恋は硝子のむこう

かめかめ

第1話 小雪と桃

「まーた、あんたたちはイチャイチャして」

「本当に困ったレズだねえ」

 黒板の文字を消している私の背中に抱きついた桃を見て、さやかとあきほが呆れ声をあげた。

「レズですけどー、何か?」

 桃は一層、私に絡みつくようにくっついてきて二人を軽くにらんでみせた。さやかはつまらなさそうに読んでいた本に目を戻し、あきほは私に同情の言葉をかけた。

「小雪は大変だよね、何年も桃のおもりを続けてさ」

「おもりってなによお。小雪は桃のこと好きだから一緒にいてくれるの!」

 そう言って桃は私から離れようとはしない。いつものことだ。私の胸の奥がチクリと痛むことだって、そう、いつものこと。

「ね、小雪。桃のこと好きだよね?」

 桃の笑顔ははじけるように明るくて、私は抗えずにうなずいた。桃が言う『好き』と私がずっと隠している『好き』が違うものだということに、ぎゅっと目をつぶって。


 私と桃は生まれた時から一緒にいる。産婦人科の保育器が隣同士で、母親たちのベッドも偶然にも隣同士だったから。母親たちは自然と仲良くなって、退院してからもほとんど毎日お互いの家を行き来した。

 私が一番初めにしゃべった言葉は「ママ」でも「まんま」でもなく「もー」だった。「もー」と呼びながら桃に手を伸ばしていたのだそうだ。小雪は生まれた時から桃の面倒をみる運命なのかもね、と言って母親たちはいつも笑う。私は困ったふりをして、わざと眉を寄せてみせる。そうすると桃がかわいらしく頬をふくらませるところを見られるから。

「もう、小雪! そんな顔したらダメ! 小雪は一生、桃と一緒にいるんだからね」

 その甘い言葉は優しい鎖になって私を繋ぎとめる。桃に縛られて、私はくらくらするほどの幸せを感じる。

 一生一緒に。それは私が生まれた時からずっと望んでいることなのだから。


 高校入学とともに私は長かった髪を切った。

「もったいないなー。小雪、ロングよく似合ってたのに」

 そういう桃の髪はふわりとしたクセのある猫っ毛で、桃に抱きつかれたときには首筋に当たってくすぐったい。私の重くて黒い髪とは大違いでかわいらしい。

 でも桃は私の髪が好きだと言っては頬ずりした。だから私は少しでも桃と距離をとりたくて髪を切った。少しでも、少しでも遠くに行かないと、私はいつか私の気持ちを抑えきれなくなる。


「じゃあね、小雪」

 二人が別れる路地につくと、桃は背伸びをして私の唇にちゅっと音がしそうな小鳥のようなキスをする。そうして、くるりと背を向けて楽しそうに帰っていく。

 私たちのキスの習慣は幼稚園の頃から始まった。桃の両親はいつでもキスを交わす明るい夫婦だった。それを見て育った桃はキスに抵抗がなくて、キスをするのが大好きな子になった。

 それでも、キスというのは特別な人としかしないものだということは幼いながらに分かっていたらしく、誰かれかまわずキスを迫ることはしなかった。桃がキスしたがるのは私だけだった。

 私もキスは好きだった。両親とキスを交わすことはなかったが、桃が教えてくれたやわらかな唇の感触が幼い私を魅了した。私と桃は挨拶するよりも多くキスをした。


 それが普通じゃないと初めて知ったのは小学校に上がったころだった。


「女の子同士はちゅうしちゃいけないんだよ」


 隣の席のみわちゃんがそっと教えてくれたのだ。私はそれを、なかなか桃に話すことが出来なかった。知ってしまったら桃は私とキスしなくなるのだと思ったから。


「なんでだめなの? ちゅうは大好きな人とするんだよ。桃は小雪が大好きだもん。だからいいの」


 桃はクラスの真ん中で堂々とそう言い切った。私は思わず泣きそうになったけれど、涙は必死に我慢した。桃とキスをすることができると思っただけで泣きそうになる。それくらい、桃のことを好きなのだと初めて自覚した。その『好き』が特別だということも。

 それ以来、私はずっと苦しい思いを抱えたまま桃の隣にいる。

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