はらがみちても、みたされなくて

「もう、無理です……」


「泣き言を言わない。ほら、たくさんあるんだから、どんどん食べて」


 食卓に所狭しと並んだ料理から思わず目をそらす。俺の胃袋はパンパンで、とうに限界を超えていた。

 佳織が作る料理を、俺に憑依した依子さんは次々と平らげていった。


『このから揚げは薄味すぎる』


 だとか


『おしいな。カニチャーハンには全卵より卵白だけの方が合う』


 だとか細かい文句をつけて、そのたびに佳織は闘志を燃やして次の料理を作り上げた。俺は食べ盛りの男子のうちでも大食いの方だと思う。けれど、すでに三人前以上の量を食べ続けている。もう無理だ。

 依子さんは憑依していても俺の苦しみはわかってくれない。料理の味はしっかりわかるが俺が感じる苦痛は届いていないらしい。


『次はデザートが食べたい』


「まかせて! お菓子作りには自信があるから」


「ちょっと待ってくれ。何も佳織が頑張らなくても、美味いものならそれこそうらめし屋に行ってもいいし、駅前にできた有名なケーキ屋に行ってもいいだろ。その方が手っ取り早く美味いものが食えるって」


『馬鹿か』


 依子さんが俺の口を使って俺をけなす。


『食べる人のことを思って作った食べ物がこの世で一番美味しいに決まってるだろう』


「うらめし屋のおやじさんだって食べる人のことを考えてるよ」


 はあ、とあきれたようなため息が俺の口からこぼれた。


『にぶいな、裕司は」


「はあ?」


『食べる人みんなのための料理より、お前のためだけの、お前のことだけを考えて作った料理こそ美味しいに決まって……』


「わあ! わあ、わあ、わあ!」


 突然、大声をあげて佳織が俺の口をふさいだ。


「依子さん、そんなことどうでもいいでしょ」


 依子さんは俺の中からすうっと抜け出すと、俺の隣の椅子に座った。


『まあ、佳織がいいなら、いいけどね』


「それより、デザートよ。何がたべたいの?」


『佳織が得意なものでいい』


「うーん、それならプリンかシフォンケーキかな」


『どっちも食べたい』


「わかった。うちから材料とか取って来るから待ってて」


 縁側から佳織が出て行くのを確かめてから、俺は依子さんに聞いてみた。


「俺って、にぶいですか」


『にぶちんだ』


「味オンチってことですか?」


『そういうところがにぶいんだ』


 それ以上は何も答えてくれず、依子さんはじっと窓の外、青空を見上げていた。


『私の鼻、おかしいだろ』


 とつぜんの質問に思わず「はい」と答えそうになったが、なんとか踏みとどまった。けれど妙な間ができてしまって、依子さんは俺が言いたいことを全部くみとってしまった。


『この鼻はな、蜂に刺されたんだよ。毒性の強い蜂じゃない。ただのミツバチ』


 うつむいた依子さんの鼻は髪にかくれて、また見えなくなった。


『野生のハチミツを食べてみたかった。美味しいものを求めて世界中を旅して、ハニーハンターっていう職業を知った。その名の通り野生のハチミツを探して採集する仕事だよ』


 ハチミツは全部、養蜂場で作られているものだとばかり思っていた。世の中には色んな仕事があるもんだ。


『アナフィラキシーショックって知ってるか。アレルギー症状の一つだが、重い症状が出るんだ。蜂に刺されても一度目は大丈夫なんて言われているけれど、体質次第では一度でも命の危険はある。そのせいで私は死んだ』


 依子さんの声はうらみをはらんだ重いものへと変わっていく。


『私はまだまだ美味しいものを食べたかった。それだけが思い残しなんだ』


「なんで、うらめし屋にいたんですか」


 依子さんはちらりと顔を上げて、また深くうつむいた。


『私の実家なんだよ』


 そう言って、堅く口を結んでしまった。俺はなんだかすごく切なくなった。きっと本当は依子さんが一番食べたいものは、依子さんのためだけに作られたおやじさんの手料理なんだ。

 だけど、俺には依子さんが本当に望むことを叶えてあげることはできない。依子さんの体はもうこの世にはないし、おやじさんがいくら依子さんのためを思って作っても食べるのは俺の口なんだ。俺はおやじさんの料理を父親の味として懐かしむことはできないだろう。


「材料そろったよー」


 元気のいい佳織の声が聞こえた。

 決めた。なんだって、何度だって、食べてやろう、依子さんが満たされるまで。俺は胃袋に気合を入れた。

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