であったふたり、おもいつうじて
佳織が目を覚ましたのは倒れてから一時間ほどたってからだった。佳織のぐったりした体を必死でベッドに移した甲斐があって、寝覚めは悪くないようだった。
「裕司……」
「おー。気が付いたか」
「私、どうしたんだっけ。なんだか怖い夢を見ていた気が、する、ん、だけど……」
佳織の声はどんどん小さくなって、部屋の中を見渡していたその目が、ばっちりと幽霊を捉えた。
『う~ら~め~し~や~』
また叫びだしそうな佳織の肩を軽くたたいてやる。佳織は俺の腕にしがみついて何とか正気を保っているようだ。
「依子さん、それはもういいですから」
『……私のアイデンティティなの』
「幽霊らしさはこの際、置いておきましょう」
「裕司? 誰としゃべってるの?」
「誰って、目の前にいるだろ、依子さんだよ」
佳織は涙目で俺を見上げた。
「なんで平然と幽霊と会話してるのよお」
「佳織が気を失ってる間にいろいろあったんだよ」
「いろいろって?」
「自己紹介したりとか、幽霊ってどんな感じか聞いたりとか、俺に憑りついた目的を教えてもらったりとか」
「憑りつかれた理由がわかったの!?」
「ああ、そうだけど」
「じゃあ、すぐに除霊しないと!」
「ああ、そうするつもり。だから佳織」
俺は佳織の両肩をしっかりと掴んだ。
「俺のためにみそ汁を作ってくれ」
なぜだか佳織は顔を真っ赤にした。
依子さんに聞いたところによると「俺にみそ汁を作ってくれ」いうセリフは昔ながらのプロポーズの言葉だったらしい。若い俺はそんなこと知るよしもなかったが、なぜか知っていた佳織は赤い顔のまま台所に立ってくれた。なにやら誤解が生まれたようだが今さら訂正するのも悪い気がして黙って待っていた。
母が亡くなってから半年。なにくれと世話を焼いてくれた佳織たち一家のおかげで、ろくに家事ができない俺と親父だけの家でも荒れ果てるということはなかった。
最近は俺も埃を払って掃除機をかけるとか、洗濯物を干すときにはシワを伸ばすもんだとか、そういった常識が身についた。
だけど料理はからっきしだめで、俺と親父はほぼ毎食をうらめし屋の世話になっていた。当然、台所にはろくな食材はない。それでも佳織は戸棚をごそごそやって使えそうなものを探し出し、みそ汁を作り上げてくれた。
「どうぞ。高野豆腐とワカメのお味噌汁です。乾物しか材料がなかったから地味なんだけど」
照れくさそうな佳織が俺の前に置いてくれたみそ汁は、みそを吸ってほんのり茶色に染まった高野豆腐と、きちんと戻ったワカメが渋い色味のコントラストを描いていてうまそうだ。
「いただきます」
俺が両手をあわせて言うと、依子さんの姿がスッと消えた。同時に背中にずしりとした重さと悪寒を感じる。依子さんが俺に憑依したのだ。
汁椀を取って箸で汁の実を押さえつつみそ汁をすする。
『…………』
もう一口飲もうとした俺の手が、憑依している依子さんによってピタリと止められた。
『だしがなってない』
「え?」
聞き返した佳織の顔を俺はまじまじと見つめた。というか、俺に憑依した依子さんが佳織を見つめたわけだが。
『合成粉末だしを使ってる。こんなの本当のみそ汁じゃない』
「だ、だってしょうがないじゃない。この家には昆布もかつおぶしもないんだもん」
『言い訳はいらない。うまいみそ汁も作れないなんて今どきの若い娘はこれだから……』
依子さんは俺の体を使って大げさなため息をついてみせた。佳織の目が三角に吊り上がり俺をにらむ。違うんだ、佳織! 今のセリフは俺のじゃないんだ!
『嫁入り修業が必要なんじゃない?』
真っ赤になった佳織のするどい平手が俺の頬にヒットする寸前、依子さんは俺の中から抜け出した。
腫れあがってじんじんと痛む頬を氷嚢で押さえた俺に佳織は何度も頭を下げた。
「ほんとうにごめんね、ついカッとしちゃって」
「もういいから、気にしなくて」
「それにしても、美味しいものを食べたいから成仏できないなんて、依子さんって食いしん坊よね」
『なんとでも言うがいいさ』
「美味しいものなら、うらめし屋でいくらでも食べられるでしょ。わざわざ裕司に憑りつかなくても」
『肉体がない身で食べるものなんて砂の味しかしないんだよ』
依子さんは悲しそうに肩を落とした。佳織は自分自身も食べることが好きだからか、話し込むうちに依子さんに同情を抱いたらしい。
「まかせて! 私が裕司にお腹いっぱい美味しいものを食べさせるから!」
佳織は依子さんの目を見て力強くうなずいてみせた。
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