とびきりのあじ、さいごのひと時

 デザートが出来上がるまでには恐ろしいほどの時間がかかった。

 佳織は手際よく材料を計り撹拌し型に入れ、プリンは蒸し器に、シフォンケーキはオーブンに入れたのだが、そこからの待ち時間が途方もなかった。

 プリンは蒸し器で二十分、そのあと常温まで冷やしたら、今度は冷蔵庫に入れて二時間待った。

 シフォンケーキは焼きあがるまでに四十分、その後、なぜか上下をひっくり返して四時間待った。


「こうしないとシフォンケーキは潰れちゃうし、四時間は待たないと味が馴染まないの」


 佳織はプロっぽい説明をしてくれたが、俺にはなんのことやらわからず、だがとにかく胃袋が落ち着くまでの空き時間ができたことが嬉しかった。


 待ち時間を俺たちはモノポリーをして過ごした。話しているうちに依子さんが無類のボードゲーム好きと知ったので、押し入れの奥から引っ張り出してきたのだ。

 サイコロを転がしてスゴロクの要領でゲームは進んでいく。土地を買って資産を増やして、プレーヤー同士で交渉して土地や鉄道を売り買いする。

 盤上に二か所の落とし穴であるところの刑務所があり、油断すると刑務所送りになってしまう。何もできずにただじっと、他のプレーヤーが動いているのを見ているしかなくなる。

 その刑務所に、依子さんはたびたび入った。そして俺と佳織のコマが動き回るのを無表情にじっと見ていた。まるでうらめし屋のトイレで店を出入りする客を見つめ続けていたみたいに。



 佳織のプリンは素晴らしかった。

 とろりと口の中でとろけて新鮮な卵の味がしっかりとわかるのに、バニラの香りと優しい甘さと相まってカスタードプリンとしてひとつの世界を形作っていた。


 シフォンケーキにもおどろいた。フォークをいれるとふんわりと沈みこむのに、一口分を切り取ると、またふわりと立ち上がった。まるで花がひらくように美しかった。口に入れてもすぐに舌になじみ、シュンという音を残して消えてしまう。口の中にはひそやかな甘い記憶だけが残った。


 俺の手を動かしてフォークを置いた依子さんは、満足げに深い息を吐くと俺の中から出て行った。


『佳織はチョコレートのお菓子も作るの?』


「え、うん。作るよ」


『バレンタインデーが楽しみだな』


 佳織は頬を赤く染めた。


「それまで裕司に憑りつき続けるつもり? いいかげん満足しないの?」


『いや、本当に美味しかった。満足してる。ただ……』


 依子さんは胸の前で構えていた腕を、体の横にだらりと垂らした。あまりに弱弱しい姿に俺は思わず依子さんの肩に手を置こうとした。

 けれどもちろん俺の手は依子さんの体を素通りし、空を掻いた。依子さんはそれを見て苦い笑いを浮かべた。


『やっぱり、父さんが作ったみそ汁を飲みたいんだ』


「でも、俺が食べてもおやじさんの味を父親の味だとは思えないし、愛情不足を感じるだけなんじゃ……」


「ねえ、依子さん」


 佳織は真剣な表情で依子さんを見つめている。


「私に考えがあるの」

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