第77話:百万円分の価値
金持ち社長が百万円を百人に「お年玉」と称してばらまいて、物議を醸した。その是非は非の方が多かったようだが、私は単なる是非とはちょっと違うことを考えた。
この社長は本当に現金で百万円を配ったので、その価値については「現金百万円=百万円の価値」と一致している。
これがもし「書籍(小説)を百万円分」として配ったら、どうなるのだろうか。
たとえば講談社の社長が「弊社の書籍を百万円分、百人にプレゼントしますよ!」と呼びかけたとしたら、おそらく……。
いや講談社でなくて、幻冬舎でも文芸春秋でも国書刊行会でも新潮社でも同じことなのだが……。
あまり書きたくないことだが……、世の人は喜ばない。
それどころか、
「それって、もらっても置き場所に困るんですけど」
「もらっても読めないんですけど」
「すぐに売ると幾らくらいですか?十万円にはなります?」
「そもそも小説を読まないんですけど」
「ありがた迷惑なんですけど」
という声の占める割合が、およそ98%くらいになるのでは……。
つまり、その~、「書籍(小説)を百万円分」の価値というのは、どのくらい換金できるかにかかっているので、新品ならせいぜい十万円~かなりよくて二、三十万円ほどのものでしかないのでは……。
私自身も、百万円の図書カード(使用期限が十年くらい)ならば素直に「わーい」と喜ぶが、それは自分にとっては現金に近いというその「近さ」を喜んでいるのであって、誰の書いた本だか何だかわからない、選べない小説が百万円分であれば、それはもう貰った瞬間からゴミに近い。
仮に「過去の直木賞受賞作すべて!」でもまあ、それと似たようなものだし「現在の直木賞選考委員の先生方のご著書を百万円分」でも、ちょっとそれはなあ……、と尻込みしたくなる。要するにあまり歓迎していないのだ。
芥川賞はなおさらいらないし、それなら谷崎賞、泉鏡花賞、読売文学賞あたりから選べて百万円分はどうですか?と問われても、やはり最近の本を百万円分ほど選んで、ブックオフに売ることを考えてしまう。
だからといって小説は無価値だと言いたいわけではなくて、自分で読書会をやってみると「何かしら面白い本、自分の知らない本を読んでみたい」と参加者の皆が口をそろえて言うのだ。老いも若きも、男も女も。よく本を読む人も、そうでない人も。
このギャップは何だろうと思う。
一方には「換金できなければ無価値」に近い書籍の山があって、反対側には「面白い本を読みたい」と考えている大勢の人がいて、その中間にいるはずの書店は「売れない、売れない」と嘆いてばかりいる。
で、カクヨムには「書きたい、読まれたい、デビューしたい、デビューできなくてもいいからとにかく書きたい」と思っている書き手の卵が大勢いて、コンテストも盛況で、にもかかわらず出版業界全体としてはパッとしないニュースしかない。
小説に限らず、漫画や、映画や芝居のチケットに置き換えても上記の反応や構造と似たことは言えないだろうか。どうも娯楽全般が氾濫しすぎて、飽和状態かそれ以上になっているのが我々をとりまく現状らしい。
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