第3話

「知ってるのか?」


「え?」


 死神の唐突の問いかけに、私は素っ頓狂な返事しかできなかった。


「いや、さっきからずっと、顔写真のとこばかり見てるから、顔見知りなんかと思って」


 ああっ……死神の指摘で私は視線を動かす。一枚目で手が止まってしまっていた。


「いや、会ったことのあるような気がして」


 今回の死確者は、八千代やちよ雅廉まさやす。アルコール中毒を患っている男性だ。


「アルコール中毒の死確者ってこれまでには?」


「無かったが、何故そんなことを聞く?」


「ほら、そういう中毒症状を患ってる人間は、治療のために集まって話したりするだろう。集団カウンセリングみたいな。その時に見かけたんじゃないかって思ったんだ」


 その光景、海外の映画とかでしか観たことない。それに、どちらかというと、そのような形で集まるのはトラウマを抱えた、例えばPTSD患者とか、であろう。


「それか、どっかで見かけたんだよ、他の死確者についてる時に。俺もお前ももう長いことやってる。会ってる人間の数は相当なもんになってきたからな、そんな類いのことが起きてもなんらおかしくない」


「そうだな……」


「それか、アレなんじゃね? ほら……ええっと」


 死神は強く瞑ると、人差し指を額に小刻みに当て始めた。


「兄弟とか親とか親戚みたいに血が繋がってるわけじゃないのに、なんか似ちまってる人のことを……気のせいだよ的な意味の言葉だよ。あーなんだっけな、思い出せねえ。ここまで来てんのに」


 死神は喉元に手を当てている。


「ちくしょう、ド忘れしちまった」


 よっぽど悔しいのか、腰かけている土管に足をぶつける。


「もしかしてそれ」一つ思い当たる節があった。「他人の空似、か?」


「そう!」死神は目を見開き、視線を私に向けた。「それだそれ、他人の空似っ!!」


 嬉しそうに口元を弛めると、真っ直ぐ視線を前に直した。


「ただの、似てる人、だ」


 その一言を言いたいがために、土管を蹴るほどの悶着が、心の葛藤があったのか。


「それか」まだ続くらしい。


「現世には似た人が世界に三人いるって聞いたことある」


 へぇ。


「もしかしたらお前、残る二人のうちのどちらかを担当したのかもしれないぞ」


 となると、似てる人物と今回の死確者が冥界でばったり出くわすかもしれない、ということか。そう考えると、少し面白いような気がしないでもない。


「気になるなら調べてやってもいいぜ」


「いやいいよ。名前も何も分からず、ただ顔から調べていくなんて、そんな果てしないこと」


「そりゃあ時間は多少かかるけど、果てしなくはないぞ」


「え?」


「なんだ。先週の通達、見てないのか?」


 なんのことか分からないという表情を浮かべたら、「なんのことか分かってない顔だな」と、そのまんまのことを言われた。


「役所の検索ツール。新機能が追加されたんだよ」


「新機能?」首を真横に曲げる。


「ホント、お前は純粋というか無垢というか。その歳でよくそんな反応ができるよな」


「褒めるなよ、照れるだろう」私は鼻の下を立てた指で擦る。


「うん……」


「なんだ、腑に落ちないか?」追及する。


「いや……まあ事実、尊敬の念もあるから、よしとするよ」


 どうやら納得ではなく、妥協されてしまったらしい。


「それで、新機能っていうのは何なんだ?」


 私は話題を元のレールに戻す。


「ああそうだ。そう、まさに今回にぴったりの機能。その名も……顔写真検索」


「顔写真検索?」首を真右に曲げる。だが、さっきとは反対方向へ。


「数年前から紙の過去情報が全部電子化されたろ? で、手軽に検索できるようになったのはお前もご存知のことだと思う」


「まあな」それくらいは、知っていないと仕事にならない。


「んで、その膨大なデータベースから顔の特徴を認識して、検索をかけることができる、ってわけだ」


 私は死神から視線を逸らし、口元に手をやる。


「んん、どうした?」


 不意に訪れた沈黙に、死神は少し慌てて話し出した。


「いや……話の腰を折るようで申し訳ないが、その新機能になんの意味があるんだ」


「は?」


「だってそうだろ。顔写真で調べて何になる。別に何かにつかえるとかいうわけじゃないだろう」


「そりゃ……その……今回みたいに似てる人がいたら、あれぇ誰だっけなぁ~って調べられるように……じゃね?」


 自身なさげな言い方に私は何故か、もっと追及したくなった。


「そんな機会、殆ど無いと言っても過言ではないじゃないか。年々経費削減が叫ばれて、仕事が残っているのに残業さえさせてくれなくなってしまったというのに、恐らく安くもないのに貴重な予算を使って、わざわざ導入することなのか」


「話の腰を折るなよぉ」不機嫌そうにそっぽを向く死神。


「だから、折るようで申し訳ないが、と前もって言っただろう」


「じゃあ、こっち」死神は組んだ手を頭の上に乗せて、こちらを見てきた。「それを俺に言われても」


「まあ確かにな」


 我々は下っ端、いつまで経っても。使役される側が何を言おうとも上の決めたことが絶対であり、左右される。現世だろうが冥界だろうが、大差はない。


「分かるよ、お前の言いたいこと。けど、仕方ないだろ?」


「まあな」


 あっ、まただ……


 昔は疑問に思えば、素直に「なんだそれは」と教えてもらうことに、まさに執着という言葉が合うぐらいにしていた。


 だが、ここ最近は違う。仕方ないと諦めてしまうことが確実に増えた。疑問が芽生える機会は絶えずあるものの、それを敢えて口にしたりだとか追究する回数は減っているのだ。


 一体何故なのだろう。


 明確な回答、俗に言う正解のようなものは分からない。だが、なんとなく自分の中で答えは出ている。


 まあいいか、なのだろう。


 我々に年齢という概念は存在しない。そのため、歳をとる、という重ね方はない。だが、経験を積むという重ね方は確かに存在する。


 そして、今の気持ちとしてはこうだ。


「まったく、歳はとりたくないな」


「唐突だな」死神は口角を上げる。「けど、右に同じく」


 とはいえ、経験を積むことで恩恵を受けることがある、むしろ多いかもしれない。必ずしも、全部が全部悪いことではない。


「泣きたくなってくるよ」


「いいんじゃね? 泣くのは悪いことじゃない。気分が晴れやかになる。スカッとするってよく聞く」


 お前ではないのか。


「聞くって、誰が言っている?」


「人間が」


「ふーん」


「ま、俺らは泣けねぇからな」


 そうだ、そうなのだ。我々は泣けない。泣くことができない。悲しくなってくるなぁ……


「んで、どうする? 調べるか??」


「じゃあ……まあせっかくだから、頼むよ」


「ラジャー」


 死神は目をぎゅっと瞑り、勢いよく敬礼。続けて座っていた土管から飛ぶと、まるで体操選手みたく着地する。思いを馳せるようにゆっくりと姿勢を起こし、綺麗に両手を開いた。


「体操選手のまねぇ~」


 自分から言ったよ。


「帰るのか?」


「早く仕事しないとな。ほら、残業出来ないからさ」


 不敵に笑う死神。


「だな」


 私も顔が綻ぶ。


 さて。私も帰って、残りをやることにするか。


 死神を真似て、土管に手をついて、試しに勢いよく飛んでみた。


 この時。


 着地に失敗し、膝から崩れ倒れることになるなど、私は微塵も想像できなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る