第32話:性格や行動の一貫性と説得力

 常識的に考えて、作中人物の性格や行動には一貫性がなければならない。

 これは創作において当然すぎるほど当然のルールである。強気でプライドの高いキャラクターが、急に臆病で涙もろくなってメソメソするのはおかしい。破綻している。


 ところが現実の世界ではそうでもないことが多々あって、先日観たドキュメンタリー映画「立候補」では、マック赤坂というちょっとした変人が、勝つ見込みのない大阪府知事選に出馬する。


 この人はほとんど「奇行」に近いレベルの選挙活動をするのだが、政策について本気でアピールする訳でもなく、街頭演説で変な踊りをする程度のものである。だから応援する気になれないし、正直なところあまり映画としても面白くない。ただ、この映画の上手いところは前半ほとんどマック赤坂ほかの泡沫候補の姿を淡々と映すのみで、価値判断を強いてこない点にある。


 そのマック赤坂の長男がインタビューに応じて、父親のやっていることにはあまり賛同できない、もっと真面目にやるべき、と批判的なことを言い始めると、急に話が立体的になってくる。なぜか観ている自分としてはここから急に引き込まれた。


 その後、マック赤坂は他の候補者の街頭演説に乱入して、また騒動を起こすのだが、このクライマックスの部分が過ぎると、ずーっとダメで説得力のなかったマック氏の立場に、なぜか心情的に肩入れしたくなるのである。支離滅裂で無計画で、いい加減な人で、好き嫌いでいうと好きにはなりにくい人なのだが、なぜか肯定したくなる。


 不思議なことに、その後に再登場した長男も、父親に対して全面的ではないにしても肯定的な発言をする。理屈の上ではマック赤坂は大して変わっておらず、肯定する理由がないのだが、群衆から出る無責任な野次に対して、反論することで父親を擁護するのである。


 大雑把に言うと、マック本人は、小説のキャラクターとしては「無謀」という一貫性があるかもしれないが、その一貫性にはリアリティが欠けていて、しかし実在するという困った存在である。しかし、なぜか少し肯定したくなる。息子は主張に一貫性があるようでいて、あるとき急に変容して父親をかばってしまう。そしておそらく、また元に戻る筈である。


 この映画のこの二人のことを考えると、無理につきつめて「一貫性」を維持しようと努めるのは、かえって創作にとってマイナスであるような気になってくる。ある小説に登場人物が十人いるとしたら、そのうち二人くらいは、当初決めた「一貫性」から逸脱する行為をした方が、かえってリアルなのかもしれない。


「モチモチの木」「あとかくしの雪」「泣いた赤鬼」など、民話や昔話、創作童話にはそうした例が比較的多いように思う。

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