とりあえず部屋、場所わきまえず
気が付くと俺は自分の部屋にいて、幽霊と向き合って正座していた。
幽霊は絵に描いたような幽霊っぷりだった。エリのあわせが左前の白い着物を着て、額には小さな三角の布を結んでおり、両手は胸の前にぶら下げられている。
ざんばらな長い髪がうつむいた顔を隠していて、全体的に色が白い。肌など特に白くて透き通りそうだった。
『どうも……』
幽霊はぼそりとつぶやいて深々と頭を下げた。
「えっと……、どうも」
俺はなんとなく返事をしてみたが、幽霊はそれ以上何を言うでも、するでもなくうつむき続けている。いったい何が『どうも』だったのか分からないまま、俺は幽霊が顔を上げるのを待った。
けれど、どうやらいつまで待っても動きそうにないぞと気づいた時には足のしびれがきれていて、俺はごろんと床に横倒しになった。痛痒い足の疼きに耐えきれずゴロゴロとのたうち回っているうちに、幽霊のひざ元まで転がってしまった。その時に見えた、ざんばら髪の下から覗いた幽霊の顔をなんと形容したらいいだろう。
抜けるような白い肌、伏し目がちな瞳は大きく黒く、形の良い唇は血のように赤く。そして鼻は巨大なウインナーのように美しい顔の真ん中にぶら下がっていた。
『見~た~な~』
「す、すみません」
幽霊はますますうつむいてしまい、俺は申し訳なさから正座に戻る。そしてまた足がしびれてのたうち回り……。俺と幽霊は何度も目を合わせ、そのたびに幽霊は深くうつむいていき、最後には床につっぷしてしまった。
「あの、ほんとにすみません。覗くつもりは全然なかったんです」
声をかけても幽霊からの返事はない。困り果てているところへ、庭の方から佳織の声が聞こえてきた。
「裕司、いるんでしょ」
「おー。上がって来いよ」
佳織が縁側からやって来る足音が聞こえる。俺はしびれた足をかばって横座りのままドアが開くのを待った。
「今日、うちカレーだから夜は食べに来なさいって、母さんが……」
しゃべりながら部屋に入ってきた佳織は、まず初めに情けない顔をした俺を見て、次に部屋の真ん中でつっぷしている幽霊を見て、最後にもう一度、俺の顔を見た。そして空手の気合で鍛え上げた声量で耳をつんざくような悲鳴を上げた。
パニックになった佳織は俺の腕にぶら下がって叫び続ける。
「ゆ、ゆうれい! ゆうれい! ゆうれい!」
「わかった、わかったから耳元で叫ぶのはやめてくれ。鼓膜がやぶれる」
「なんでそんなに落ち着いてるのよ! 幽霊なのよ、幽霊! それとも……」
ハッと佳織は幽霊を凝視した。
「コスプレ!?」
「いやいやいや。本物だよ」
「なんでこんなところに本物の幽霊がいるのよお。まだ朝なのよ、幽霊が出るなら夜でしょお」
泣き言を繰り返す佳織の頭をなでてやりながら俺は考えた。うらめし屋の幽霊だから、定食と同じで時間は関係ないのかもしれない。朝でも昼でも夜でも、もちろん深夜でも、うらめし屋の幽霊は出没する。あり得ることだ。
「俺、どうやら憑りつかれたみたいなんだ」
「なんでそんなに落ち着いてるの! 一大事じゃない!」
「まあ、憑りつかれても今のところ実害はないから……」
「幽霊なんているだけで迷惑でしょ!」
『あの……』
会話に割り込んできた声に佳織が不思議そうな顔をした。
「裕司、今『あの……』って言った?」
「俺じゃないよ」
「じゃあ……」
『私です』
幽霊が少しずつ少しずつ頭を上げていく。顔を隠していたざんばらの髪が肩へと流れていく。佳織は現れてくる幽霊の顔から目を離せない様子だ。目を見開き、呼吸がどんどん荒くなっていく。恐ろしいものを予期して佳織の口から今にも叫び声が飛び出しそうだ。
俺は両手で耳をふさいだ。だが幽霊の顔を見た佳織の第一声は「それ、パーティーグッズ?」だった。
顔の真ん中に大きなウインナーのような鼻をぶら下げた幽霊は申し訳なさそうにつぶやく。
『本物の鼻です……』
申し訳なさそうに、というか悲しそうな様子の幽霊を見て、佳織は自分の失言に気付いたらしい。
「ごめんなさい、変な意味じゃないの」
『いいんです。う~ら~み~ま~す~か~ら~』
佳織は白目をむいてばったりと倒れた。
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