三位入道

 壮大な夢を見た。

 俺は須彌山を右手に掲げている。

 山の左右には日と月がいっぺんに出て、えらく明るい。

 俺はしばらく眺めたあと、そいつを海の上に浮かべて小舟に乗り、西の方へと漕ぎ進む。

 そういう夢だった。

 言うまでもない神夢だ。

 ただ、そういう事よりも、その夢から覚めた俺は京の暮らしがなんだかばかばかしくなってしまった。

 京は狭い。

 宮廷は更にせまい。

 その狭い場所で鼻を突き合わす連中は、どいつもこいつも親類ばかりだ。

 父方の従兄弟とか、母方のまた従兄弟とか、大叔父とか。

 そんな決まりきった顔ぶれで、やはり決まりきった役割をぐるぐる回しているばかりだ。

 おれは猟官運動に乗り出した。

 狙うは播磨国だ。

 大国で近国、文句なしの上国というやつだ。

 父には大反対された。

 岳父にもだ。

 妻には泣かれた。

 俺はその頃中将のまま三位に上がったばかりだった。

 だが、俺は狙った地位をもぎ取ると、妻を連れて任地へ下った。


 播磨で財を築いた俺は明石に邸を構えて出家した。

 娘は神霊を見る質で、託宣を受けているようだった。与えられた使命のある者をそこらの有象無象に縁付けるわけには行かない。

 だから娘は龍宮王にやるのだと言いふらした。

 娘がなんの使命を得たのかはやがてわかった。

 源氏の君だ。

 娘は源氏の君の大姫を生んだ。

 この孫娘は国母になる娘だ。あの夢はその事を表していたのだ。

 俺にはその事がよくわかった。

 娘には受難だったであろうと思う。

 妻はよく泣いていたが、娘は涙を見せようとはしなかった。

 やがて京に帰り座いた源氏の君の招きに応じ、俺は娘と孫娘に妻をつけて京に送った。

 まず源氏の君のお手許に引き取られたのは孫娘だった。大姫は源氏の権の北の方に育てられることになった。

 大姫と引き離される折に、さすがの娘が涙を流したという。

 哀れだとは思ったが、それが必要なことであるのも確かだった。大姫が立后するとなった時に、権の北の方の娘である方が通りがいい。それもどうせなら袴着から大々的に源氏の君の本邸で行って、大姫ありとお披露目される方がいい。

 おそらくそんなことは源氏の君が娘に話したであろうし、娘も納得したのだろう。可愛がっていた孫娘を奪われた妻は、嘆きを書いて何度も送ってきたが、娘は何も言っては寄越さなかった。

 実は、源氏の母君である更衣と俺は従兄妹にあたる。更衣の父親が俺の伯父だからだ。

 更衣の母君はきつい女で、後宮中の恨みや反感を買った。その煽りを受けて、俺もひどく苦労させられた。後援者を欠いた更衣の後ろ盾の如くに更衣の母君に言いふらされ、父と二人弁明に追われたのだ。

 その頃にはすでに伯父は薨じていて更衣の近い血縁といえば私達しかいなかったのだ。

 俺が京を捨てた理由の一つはこの時の経験だ。誰が誰とどういう係累であるかということを、いちいち気にして動くことに嫌気が差してしまったのだ。

 そして源氏の君の権の北の方と源氏の君も従兄妹だ。権の北の方の母君は伯父が通い所でもうけた娘だった。

 大姫が入内した東宮もまた大姫の従兄。

 なんの事はない。結局は狭い血族の中の話に戻っている。

 なんともしまらない話だが、結局は俺も生粋の宮廷雀なのだろう。

 入内した大姫はこの度無事に若宮をあげたという。

 随分若い出産であったので気を揉んだが、これでひとまずあの夢は成就された。そうである以上俺自身もあの夢の如く去りたいと思う。

 邸はすでに寺に変えた。

 娘や妻への手紙も書き置いた。

 あとは俺にはついてくるという酔狂な下男一人を伴って、深山に分け入ろうと思う。

 俺には法要も墓もいらぬ。

 俺が死んだらこの身体は熊なりと狼なりとに施してしまえばいい。いずれ誰もがたどり着けるという場所で、そのうちには会うこともあるだろう。

 あとは辞世の歌を書き置いて、筆を置こうと思う。


 ひかり出でん暁ちかくなりにけり

       今ぞ見し世の夢がたりする


 

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