第5話

「えっ、あっ、いや、はい?」


 こういう時、つくづく思う。私は動揺を隠すのが下手だと。目線はきょろきょろと移ろい、唇はくっついていない。


 そんな記載、資料には無かったはず……


 しかし、そんなことなど死確者の耳に届かず、もう片方には聞こえるはずもなく、二人の会話は進んでいく。


「……すまない」


「すまない? そんな言葉で済まされると思ってるの」


「済まされるなんて思っていない。許されるとも。ただ……本当にすまない」


 視線を真下に落としたまま、壊れた機械のように繰り返す死確者。


「すまない、すまないって……」


 悔しそうに憎らしそうに、明美さんは声を奮わせる。湧き上がる怒りを必死に噛み殺しているのだろう。拳を固く作り、歯を強く食いしばっている。


「穂乃果のこと、どこで知ったの?」


「知り合いから」


「知り合いって誰?」


「それは……その……」


 まさか天使からだとは言えない。

 嘘じゃない。紛れもない真実なのだが、ふざけているとしか思われない。今ここに漂うはそういう空気感。だからだろう、死確者はそれ以上、何も言わずただ口をつぐんで、立ち尽くしていた。


「……帰って」視線を逸らす明美さん。「あんたなんて、見たくない。穂乃果ほのかを殺したあんたの顔なんて」


「明美……」


 話を聞いて欲しかったのだろう、死確者は身を前へと乗り出し、少しだけ手を差し伸べる。


「いいから、帰ってっ!」


 死確者はびくりと手の動きを止めた。


 墓参りしに来た近くの人たちが視線を向けてきた。眉が上がったり、口を軽く窄めたりした驚きの表情で。

 まあそうだろう、墓地で大声を上げている人など、そうはいないのだから。


 死確者は何も返さない。目を細めるだけで、持ってきた物を手に取り、来た道を戻り始める。


 だが、明美さんとすれ違い、ほんの数歩歩き、立ち止まる。そして、顔を明美さんのいる背中へ少し傾ける。


「すまなかった」


 小さな声で呟き、死確者はまた歩き始めた。


 小さな石が踏まれてぶつかる軽い音だけが、死確者の足元から鳴る。

 水汲み場まで帰ってくると、残っていた僅かな水を捨て、桶と柄杓を元の場所へと戻す。


「申し訳ありませんでした」


「何が?」


「その、ご案内するタイミングが悪くて。もう少し時間帯をずらせばよかったですね」


 死確者は何も答えない。ただただ両足を動かして、前に進んでいるだけだった。




「もう知ってるんだろう」


 そう口にしたのは、細かな白い砂利道を超えた、墓地の敷地を出た時であった。


「何をです?」


「とぼけんな。穂乃果の眠る場所、知ってたんだ。なら、死んだ理由だって、どうせ分かってるんだろう」


「……はい」


 嘘をつく必要はない。仮に何か言われるとしても。


「組の抗争に巻き込まれて……でしたよね?」


「ああ」


 死確者はそう答えると、頭のてっぺんを雑に、そして強く掻きむしった。


「もう随分と経つ。何十年も前の話だ」


 死確者はポケットへと両手を入れた。


「当時、俺が所属していたクロキ会とウミヤ組は、縄張り争いしていた。ウミヤは新興組織ながら血の気の多い奴らばっか揃っててな、暴対法なんてなんのその。しかも警察に息のかかった連中がいたらしく、その後ろ盾使ってしょっちゅう暴れ回ってた。うちらクロキ以外とも喧嘩していたが、特に揉めてた」


「何故です?」


「まあ簡単に言やぁ、金の成る木が縄張りにあったから、だな」


「ほう……」


「幾度となく喧嘩しては若頭同士、組長同士でメンチ切りながら、どうにか収めていた。だが、パンパンの風船に空気を送り続けるごとく、いつ破裂してもなんらおかしくはなかった。時間の問題だったんだ。明美もその現状を知っていた。早く身を引いてくれ、とよく言われたもんだ」


 死確者は左の眉の端を小指で掻く。


「俺は穂乃果と公園で遊んでた。組がごたついてなかなか遠出してやれなくてな、せめてもと思ったんだ。その時だ。突然公園の入口に白いバンが止まった。視線を向けた途端、後部座席のスライド式のドアが勢いよく開いた。そこに銃を構えた奴が二人いるのが見えた。マシンガンだ。銃口は俺らの方を向いた。俺は覆い被さるように前に出て、穂乃果を抱きしめたんだ。咄嗟の反応だった。あの時は考えてなかった。守ろうと身体が本能的に動いたんだと思う」


 死確者は両手のひらを出すと、強く握りしめた。


「真っ昼間に銃声が聞こえてきた。数発、身体に強い衝撃が当たってくる。鋭い痛みが来るが、抱きしめ続けた。銃声が鳴り止んだ瞬間、身体から力が抜けた。気力すらない中で、男女の悲鳴を聞きながら、俺は力の抜けた膝から崩れ落ちた。薄れゆく意識の中で、穂乃果の服が真っ赤になって……そのまま倒れたことに気づいた」


 死確者は手から力を抜き、おもむろに視線を空に向けた。ゆっくりと目を閉じた。「次に目を覚ましたのは、三日後。病院のベッドの上だった」と、目を開けたのは数秒経ってからだった。


「意識不明の中、俺は生死を彷徨い続けた。だが、ようやく起きた俺に告げられたのは、痺れを切らしたウミヤが脅しのために組員を殺そうとしたことと、俺の身体を貫通した弾で美優が死んだこと、だった。穂乃果を返して、とぐしゃぐしゃに泣き腫らした妻の顔と姿と声は、今でも忘れられない」


 死確者はまたも深くため息をついた。


「完治していない身体で俺はすぐに組長の元に向かい、やらせてくれと言った。やらせろ、の意味は分かるよな」


「ええ」


 殺めるあやめる、ということ。


「だが、止められた。白昼堂々と銃ぶっ放したんだ。流石の警察も威信かけて、躍起になっているはず。ウミヤの壊滅は時間の問題だってのは見えていた。だが、仕掛けられたこととはいえ、こちらとて下手に動けば一緒にしょっ引かれて、暴対法で消されかねない。組長の言うことは間違っちゃいない。組を守るためには。だが、俺にとって、穂乃果を奪われた俺にとっては、大いに間違っていた。撃ってきたアイツとそれを命令した上のウミヤ組の幹部連中の息の根は止めないと。かといって気が晴れるかは分からなかったが、少なくとも気は済まなかった。だから俺は指詰めて、組を抜けた」


 左小指が無いのはそういうことだったのか。


「しかし、何故指を切ったのですか。痛いのに」


 死確者はフッと微笑み、左手をまじまじと見つめる。おそらく見ているのは例の、第二関節から上のない小指だろう。


「ヤクザの世界ってのはな、仁義で通ってんだ。人との繋がりもそうだし、何かを最後まで貫き通すってこともそうだ。俺はそれを最後まで通せないと思った。それに、俺の行動は間違いなく組に迷惑をかける。組長の言うことを聞くことがどうしてもできなかったからな、辞めて組から抜ければ関係ない、俺一人で勝手にやったことにするって意味もある。あとは、親父という世話になった組長への、まあ、謝罪だな。誠心誠意の」


 誠心誠意さを伝えるために指を詰めていたら、いくつあっても足りない気もするが、まあそれがヤクザという、暴力団という、そして極道という世界のしきたりなのだろう。


「そんで俺は一人一人調べ上げ、警察に捕まる前に、俺たちを襲った二人の男たち、ウミヤの若頭、そして組長。どいつらも例外なくまず動けぬよう急所と四肢に一発ずつ撃ち込む。続けて肺、胃腸、肝臓、腎臓。至近距離で潰しておく。そして、恐怖に怯えた顔の眉間に最後の一発をズドン。穂乃果にしたように、全身に弾をぶち込んでやった」


 死確者は人差し指を引く。まるで、透明な拳銃でも握っているかのように、引き金に手をかけているかのように。


「だが、最後の組長だけはしぶとくてな。眉間にぶち込むまで、抵抗してきた。どこからか日本刀を取り出しては、俺の顔めがけて一振りしてきた」


 死確者は目の傷に触れる。そうか、その時にできたものか。


「全ての目的を果たした俺は、近くの交番で自首した。夜勤の若い兄ちゃんが血まみれの俺を見て、恐れ慄いていたのをよく覚えてるよ」


「それで、刑務所へ」


「四人だからな、刑期は長かったよ。出たのはつい最近だ」


「死確者はお酒を、こう、よく嗜むようになったのはそれからですか」


 中毒ということを、やんわりと言い方を変えた。何か気づかれるかと思ったが、死確者は「元々飲んでたがな、顕著になったのは、そうだな、出てからだ」と返事をした。


「明美とはムショで離婚届突きつけられたっきりで、連絡がつかなかった。いつのまにか独りになって、けど酒を飲めば酔って忘れられる。好きというよりかは、そうだな、頼ってた。弱い俺の救いだった」


 眉を動かし、眼との間を空けて、深くため息をついた。


「お前はもう知ってることだよな。長々とすまんな」


「いえ……」


 懺悔なのか、後悔なのか、死確者は娘の最期を全てを語ると、再び両手をポケットへと入れた。


 角を曲がる。道幅が広がる。住宅街の中ではあるが、人が増えた。


「お前にひとつ、嘘ついてたんだ」


 はい?「嘘、ですか?」


「墓の場所はな、実は知っていたんだ」


 何、ですと?


「ムショ出てからすぐに調べた。なかなか時間はかかったが、見つけた。その近くだからって理由で今の家に住んでる」


「つまり、あの家をわざわざ買ったということですか」


「いや、あそこは貸家。一軒家丸々、借りてるんだ」


「あぁ……」


 私の早とちりであった。


「けど、決心がつかなかった。行っていいのか分からず、行くべきなのか分からず、一向に決められないまま、月日だけがただ経っていった。そんな時、お前が現れて、俺が近々死ぬだなんて言い出した。お前の口から墓の場所を知ってると言われた時、かこつけていけると思ってな、利用させてもらったよ」


 天使は、利用されてなんぼ、というもの。まったく問題ないし、不快感を抱くこともない。


「しかしそうなると、明美さんの仰っていることは間違ってます。だって、娘の穂乃果さんを殺してはいないのですから」


「いや、俺が殺したようなものさ。明美から見れば、俺があの時公園に行こうと誘わなければ、言われた通り足を洗っていれば、穂乃果は助かったかもしれないんだからな。片足突っ込んでいた俺が殺したと思ってもおかしくはないさ。現に、判断の甘かった俺が殺したようなもんだと思ってる。もし少しでも違う行動をしていれば、穂乃果は……」


 死確者は二、三度軽く鼻を啜ると、そっぽを向いて穴の辺りを強く擦った。


「泣いてもいいんじゃないですか。別に悪いことじゃないですから。それに、泣くのは人間の特権です」


 我々天使は泣くことができない。感情が無いからか、そもそも涙腺がないからなのか、分からないが、だからか人間が泣くという行為に少しだけ羨ましさを感じていたり。


「アホ」死確者は眉間に皺を寄せて、私を見てきた。「泣いてなんかねぇよ。バカにすんな」


「す、すいません」


「だけど……まあ」死確者の声色は途端に戻った。「お前のその、気遣いだけは有難く受け取っておくよ」


 ふと私は周りに気を向ける。盗み見るようにちらちらと視線をやってくるサラリーマン、こそこそと小さく話しながらゴールデンレトリバーを連れる老夫婦。


「なんだ、どいつもこいつもじろじろ見てきやがって」


 理由はいちいち聞かなくても分かった気がした。「おそらく独り言にしか聞こえないからかと」


「ああ、そうか」どこか思い出したかのように死確者は頷いた。「お前は俺以外には見えないのか」


「ええ」私は死確者に促す。「少し移動しましょうか」


「いやいいよ。別に」


「そうですか」


「そんで、見えないってのは霊能力っていうのか? その幽霊とか見える力があってもなのか」


「はい。私たちは幽霊とは別の存在ですので」


 死確者は鼻で一笑する。「そうか。お前は天使だもんな」


「皆さんにはご迷惑おかけしますが」


「独り言、ねぇ……」


 組んだ両手を頭の後ろに付ける。だが、少しすると死確者はその手を解き、私の顔をまじまじと見つめてきた。表情は驚きそのもの。そして、本当に小さな声で呟いた。


「なんでしょう?」


「ああ、いや……」


 そう誤魔化すものの、天使というのはなにぶん耳がいい。バッチリ聞こえた。もしかしてお前、と。


「なあ」


 私は声をかけた死確者に顔を向けた。顔を見ると、死確者はまた正面に戻した。


「ここではなんだ。早く家に戻ろう」死確者は不意にそう告げてきた。


「は、はぁ」


 唐突な提案に、またも隠すのが下手な動揺が私の顔に姿を見せてきた。


「そんな訝しげに見んな。何、少しお前と話したいことがあるだけだ。俺がまだ若造だった時の、別の昔話だよ」

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