第44話:退屈さについて

 tamanineという人か、ブログの名称かよく分からないが、ネットでまとめて読んだ文章の中に、退屈さを持った映画に惹かれるという箇所があった。


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 暗い場所にひとり座って、あたたかい手が差し出されることは救いだけれど、暗い映画の中の孤独にひとり呼応する時間もまた、停滞した時間に寄り添うあたたかさを感じる。映画がどんなに殺伐としていたとしても。


 時折、退屈な映画が見たくなる。華やかな物語が進む映画より、退屈な映画を何度も見返す時間の方が長いかもしれない。


 ただ綺麗で退屈な映画がいい。


 その綺麗さは豪奢であることではない、世界はいつでもどこかで美しいのだから。


 世界はいつでも、どこかで何かが美しいんだろうか。


 それは私の目がよくなれば見えてくるんだろうか、それは私の耳がよくなれば聞こえてくるんだろうか。


 ↑


「華やかな物語が進む映画」は、確かに時々とても退屈で、わずらわしくさえ思われる。自分も面白いものを書こうとし過ぎて、そういう退屈さの持つ豊かさを忘れかけていた。ハラハラどきどきや、興奮や意外性ばかりを追求していると、すぐに書き手としては行き詰まるのではないかとも思う。

 もし誰かの書く小説が退屈だったとしても、もしかすると「停滞した時間に寄り添うあたたかさ」を持っているのかもしれない。とすれば、それにはそれなりの価値があって、それを求めている人もいるのだ。

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