第33話:「文章読本」丸谷才一

 先日書いた「司馬遼太郎論ノート」をきっかけに丸谷才一の本を何冊か再読してみると、以前よりも面白味がかなり増していた。

 おそらく文中に出てくる固有名詞や作品名に関する理解が深まったためで、解像度が上がったように文章がクリアに読める。あと十年後や二十年後に読み返したら、もっと面白くなっているかもしれない。


 ところで丸谷才一の「文章読本」は最近、読まれているのだろうか。

 カクヨムには「創作論」というカテゴリーがあって、いろいろな人が文章論を書いているが、有名な谷崎潤一郎、三島由紀夫、丸谷才一の「文章読本」に関する話題は見かけない。

 そもそも「文章読本」というタイトル自体がほとんど死語に近い。いま現在の人気作家や実力派の作家が「文章読本」というタイトルで本を出せるかどうか、実力的にも教養的にも、また営業面においても、「社会がそれを求めているか」という点においても難しそうである。

 となるとほぼ最後の「文章読本」が丸谷才一のものだということになる。いま手元にないのだが、覚えているのは「名文を読め」「名文から学ぶ、その学び方こそが個性であり才能」といった箇所である。


 検索してみると、該当部分の引用が見つかったので、そのままコピペしてみる。


 ↓


 しかし文章上達の秘訣はただ一つしかない。あるいは、そのただ一つが要諦であって、他はことごとく枝葉末節にすぎない。当然わたしはまづ肝心の一事について論じようとする。

 とものものしく構えたあとで、秘訣とは何のことはない名文を読むことだと言へば、人は拍子抜けして、馬鹿にするなとつぶやくかもしれない。そんな迂遠な話では困ると嘆く向きもあろう。だがわたしは大まじめだし、迂遠であろうがなかろうと、とにかくこれしか道はないのである。観念するしかない。作文の極意はただ名文に接し名文に親しむこと、それに盡きる。事実、古来の名文豪はみなさうすることによって文章に秀でたので、この場合、例外はまったくなかったとわたしは信じてゐる。


 ↑


 こんな感じである。

 読みやすくて、論旨がはっきりしていて、ここには引用できないが、本書は名文そのものをちょいちょい引用する。その例文も小説だけでなく、エッセーや手紙文まで入れてくるので、退屈しないようにできている。

「人は好んで才能を云々したがるけれど、個人の才能とは実のところ伝統を学ぶ学び方の才能にほかならない。」

 のように、要旨をコンパクトにうまく断言してくれるので、頭に入りやすいのである。


 他に有名な言葉として「ちょっと気取って書け」という教えもあった。

 これは何も、格好つけろとか、修飾語を増やせとか、そういった教えではなくて、意識の上で多少、よそ行きの感覚で文章を書けということである。三枚目の文章を書く作家は、三枚目を気取っている、といった指摘を覚えている。


 とにかく本書は面白くてためになる本の代表例なので、未読の方には強くお勧めしたい。

 丸谷才一は他にも小説、エッセー、文学論、日本語論、対談集、さらに句集や書評集など著作が多くある人なので、丸谷才一への入門書としても本書はお勧めできる。

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