帝器
残念という言葉を彼は全身に浴びて育った。
彼がどれだけ努力を重ね、あるいは豊かな天分を発揮しても、その言葉は彼に纏わりつく。いや、むしろ彼が結果を出すほどに色濃く纏わりついてくるようだった。
彼には母親がいなかった。
彼がまだ幼いうちに母は身罷ってしまったのだ。
父には妻が多く、彼はその何処にも自由に出入りを許されていた。
父の妻たちは皆、彼を可愛がった。
ただ、余りにうっとりと彼を見つめる様子を見ると、彼は自分が自分でないような、なんとも寂しい思いにかられるのだった。
一人、彼を自身の子どもたちと等しく扱い、ただの子供として接してくれる妻もいた。しかしその人には三人の子がいたので、彼が必要としているほどにかまってもらうことは難しいのだった。
やがて彼は、自分に「天孫の光」というものが強く備わっていることを知った。
その光故に人が彼を愛する事を知った。
それは帝の器を計られる力で、その光が強いにも関わらず母の身分故に帝位につけないことを惜しまれていることも知った。
なんだ、みんなが見ていたのはその光だったのか。
残念なのは彼ではなくて、その光だったのだ。
皮肉な事に彼自身にはその光がわからなかった。
光だけでなく、あやかしも精霊も彼にはほとんどわからない。
必死になって気配を探り、やっとほのかに存在を感じ取れるかどうかというところ。他人があやかしに反応する様子に合わせた方が、話が早いくらいのものだ。
彼は自分が見鬼ではないことを誰にも話さなかった。
この上、他人の失望を背負い込みたくはなかった。
彼は臣下に下されることになり、源の姓と光という名が与えられた。
結局のところ彼の存在は、彼自身には感じることも見ることもできない光に規定されているのだ。
母なら、彼が覚えていない母ならば、彼自身を愛してくれたろうか。
そのぼんやりとした思いは、新しい父の妻に出会ったことで形になった。
母にそっくりだという触れ込みのその人はとても若くて、彼の腹違いの姉と同じくらいの歳だった。
彼は足しげくその人のもとに通った。
その人も彼をかわいがってくれた。
その人は父の寵姫で、いずれは御子を生むのではと言われていた。
それは嫌だった。
その人に子が生まれれば、その人はその子にかまけるだろう。
彼にとって幸いな事にその人は懐妊しなかった。
やがて彼は元服し、臣下に下されることになった。もう父の妻たちの部屋に入ることはできない。
彼は女性というものを知った。
同衾している間の女性は彼自身を見ているように思えた。
かれは多くの女性と通じ、遂にはあの、父の若い妻に通じた。そうすれば彼女が本当に自分だけを見てくれるのではないかと思ったからだ。
彼女は彼の子を産んだ。
でも、それ以来彼女は彼を避けるようになった。
何人の女性と通じても、彼は満たされない。
彼には見えない天孫の光は、彼が望みもしないのに多くのものを惹きつける。それでいて彼が満たされることを助けてはくれないのだ。
彼は一人だ。
彼に寄り添う誰のことも、もう彼には見えない。そして一人でどれだけもがいても、彼が満たされることはないのだ。
彼のまわりで多くの人が傷つき、損なわれ、歪んだ。
それは彼の存在故であったが、どちらにしても彼にはどうする事もできない事だった。彼には自分にはわからない天孫の光をどうにかすることなどできない。
そしてそれ以上に、彼はその事に無頓着だった。もうそれはどうしようもない、気にしても仕方ないこととして、彼の中で処理されていた。
源氏は静かに瞑目している。
簡素な庵に作られた仏壇は、華美ではないがしっかりとしたものだ。そこに源氏と同じ身の丈の大日如来が鎮まっている。
庵を結ぶにあたり、源氏は他にも貴族が多く住まう辺りを避けた。
北山に僧都の庵は多い。
昔、妻の一人の縁子が祖母と暮らしていた辺りなど、昼間は貴族やその従者たちの往来がほとんど絶えることがない。
源氏にとってそれはひどく煩わしい事だった。
息子の満はその意をよく汲んだ。
北山の奥に広大な土地を入手し、他人の往来を制限した上で、その域内の村落からほど近いところに簡素な庵を建てた。
見た目は簡素であるが銘木を使い、名のある職人を数多集めて建てさせた庵は、見た目よりもずっとしっかりとした建物だ。
同じように檜垣で囲んだ範囲こそ狭くても、その周囲は村も含めて庵の庭という扱いで、源氏が山里の侘暮らしの慰めにできるようにと、手入れの手が入っている。源氏の庵はそういう形の、贅沢で広大な別宅なのだ。
村にいる、昔宮中で下女勤めをしていたという心きいたる女とその夫が、庵の世話を任され、それ以外の人手は域内に建てた山寺に置いて庵の敷地の管理にあてた。
これを光が出家に際しての持仏を彫らせている間にやってのけたのだから、満も大したものだ。
光が思い描いているのは物語のような詫び住まいだが、光が本当の不便や寒さに耐えられないことを満はよくわかっていた。
物語は美しいが現実はたいていそうではない。現実を物語に寄せるには多大な努力と資金がいるのだ。
だから、源氏は瞑目している。
彼にはもう何も煩うことがない。
彼に天孫の光があろうがなかろうが、それが見えようが見えなかろうが、ここではもう何の関係もありはしない。
それは確かに一服の絵のような光景だった。
庵に移って数年を経ず源氏は薨じた。
源氏が生まれることを五色の光で寿いだ空は、紫の雲を山にかけることでその死に哀悼を示した。
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