第76話:重要人物の長期不在の例
前回の内容を受けて、コメント欄でいくつかご意見をいただいた。そこでちょっと思い出したのが有名な「あしながおじさん」である。この作品こそは重要な人物の不在を最初から仕組んでいる作品の元祖だと言いたくなるような、いやこの場合は完全な不在ではないだろう、と言いたくなるような微妙な作品なので、興味のある方は考えてみていただきたい。
今回は「重要人物の長期不在」の例をいくつか挙げてみる。
まずは押見修造「悪の華」で、これはある中学生男子がある行為を目撃されたため、ある人物に脅迫されるという、ぼんやりした書き方で説明すると本当にぼんやりした話になってしまう全11巻の漫画である。
前半はひたすら話がエスカレートし、盛り上がる一方で、ある頂点を迎えて以降はがらりとトーンが変わる。A面は息つく間もないハードロックばかり、B面にひっくり返すとまったく別の静謐なバラード集になってしまいました……という感じである。これは実際に読んでみていただきたいのだが、さる重要人物の不在ぶりが半端なく見事なので、読者としてはおあずけをされている犬のような心境で読み進むしかない。この作品は実写映画化されるそうだが、せめて二部作にしてこの長期不在を延々と描いてほしかった。
次も漫画で奥浩哉の「GANTZ」である。これは13年も連載が続いた人気作品で、私はつい最近、二週間くらいで読み終えた。いくつかのパートに分かれているうち、全体の七合目くらいにあたる「大阪編」の評判が良いので、ここだけワイド版やカラー版が出ているほどである。
そして何と「大阪編」は重要人物が不在のまま進むのである。「大阪編」を独立させたものを読む人は気づかないかもしれないが、直前に殺されてしまうので「えーっ!?」という驚きの余韻が残りつつの「大阪編」突入なのである。その後もその前も何かとサプライズの多い作品なので、とにかく普通のミステリに飽き飽きして、びっくりできないでいる人にはお勧めしたい。
小説で一作だけ挙げておきたいのは有名な「羊たちの沈黙」で、これは映画をご覧になった方も多いかと思う。88年に書かれて映画化が90年という、思えばもう30年も前の作品である。自分は映画化用のジョディ・フォスターのカバーになる前に新潮文庫を読んだ記憶があるので、89年くらいになるのだろうか。
本作ではさる重要人物が、最後に失踪して「どこに行っちゃったんだろう、あの人は?」という状態になる。その続編の「ハンニバル」は99年に刊行なので、実に十年もの間(!)、世界中の人間にとってあの人物は「どこに行っちゃったんだろう、あの人は?」のままだった訳である。人気シリーズが中断してしまうと似たような状況は生まれるのかもしれないが、この「ハンニバル」が出るまでの期間は、現実の世界で「続編が出る」という保証もない宙ぶらりんの状態だったため、おあずけ度もまた高かったと言えるのではないか。重要人物の長期不在においては「戻ってこないかもしれない」という予感もまた複雑な味わいを添えてくれる。
次に映画で挙げておきたい作品は93年のアメリカ映画「デーヴ」である。大統領のそっくりさんが本物の大統領そのものになるという替え玉コメディなので「あーなるほど、本物の大統領が長期不在というわけか」と早合点されるかもしれないが、
違います!!
そっちじゃなくて!!
別の人だよ!!
と大声で叫びたいほど、見事な長期不在が描かれている。
と言っても最初の方ではナニなので、その人が誰なのかわかりにくく、説明もしにくいのでどうにも書きようがない。
さて、ここまでを要約すると強く勧めたいのは「悪の華」と「デーヴ」の二作である。しかし何となく今回の文章を読んでいる人は、はっきりしない説明ばかりが続くので、モヤモヤしてしまうかもしれないので、最後に以前ちょっと考えた「プリティ・リーグ」の代案について書いてみたい。
本作は女子野球を描いた映画だが、何を隠そう「野球」を描くことにはさほど興味がないらしいという珍品なのである。では何を描いているかというと、野球以外の要素にばかり労力を費やしている。姉と妹、世相、戦争、人種差別、そして時代の推移、等々が織り成すドラマを描きたがっているのだ。
これに比べると「スラムダンク」はバスケを知らない人にもバスケの魅力がわかるように描かれていたし「スウィングガールズ」は動機やモチベーションについて、説得力のある段取りが描かれた上で、最後には皆の心が一つになるという美しい流れがあった。
しかしこの映画の主人公チームがワールドシリーズに出場して、最後の決戦に到るまでの経緯は何と「新聞の見出し」→「新聞の見出し」→「新聞の見出し」→「新聞の見出し」という手抜き描写によるものである。それ以前も「何となく才能がありました」「何となく合格しました」「何となく勝ってしまいました」というだけなのであった。
監督やその他の選手も描写が足りない。元有名打者で、今はアル中のトム・ハンクス演じる監督はここぞという場面で見事な采配を揮うかというと、特にそういうことはない。マドンナはなぜ女優をする気になって、何をしに出てきたのかよく分からないが、ちょっと過去のある女を演じるだけでお終いになる。強打者の引っ込み思案の選手は最初だけ印象的だったのだが、結婚して途中で戦線離脱してしまう。これでは登場人物の無駄遣いという印象を受ける。
もうちょい全体を延ばして、1話50分×12話くらいのドラマにするべき内容ではないだろうか。トーナメント戦にして、8、9、10話の準決勝くらいに実質的なピークが来るべき話である。
準々決勝あたりから調子を落とした主人公がスランプで打てなくなって、さらに相手チームの変化球投手や敬遠策にも悩まされる。妹とは仲が悪くなって、夫は戦争から戻らない。いよいよもうダメか、という大ピンチの場面で「もう負けだよ!」と腐る選手たち。最低最悪の状況で曇り空になって、雨もポツポツ降ってくる。
監督「お前たち、忘れちゃいないか?」
選手たち「え?」
監督「――俺たちのチームには、もう一人の強打者がいるってことを……」
選手たち「?」
ここで満を持して、結婚していなくなったあの娘(引っ込み思案の強打者)が戻ってくるのだ。こういう風に「長期不在→劇的な復活」を成し遂げるのが端役キャラならではの盲点、かつ華やかな見せ場にもなるので経済的、ストーリーも整合性を失うことなくうまく進むので、一石二鳥か三鳥くらいのはずである。
「こんなこともあろうかと思って、選手登録は残しておいたのさ」と監督が言えば辻褄が合うし、このひと言さえあれば、それまで無能と思われていたアル中監督だって顔が立つのだ。マドンナが伝書鳩でも飛ばして、呼び戻したことにでもすればもっと辻褄が合う。
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