承香殿女御 肆

太后 貴子の語る


 安子どのですか。

 ええ、覚えておりますよ。

 つまらぬ望みを抱いたものです。

 挙句、手に余る術に手を出して、周り中を巻き込んで自滅してしまった。

 可哀想?

 さあ、どうなのでしょうね。

 とかくこの世はままならぬもの。まして后がねとして育てられた女なら、思うような人生など歩めぬ事が当たり前。

 そもそも自分の生きたいように生きようなぞと思うのが、もはや不心得というもの。

 帝が多くの女君を迎えるのは当たり前。

 后がねの女が数多いるのも当たり前。

 しかも安子どのが入内遊ばした折にはすでに幾人も皇子がおられたのですもの。

 入内するその時から安子どのには勝ち目などありはしなかったのです。そのぐらい考えなくてもわかりそうなものですのにね。

 皇子を産み参らせ、立坊させ、立后する。

 なるほど私は全て叶えましたとも。

 輝子内親王もしかり。

 ですがそこに至るまでになめたものの苦さは、絶筆に尽くし難いものでした。

 おそらく輝子内親王にも、彼女の修羅があったはず。

 一方的に羨まれ、妬まれる程に平穏な歩みではなかったのですけれど。

 もっとも、これこそ言っても詮無きこと。

 立后を果たした者はせいぜい誇らしげに胸を張るべきなのでしょうね。それが安子どののような方に対する礼儀というもの。

 それにしても、幸いとは何なのでしょうね。

 立后した私達が幸いかと言えばそうでもない。

 だれよりも寵愛された珠子どのは夭折してしまった。

 どちらも逃した安子どのは、足掻いた挙句に自滅。

 かと言って、最初から最後まで麗景殿でただ静かに暮らすのみであった敏子どのが幸いであったかというと、とてもそうとは思えない。

 後宮に入った女というものは、幸いなぞ求めてはならぬという事なのでしょう。

 可哀想?

 私も?

 まさか。

 それを可哀想などと思うなら、宮廷になど近寄らぬ事です。

 宮廷とは国を治める場所。

 後宮は国の礎を確かならしめる仕組み。

 そこに自ら望んで与しておいて、自らを憐れむなど愚かしいこと。

 私達の舐める苦さも、修羅も、全ては国と帝のためにあるのです。

 そう、きっとそれがいけなかったのでしょうね。

 安子どのにはそれがわかっていなかったのでしょう。

 え、私?

 ふふふ、どうでしょうね。

 私はわかって、それでも踏み越えているのかもしれません。

 何を?

 それは口にしますまい。

 私の命ももう、そう長くはありません。

 私は尽くせるものを全て尽くしてしまった。

 だから、なんの後悔もないのですよ。

 そうですね、その分だけは安子どのより幸いなのかもしれません。

 安子どのを看取ったのは私です。

 どうやって?

 それも口にはできません。

 術に溺れた者の末路など、結局どれも同じようなものなのかもしれませんね。ならば私の最期もまた、安子どのと大差ないのでしょう。

 そのことにもなんの不満もないのです。

 私が自身に課したものを果たすために、生きた結果なのですから。

 おや、案外と私は幸いなのかもしれませんね。

 敗残の将の如く矢は尽き、盾は折れ、剣は刃毀れしていようとも、自らの役割を果たすことはできたのですから。

 もしかしたら安子どのも、悔いのない最期だったのでしょうか。

 安子どのは安子どのなりに、自分の望むものを掴もうと足掻いたわけなのでしょうから。ぜひ、そうあってほしいものです。

 全力を尽くして結果が出ないのを口惜しく思うのはあたりまえ。とはいえそこまでの全力を後悔するようでは、后がねの女とはいえますまい。

 力足らず事ならなくても、せめて誇り高く顔を上げてその結果を受け止めるくらいはできなくては。

 安子どのの最期のようすですか?

 さあて。

 御遺骸はきれいでしたよ。

 まさに眠るような死に顔でした。

 

 

 

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