにかく魔法少女という存在を嫌っている。

 特にその始祖ともいえるマザー・ファニーサンデーを不倶戴天の仇とみなしていた。そこでピンと来たのだろう。

 嵐を呼ぶ風が吹き荒れる中、そっと外に出たのだという。


 

 マミ姿のモモは魔法は使えない。悪い魔法を探し、徒歩であちこちぐるぐる歩き回る。警察官や酔っ払いに絡まれそうになりながら、駅前までたどり着く。そして尋常でない様子のユメノを見つけた。


 駅前の防犯カメラがその時の映像を収めている。

 一人はパジャマ姿のマミであるモモ。そして黒髪の少女に変身したユメノ。

 二人は向かい合って何かを言葉を交わした後、ユメノがふっと倒れる。慌てた様子にマミ姿のモモが駆け寄りしばらく呼びかけた後、意識のもどらないユメノをおぶってよたよたと去ってゆく。

 

 

 三分にも満たないようなわずかな時間だ。


 その数分のうちに≪鏃山の魔女≫は、私たちにとっては最悪の呪文をユメノの口を介して唱えていたのだ。



「いい年して魔法だなんて、バカみたい」と。



 防犯カメラの荒い画像ではわかりづらいが、倒れたユメノをおぶったモモの髪がマミの時のショートボブではなくモモの姿ではおなじみの二つのおさげである。

 これが何を意味するか。強制的に魔法が解かれたということに他ならない。


 

 どれくらい先のことになるかはわからないが将来このノートを読んでいるかもしれないあなたへ訊ねよう、ここまで読んでいて混乱しなかっただろうか?


「いくら魔法少女の番組に縁故ある町だからって当たり前のように魔法を使う女の子たちの存在をごく自然に受け入れてるのはおかしくない?」

「不思議な魔法バトルの様子をまるでテレビ番組のロケのように受け入れているのも不自然じゃない?」

「そもそもキューティーハートって物語は動画コンテンツみたいだけど実写なの? アニメーションなの?」

「まるでこの町そのものが大きいフィクションの中の世界だ。とても自分たちのいる世界と地続きの世界にあるとは思えない」


 そう不思議に思いはしなかったかと。

 

 そう、そのように感じて当たり前である。

 虹ノ岬町はただの町ではない。ある魔法がかけられた、特殊な町だった。

 

 


 虹ノ岬町という首都に近接した地方のこの町は、もともとは日本のどこにでもある海辺の小さな町だった。

 平成の大合併まで使われた旧町名は松ヶ岬町。もともとの主産業は漁業と旅館や民宿経営を生業とした観光業だ。

 

 

 他の海辺の町と違った点は、明治期以降にやってきた外国人たちが海辺ののどかな様子を気に入って避暑地に選び、その結果欧風の建築物がそこかしこにみられ、うっすらと異国情緒を漂わせていたことである。

 そこが欧米文化濃厚な魔法の国からやってきた女の子のサンディーちゃんが留学先に訪れる町「虹ノ岬町」のモデルに選ばれた決め手だ。

 物語内ではサンディーちゃんがお供たちと騒々しく生活し、現在サンディーちゃん記念館となっているあの洋館は、もともと大正期に日本へやってきたプロテスタントの宣教師の別荘だ。

 サンディーちゃんのクラスメイトのガキ大将は地元漁師の息子でわがまま放題なお嬢様は網元の娘という設定であるが、それは元々は漁業が主産業だった松ヶ岬町の名残である。


 

 そんなごく普通の町が、今では様々な魔法を使う物語の舞台に選ばれそこを訪れることを目的にした観光客が増え、夏に魔法を使う女の子たちが集まる特殊な町に変貌を遂げた。何故か。

 

 最近はやりの「聖地巡礼」みたいなものだろ? ……と、答えた方。惜しい。

 海外の巨大アニメ会社が世界のあちこちに作っている大がかりな遊園地みたいなことになってるんじゃない? あそこじゃ着ぐるみのキャラクターも電気仕掛けの様々なショーもすべて「魔法」で「夢の国」ってことになっているもの。……そう考えた方、かなり惜しい。



 実は、虹ノ岬町全体には東邦動画と地元有志からの要望によって、マザー・ファニーサンデーによる魔法がかけられている。


 「この町にいる人は魔法の存在を感じることができる」

 「ここで語られた魔法の物語を『本当にあったかもしれない』ことだと思い込む」

 「この町にいる間、物語の中の不思議な女の子たちは『自分たちの姿のままで』当たり前のように存在できる」

 

 この町に足を踏み入れた普通の人間の感覚をそのように狂わせる、ささやかだけど非常に強力な魔法だ。

 この町を訪れた人間は、少々不思議なことがおきても「そういうものかもなあ」で納得してしまう。なにせここは魔法少女の番組がたくさん作られてきた町だから、ロケの様子でも見たんだろうな、と。その番組のほとんどがアニメーション作品であり、テレビカメラを携えての撮影なんて本来行うはずがないにもかかわらず、だ。

 もちろん、その魔法はこの町の外を出ると効力を失う。だが、人々は不思議な体験をしたことを「気のせい」「錯覚」「町が一丸となったすばらしいショー」として受け入れて記憶する。

 

 時々この魔法のかかりが悪いものが訪れては、この町の異様な点を嗅ぎまわって真相を暴き立てようとする。

 が、そういった試みはまず成功しない。何故か?

 サンタクロースなど存在しない、もしくは例のテーマパークの象徴的な着ぐるみの中には人が入っていると子供の前で得意げに語って見せる者がいれば大抵「大人げないヤツ」「無粋なヤツ」として排除されるだろう。それと似たような心理が働き、自然と排斥されてしまうのだ。そういった物語が嫌いなものは、もともと地元の住民ではない限りこの町には立ち入らない。

 

 この町で魔法少女たちが繰り広げる様々な出来事はたちどころにすべて物語になる。

 この大嵐の前後からはネットを通じた魅力的なリアリティーショーとして、本来マザー・ファニーサンデーの魔法の効果の外にいる人間にも共有されてゆく。

 


 モモの祖母である≪鏃山の魔女≫、大おばである魔女の家政婦であるナニーさん、シャイニープリンセスやマザー・ファニーサンデー、そのほか多くの人々に愛されてきた物語の登場人物は、実はこの世界でも存在できるし(騒ぎになるので大っぴらに見せびらかしはしないが)魔法だって普通に使える。その物語が人々に愛されてきたため『影の世界』が十分に濃いからだ。


 ただしキューティーハートの候補生の殆どは、生まれてまだ間もなかったり、生まれても誰からも顧みられなかった『影の世界』からやってきた女の子達だ。

 その影は薄くてはかない。ちょっとしたことで存在をたもてなくなるほど。本来ならこちらの世界までは出てこられるほど強くない。


 そんなはかない物語からやってきた女の子たちが、次元を飛び越えてこちらの世界でのびのびとひと夏を過ごすのだ。

 そんなあり得ない状態を維持するために必要だった大魔法は、たった一言で崩壊するほどもろいものだったのだ。


「いい年して魔法だなんて、バカみたい」の一言で。



 繰り返しになるが、モモとして魔女の国にいた私にはその時何が起こっていたかはまるで把握していなかった。

 

 気づいたのはコンパクトを介した連絡ができなくなった時だった。

 山小屋の屋根裏めいた私の理想通りなモモの部屋で、何度も通信を試みていたにも関わらず失敗し続けるというそのタイミングで、しだいに嫌なものを感じ始める。そして予感は的中した。

 

 コンパクトの鏡が不意に揺らいだ後に映していたのは、モモの姿の私ではなく、バカみたいなピンク色の髪のツインテールにチェリーブラッドの瞳、つまりは天河エミ姿に戻った私だったのだ。

 これを意味することはすなわち、コンパクトの変身魔法が呪文も唱えていないのに強制的に解除されたということに他ならない。異常事態だ。



「マミちゃん、ちょっとこれ見て」

 

 私のサポートに徹してくれているうちにすっかり仲良くなったモモの使い魔のカエルくんがリーリンからもらった魔法のノートPCの画面を指し示す。

 カエルくんはその後もモモの応援アカウントを更新し続けていた流れで、候補生たちのSNSやキューティーハート公式サイトをチェックし続けていた。


「あるタイミングから候補生の子たちのtweetがおかしくなってる、ホラ」

 

 私は促されるままにその画面を見た。

 候補生たちのtweetはある瞬間から、「揺れた?」「今揺れた、結構大きい」「大きい音がした」「何か光った?」というような、地震や落雷に驚いたような声が占められている。

 そして、「おかしい」「あれ?」「変だ」「魔法が使えない」「体が消える」「苦しい」「目が見えない」といった否が応でも心配にならざるを得ないような不穏なものが続く。

 もちろん彼女らをフォローしているファン達もざわつきだす。

  

 私のコンパクトが使用不可状態になったのが、彼女らが「揺れた?」「光った?」と驚いていたタイミングとほぼ同じだったことに気づき、私の不安は爆発的に膨れ上がる。

 そしてすぐ、カエルくんのアカウントにDMが届いた。差出人はリーリンだった。



「悪いけれど至急、そのPCで今からいう作業をして、出た結果のスクショをこっちに転送して頂戴」


 そっけないが緊急性を知らせる内容だった。

 メッセージの下に添付された指示どおりに、カエルくんが見たこともないソフトを起動して操作する。

 衛星から見たような日本列島の姿が表示され、その上にカエルくんのマウスの操作に応じて様々なグラフィックが浮かび上がる。

 ほかの地方は穏やかに波打つベールのようなグラフィックで覆われているのに、ちょうど虹ノ岬町があるあたりだけ深くえぐりこむような渦巻模様が表示されいてた。何を意味する画像なのかその時点ではわからなかったが、異様なことだけは察知した。カエル君は言われたとおりにスクショをリーリンに送り返す。


 ほどなくしてリーリンから立て続けに返信があった。


「ありがとう。単刀直入に言うけれど、こっちでは最悪の事態が起きている。何者かによって魔法を全否定する魔法がかけられた。魔法を否定されればあたしたちのほとんどは活動できない。それどころか存在そのものを否定されて消滅してしまう危機を迎えている。原因は不明」


「多分そのうち『影の世界』、特に魔法がベースになっている国とは連絡がとれなくなる。私ともどうなるかはわからない。そのPCも今はあたしの電子魔法アプリが生きているけれどそのうち単なるPCになって『影の世界』の壁を超えた連絡は無理になるかも。もし何かあったらソフィアとかマキナっていう魔法にたよらない能力をもつ候補生に連絡してみて」


「……なんだか大変なことになってるみたいだね」


 カエル君が言われた通り、ソフィアって子のアカウントを開いてみた。天才科学者のガールヒーローって設定で、サイファイガールズというおかしな実験ユニットを組んでいた、変わったブロンドメガネの女の子という印象しかない子だった。

 でも、ソフィアは絵文字や顔文字を交えながら「候補生のうち何人かが倒れている」「動けるものは彼女らの介抱にあたっている」「とにかく原因がわからない」といったtweetを発信していた。カエルくんは彼女にDMを送る。


「マミちゃんはとりあえずモモちゃんに連絡してみて。そのコンパクトは無理でも階段の下に昔モモちゃんのおばあ様が使っていた古い黒電話があるから」



 私は気おされるように階段をおりて田舎のおばあちゃんの家にありそうな黒電話の受話器をとりあげた。

 古い電話の使い方を知っていてたこと、自分のスマホの番号を覚えていて助かった。はたして本当に電話はつながるのかという不安をはねのけるように電話はコール音をならしたのちに今はマミであるモモの声を届ける。



「ごめん、モモちゃん! あたし、分かる⁉」

「マミ⁉」


 受話器から聞こえてきたのは、本来あたしの声であるはずなのにモモの声だった。変だなと思う間すら与えず、なにやらごそごそあった後に、かみつかんばかりなタナカさんの声がとびかかってきて鼓膜をうった。


「エミ! あんた今一体どこにいて何をやらかしてるの! 早く帰ってき……いやいやダメダメ今帰っちゃダメ!」

 

 普段のタナカさんらしくない取り乱した声だった。

 またしばらく後にごそごそがあって、声がモモに戻る。


「マミ、ごめん。今タナカさんが倒れた。あとジーニも調子悪そう」

「ねえ、今どこにいて、それから何があったの? 候補生の子たちが魔法がつかえなくなったって大騒ぎしてるみたいだけど。ていうかモモちゃんの体はどう?」


「マジか」

 モモは小さくつぶやいたあと、力強い声で言う。

「あたしはそこそこ大丈夫っぽい。魔法少女じゃなく魔女だから」


 どういう理屈なのか一瞬理解できないあたしへ、遠い声でモモは説明する。


「これはあたしのおばあちゃんがやらかした魔法少女への手前勝手でクッソ汚い復讐だよ。あの人、魔女でもないくせに魔法を使う女の子たちが目障りで大嫌いだから魔法少女を『影の世界』ごと全否定して力を奪うことに決めたんだ」


「あたしが馬鹿だったよ。あの業突く張りのくそばばあが自分の言いつけを無視した孫をそのまましたい放題あそばせておくわけなんか無かったのに……。あたしをいい気にさせている間に、ちゃくちゃくとこの機会を伺ってたんだ」


 モモは簡単に、魔女がユメノに罠をしかけて体を乗っ取り、魔法少女の魔法を全否定する魔法をかけたことをたんたんと説明した。



 あたしはそれを聞きながら、変な話だけれど≪鏃山の魔女≫の目の付け所に感心さえしていた。


 通常、物語の外の世界に生きる女の子たちの多くは小さなころに魔法少女の物語にたっぷり親しむ。

 そしてその後、ある時期を迎えると、自分たちにそんな時期があったことをすっかり忘れたように別の物語に夢中になりだす。そしてあれほど大好きだった魔法少女たちを、電池のちからでピカピカ輝くステッキをふって魔法少女になりきって遊んだことをみっともなかった子供時代の象徴として忌み嫌いだす。


 私たちの業界で「卒業」と呼ばれる現象だ。悲しいけれどしかたないものだ。


  中には「卒業」しない少女もいるが、それでも小さなころと同じ熱量で愛してはくれないし物語の主役である私たちもそこまでは望まない。


 魔法少女を否定するのはかつて魔法少女に夢中になっていたが「卒業」迎えてしまった少女たちだ。彼女らの言葉やまなざしには、魔法少女の築き上げた世界を一瞬で崩壊させる強い否定のちからが宿っている。それそのものが魔法と呼んでいいほどの。

 

 そしてユメノは、魔法少女なのに「卒業」してしまった少女だ。体には潜在的な魔力を有しながら自分のような魔法少女を忌み嫌う少女。

 そんなユメノに「いい年して魔法だなんて、バカみたい」のセリフをつぶやかせてみたらどうなるか……。

 


 ぞくり、と一瞬体が震えた。それは恐怖だけではない、燃え盛る炎の中に手を突っ込みたくなるような、危険とわかっていることをやってみたくなるような衝動だ。


 だから次の瞬間、あたしの耳元でしゃがれた魔女の声が聞こえた瞬間の恐怖を今でもありありと思い出せる。



「ほう、ただの夢見る夢子だと思っていたけれどお前はなかなか見どころがあるよ」

 


 悲鳴を上げるより先に、≪鏃山の魔女≫は私の手から受話器を奪い取りがなりたえる。


「このバカ孫! 魔法少女になりたいだなんて世迷言もこれまでだよ。とっとと帰ってくるんだね!」

 

 ガチャンと受話器をたたきつけ、一方的に通信を断ち切ってしまう。


 しん、と魔女の家は静まりかえった。直後、モモによる折り返しのコールがじりりりりんと鳴り響いたが、魔女がコードを引っこ抜いてしまう。

 

 今度こそ本当にしんと静まり返った。虹ノ岬町の騒動が感じられないほど。



「さて、お前はどうするね」


 私を迎えに来た時の美しいマダム姿とは全く異なる、しわくちゃで鉤鼻の、いかにも童話の魔女そのものといった姿の魔女は私を前にヒヒヒと笑った。


「最初はお前たちの計画に乗ったふりをして、お前の身柄を人質にあのにくったらしいマザー・ファニーサンデーとお前の母親と東邦動画を思う存分困らせてやろうと思ったんだけどねえ、気が変わったよ」

 

 しわしわの人差し指をあたしにつきつける。


「あたしのしでかしたことを知って恐怖よりも関心が勝ったろ? 自分もやってみたくなったんじゃないのかい? そんなお前は魔女になれる大きな資質がある。お望み通り魔女にしてやろう」


 私は魔女から目が離せない。


「考えてみれば、マザー・ファニーサンデーたちの秘蔵っ子を悪い魔女に仕立て変える以上の嫌がらせなんてありやしないからねえ……。こいうのを最近〝悪堕ち″って呼ぶんだろ? お嬢ちゃん」


 私はつばを飲んだ。


 向こうの世界では女の子たちが不測の事態で苦しんでいる。魔女の誘いにのるわけにはいかないことは冷静に考えてみるまでもないことだ。

 いくら私がキューティーハートになるのが嫌でも、様々な誘惑に打ち勝って自分の目的を達成した東村はやとの漫画のヒロインにあこがれた者だ。そんな甘い誘いに乗るわけにはいかない。

 

 しかし魔女の誘いを「甘い誘い」と判断し、そしてそれはどういう意味かを把握している自分もいる。


「人間の欲望をいい感じに刺激して自分の有利な条件を飲ませる、それが魔女のテだよ」

 モモがその時隣にいてくれたなら、きっとそう注意をしてくれただろう。 

 しかしその時モモは遠く離れた場所にいた。声も聞こえないよう電話のコードもぬかれてしまった。



「さあ、どうするね?」


 私は魔女の手を取ってみたくてたまらなくなった。

 魔女のように誰にも縛られず、世界の平和も誰かの安穏とした日常も親の好感度もある種のヒロインとしての規範も考えず、自分のしたいことにだけ自分の力を存分にふるえたらどんなに痛快だろう。

 バカみたいな恰好もせず、キャラでもないのに愛らしくておバカな言動もせず、好きでも無いスイーツを笑顔で食べる、そんな毎日から解放されたら……。


 さし伸ばした魔女の手を取ろうとそろそろと自分の手を伸ばした時、不意にひらりと頭上から何かが飛び降りて魔女の顔面に張り付いた。

 これは魔女にとっても予想外の出来事だったようで、ギャッとうめいた。上から降ってきたもの。それはモモの使い魔のカエルくんだった。


「マミちゃん! ダメだよ。おばあ様の声に耳を傾けちゃ!」

 

 魔女の顔面を踏切台にしてカエルくんはジャンプし、あたしの頭に着地する。


「マミちゃんは魔女にあこがれを抱いているみたいだけど、おばあさまはあまりいいお師匠様じゃないよ。魔女業界じゃあブラック修行先で有名なんだ。ボクがもっとまともなお師匠様を探してあげる。だから正気に戻って」 


 カエルくんは私の頭から吹き飛ばされて壁に激突した。


「使い魔風情が! 勝手な口をきくんじゃない!」

「ほら、使い魔相手にこんな口をたたくパワハラお師匠様だ!」


 カエルくんは再度私の頭上に飛び乗る。ブラック、パワハラというあまにに人間社会めいた言葉に私の頭も現実寄りになった。とにかく、苦しんでいるみんなをどうにかしないと!


 魔女の申し出はとても魅力的ではあったので私は一礼し、ドアをけ破るようにして外へ出た。

 東村漫画の中で≪鏃山の魔女≫の住む魔女の鏃山の麓はヨーロッパ風の田園地帯だけれど、実際は常に空の模様が黄昏時で人狼や吸血鬼に魔女や小悪魔といったモンスターたちが住む小さな町だった。漫画やゲーム、アニメーションなどで描かれる「魔界」をイメージするとしっくりくるかと思う。

 

 その往来をあたしは走る。走る。とにかく自分が電車に乗ってやってきた駅へむかって走る。すれ違うモンスターたちはおやおや何があったという目で追う(あまり言葉を交わせなくて残念だったが、彼らはおおむね善良で気がよかった)。


 しかししばらくして魔女の声が空から降ってくる。振り向くとホウキにのった魔女があたしを追いかけてきた。


「マミちゃんも魔法で逃げればいい!」

 カエルくんは頭の上から叫ぶ。

「無理! 天河エミはまだデビュー前だもん。魔力はあってもまともな魔法も使えない!」

 

 あたしも叫び返した。本当は私もユメノやヒメカのようにシャイニープリンセスの娘で結成されたシャイニープリンセスプティットというユニットの形態には変身可能だけれど、専用の変身アイテムがないので無理だ。走りながらナナコおばさまのコンパクトを開いて呪文を唱えるのも難しい。


 お待ちぃぃぃ! と鬼のような形相で追いかけてくる魔女は、私めがけてそらから電を落としてゆく。魔法少女の第六感を駆使してそれを避けるが、衝撃波が私を翻弄する。


「ちょろちょろするんじゃないよ!」


 魔女が今度は空から雹を降らせた。道行くモンスターたちも悲鳴を上げる。私も魔力で盾を作ったが、こんな初歩の魔法では耐久力なんてあったものではない。盾ごしにバラバラと氷の礫をぶつけられる痛みが襲う。もちろん走ってなんかいられない。


 その隙に魔女は旋回して私の行く手を阻むように前方へ移動する。逃すまいとしているのだろう、不意に建物が大きくゆがんで巨大な壁のようになって私たちをとりかこんだ。その中で魔女は巨大な火吹き龍の姿に変わる。龍に変身した魔女は鼻から炎を噴きださせながら鉤爪の生えた前脚で、オウムが入るような鳥かごを差し出す。


「さあ、いい子だからこの中にお入り。私がお前を一人前の魔女になれるよう仕込んでやろう」


 魔女にはなりたいが言葉を仕込まれるオウム扱いは違う。後じさったその時だ。

 

 三日月の形をしたプラチナの光線が照射されて火吹き龍の目を焼いた。ギャアアア! と龍は叫び、その姿は魔女に戻る。

 建物は再び元の大きさに戻った。幻術だったのだろう。


 私は光線が放たれた方角を見た。常に黄昏時である筈の空の真上に巨大な満月が浮かび、そこからサーチライトのように降り注ぐ光が、私のよく知っている少女を浮かび上がらせていた。

 三日月の光線からそうじゃないかと予想した通りの姿だ。



「誰だい!あたしの目を焼いたのは!?」


 両目に手を当てる魔女の問いかけに、膝まであるツインテールにレオタードと制服を混ぜたようなデザインのコスチューム姿でロッドを構えた少女はみんなが知ってるポーズを決めながら名乗りをあげた。


「女の子達の夢を奪う邪悪な計画、お天道様が見逃してもお月様は許さない!銀の光で悪を撃つ、シャイニープリンセスただ今参上!」


 おおっ、雹の礫から逃れるために屋内に逃げ込んでいた住民達がといつの間にやら表に溢れ、みんな知ってるあの少女の登場に歓声をあげた。


「シャイニープリンセスだ! シャイニープリンセスが来たよ!」

「本当にいたんだ!」

「キャー!こっち向いてええ!」


 この町にもいたらしいファンの声援にウィンクで応えたあと、華麗にジャンプをしてから、あの人はこんな世界でまで人気者だったんだ……と驚く私のそばに舞い降りる。そして、頭にのったカエルくんごと私を抱きかかえて、さっと飛び上がった。


 近くでみる姿は、動画でみるのと変わらない完璧な美少女魔法戦士姿だ。



「怪我はない、エミちゃん?」

「どうやってここに……?」

「質問は後、それからお説教も後。月光のエレベーターが虹ノ岬町に続いてるから乗って頂戴」



「させないよ!忌々しい魔法少女が!」



 視力を戻した魔女が大きく膨れ上がって巨人になり、ホウキで満月を叩き落そうとする。シャイニープリンセスはもうっ! と叫び、ロッドを降った。三日月の光線が魔女を再び撃つが、今度は魔女がうるさそうにホウキではたきおとしてしまう。

 それに町の住民がブーブーと抗議した。引っ込め! だの、強欲ババア! だの、この町を支配しているのはこの魔女の筈なのに散々な罵詈雑言を飛ばし始めた。どうやら≪鏃山の魔女≫はあまり人望が無いらしい。

 魔女は腹を立てて住民たちにも雷を降らせと、住民たちもいよいよ怒って鍋窯を投げつけだした。

 

 騒ぎが大きくなるなる中、私はシャイニープリンセスに情けなく泣きついた。


「ママ、無理だよ! あの人はすごい魔女なんだよ! 魔法少女たちの魔法を否定したんだから」

「知ってるわよ。でもシャイニープリンセスたちが一体何年悪い魔女たちと戦って地球を守ってきたと思ってるの?」

「……」


 確かに。思わず私は納得してしまった。

 冥界の魔女、異次元の魔女、悲しみから生まれた魔女、絶望を司る魔女、暗黒星雲の化身である魔女……等、シャイニープリンセスは様々な悪の魔女帝国と闘い、滅ぼし、時にはその悲しみを癒して浄化してきたのだった。いわば対魔女との魔法戦闘のプロ中のプロだ。


 シャイニープリンセスは私を自分がさっきまで立っていた屋根の上に下ろす。その途端私の体は月の光に包まれてふわふわと浮かび上がった。その手にシャイニープリンセスは私の変身アイテムになる予定の、ハート型のブローチを握らせる。


 次期キューティーハートのヒロインに渡されるはず変身ブローチ。現状まだ社外にもちだしてはいけないはずだ。


「勝手に持ち出しちゃったから、さすがにママも怒られちゃうわね。その時は一緒に謝りましょうね」

 ペロッと舌を出しながらウィンクするシャイニープリンセスを見ていると、思わず胸がいっぱいになる。

 

「ママ、無理だってば。向こうじゃあたし達の魔法は使えないって……!」

「あーら、いつも減らず口ばっかりで頑固で強気なエミちゃんはどこへいったの」


 私の額をピンと弾いて、シャイニープリンセスはおしゃまに笑った。


「月光のエレベーターが使えるのは一度きり。ママはあなたたちが魔法を取り戻してくれないとずーっとここにステイしなくちゃいけなくなるの。それってとっても困っちゃうのよね〜。来週にはまたお仕事で海外へ行かなくちゃだし」

「わかった、分かりました!」


 何が何でも魔法少女を復活させよ、シャイニープリンセスはそう言っている。それだけの混乱を引き起こしたケリはつけなさいと。


「分かったけれど、あたしはいつか魔女になるんだから!」


 ふわふわと浮かびながら私は叫んだ。こんな場合ではないと分かってるのに、魔女から助けてもらいながらなんてことを言うんだと呆れたけれど、でも言わずにはいられなかった。


 シャイニープリンセスはウインクで返す。


「安心して、シャイニープリンセスは全ての夢見る女の子の味方」


 去り際に私の頭をなで、ついでにエミをお願いねと言づけながらカエルくんも撫で、そしてチュッと投げキスをしてから繋いでいた手を離す。ひゅううっ! と高速で体は月へと吸い上げられる。


 巨大化した魔女の顔面が正面にあり、浮かび上がる私をその手で捕まえようとするが月の光は一種のレーザーのようで熱くて触れないらしい。


「あの!せっかく資質を見抜いてくださったみたいなのに、ごめんなさい!」


 怒りくるう魔女は聞いていなそうだが私は礼儀としてできる範囲で謝罪した。


「私は将来あなたのような堂々として誰にも媚びず自分を捻じ曲げない魔女になりたいと思っています!ほんとです!」


 頭の上でカエルくんが「マミちゃんはわりと趣味が悪いね」と呆れていた模様。魔女もゴチャゴチャ五月蝿いよと叫んでまともに聞いてはいなかったが、とにかく今は自分の意思を伝えたかったのだ。


 高速で吸い上げられる私はあっという間に魔女も、魔界のような町も足元に見下ろし、気がつくとぱあっとまばゆい光の中にいた。



 ……。

 

 

 光が薄れ、肌が太陽に照らされるあの感覚とセミの鳴き声、町の喧騒を耳にして私はおそるおそる目を開けた。

 

 そこは私のよくしる虹ノ岬町……ではなかった。

 地形こそは私のよく知るあの町だが、夏の太陽に照らされて、どこか白茶けた海辺の小さな町だった。

 

 昭和の名残をとどめた商店街にそって駅前まで歩けば全国的に名の知れたスーパーの大型店舗があり、ウインドウから見える一階のフードコートでは制服姿の中高生が涼んでいる。濃い緑のところどころにレトロな西欧風建築が見え隠れして風情があるといえばあるが、特になんてことはなさそうなごく普通の町だった。

 

 おかしい、虹ノ岬町は今大嵐に見舞われているはずだ。時間も夜の筈。こんな退屈と紙一重なのどかな午後のわけが無い。


「どうなってるの?」 

 と思わず口にだして呟いた時、頭の上からゲコ、とカエルくんんが鳴いた。

 どうやらこの町に着いたとたん使い魔としての能力を失って普通のカエルになってしまったらしい。

 

 炎天下では酷だろうととりあえず彼をポケットに入れて移動する。


 

 原因をさぐるために勝って知った道を歩く。

 「聖地巡礼」の観光客でにぎわっていた商店街はところどころシャッター店が目立つ鄙びた商店街になっていた。営業している店舗ではお年寄りが店番をし、いつものクレープ屋はクレープのほかにもかき氷や今川焼やたこ焼きなんかも売る小さな駄菓子屋さんになっていた。そこには自転車でのりつけた夏休み中の小学生のたまり場になっている。

 ジーニさんのパン屋は更地になっていて軽トラが停まっている。

 

 商店街を抜けてサンデーちゃん記念館だった洋館へ向かうと、柵がとじられ「旧モンゴメリー邸の開放日は毎月第二第四日曜となります 松ヶ岬町」の看板がかけられていた。


 とりあえず例のクレープ屋と同じ場所にある駄菓子屋まで戻る。

 

 小学生や店の人があたしをみて一瞬驚くのはどうやら私のピンクの髪の色のせいらしい。ここではカラフルな髪の女の子は少ない模様。


 学校があるはずの坂の上からおりてくる中学生女子たちの髪の色はものの見事に黒か、先生に怒られないレベルの茶色に染めた子たちだった。

 彼女らの制服も半袖のワイシャツにチェックのスカートというごくごくありふれたもの。一人はこんがり日焼けした背の高い女の子、もう一人はショートカットの中性的風貌の子、最後の一人は私のよく知っているあの子だ。


「夏休みにまで部活とかやってらんないよね」

「そうそう。やすませてほしいよね~。来年になると受験勉強しなくちゃなんないし」

「今年くらいはすきにさせてほしいよね。あーもう焼けて最悪」


 ペットボトルのジュースを回し飲みしながら歩く女の子たちに見覚えがあり、私は思わずあっと声を上げた。

 その声に驚いたらしいその子が私を一瞬見て、髪の色に一瞬意表をつかれたような表情になるも、見てはいけないものを見たようにさっと視線をそらせてしまう。

 その子の友達は彼女たちからすれば異様な風体の私と、その子を見比べて不思議そうに尋ねる。


「ゆめっち、知り合い?」

「さあ? 知らない子」

「すっごい髪だよね~、レイヤーさんかな」


 ひそひそ、女の子たちは通り過ぎてゆく。


 私が気になった、友達に〝ゆめっち″と呼ばれたその子はつまり、私の知っているユメノだったのだ。

 つまり黒髪の「普通の女の子」に変身したユメノにそっくりな女の子。

 しかしユメノにそっくりな少女は私のことを全く覚えていない、もしくは覚えていて無視をした……。歩きだしながら私は考えた。


 

 月のエレベーターは大嵐で大ピンチに見舞われている虹ノ岬町に出るはずだったのに、なぜか着いたのは平和でのどかな松ヶ岬町。


 そこにいたのは魔法少女たちではなく、自分の夢の通り「ごく普通の女の子」として「ごく普通に」生活しているユメノ。


 これではまちがってユメノの夢の世界へ到着してみたいじゃないか。あまりにもわからないことだらけで情報端末でもあるコンパクトを開いてみたけれど、当たり前のように私の顔をうつすだけのコンパクトになりはてていた。

 

 途中で本屋に立ち寄る。テレビ絵本ラックにはキューティーハートの絵本がささり、漫画コーナーには東村はやと先生の漫画がならんでいる。ゲーム情報誌をパラパラ眺めれば候補生のあの子やこの子のイラストが見えた。

 コンビニではアミの両親チームが活躍するハリウッド映画のキャンペーンが行われ、シャイニープリンセスのグッズがあたるくじも開催されている。


 坂を登り、中学の前を通りすぎる。

 そこにいたのもごく普通の中学生たちだ。私のような女の子たちはどこにもいない。手がかりを求めてそのまま足を進め、候補生たちが生活していた寮の前まで来てみる。が、そこも塀に囲まれたただの更地になっていた。



 万事休すだ。


 手がかりを失ってその場にへたり込む。

 


 セミがやかましい

 私はそのままへたりこんだ。ユメノの夢の中に迷い込んでしまったのは魔女の妨害か。それともなんらかのメッセージか……。ゲームだとこういう時にあたりを捜索して手がかりを見つけるはずだけど、情けない話、炎天下を歩き回って体力を消耗していた。考える力も起きない。


 その時、ゲコ、と一声鳴いてポケットから飛び出したカエルくんがブロックで舗装された舗道に着地する。

 そのままゲコ、ゲコ、と鳴きながら坂道を下っていった。私はそれを追いかける。使い魔でなくなったカエルくんは今やたんなる小さなカエルだ。人や車に踏みつぶされでもしては大変だ。

 

 カエルくんに導かれてやってきたのは、虹ノ岬町ではサンデーちゃん記念館と呼ばれている筈の旧モンゴメリー邸。手入れはされているが閉鎖された洋館だ。

 さっき来た時と同じように門扉はかたく閉ざされていて、人の気配はまるでない。


 カエル君は門扉の隙間からひょいと敷地内に入ってしまい、そこからこちらを振り向いてゲコ、と鳴いた。これはもう「入れ」のメッセージだろう。

 門扉にはられた警備会社のステッカーが気になったが、ためらっている場合ではない。私は門扉に手をかけた。

 その時指さきに、ぶうん、とかすかにふるえる振動のようなものを感じた。それは私にはなじみのある、懐かしい感触だった。魔法の波動だ。ここには魔法が流れている。


 ガチャガチャと音を立てて門扉が勝手に開き、どうぞというように館の扉が開く。

 

 そこからかけ飛んできたのは赤毛のみつあみおさげのあの子、モモだ。


「マミぃぃぃぃ!」


 叫ぶなり私の首っ玉にかじりつく。その衝撃で私はしりもちをついたが、モモはそのまま涙をながして喜んでくれた。



「ありがとう、マミ! マミがきてくれれば百人力だよ!」


 

 感激に浸るモモは、自分が私をここまで導いてくれたカエルくんを踏みつぶしたことに気づいていなかった様子だ。

 






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