第2話

 死確者はテレビを見ている。肘置きのあるリクライニング式の座椅子に腰かけ、頬杖をつきながらどこか焦点の合っていない目線で眺めている。


 夕方というこの時間帯といえば、ニュースか刑事ドラマの再放送というのがこの国のお決まりだ。今流れているのも多分に漏れず、刑事ドラマだ。頭脳派と肉体派の男刑事二人がコンビを組み、難事件を解決していく一時間もの。


 私がピンポンを押しても出てこなかったのはこれを見ていたせいだという。反対に出てきたのは、CMになったからだという。タイミングが悪かったらしい。


 詳しい話はドラマが終わってからにして欲しいと言われた。CMの間に、私に関しての特異なところなど短く伝えられることは話しておけたのだが、肝心の死確者の未練についてはまだであった。考える必要があることだし、終わってからの方がいい。


 絶賛手持ち無沙汰中の私は、ドラマを眺めていた。途中からだから何が何だかよく分からない。私は時折、辺りを眺める。


 少し傷み始めている畳、へこみや傷が目立つ箪笥や座卓、穴の空いている障子に襖、立て付けの悪いすりガラス張りの引き戸……とまあ、よくある和室の雰囲気だ。


 特段気になることは無かったが、気づいたことは一つ。


 箪笥の上に物を置くスペースが少しあるのだが、そこには無造作に薬の袋が置かれていた。内服薬と表面に書かれている。そのうち一つは口が開いており、中から“MSコンチン”と書かれた錠剤が姿を見せていた。


 なんのことか、どんな効果があるのか、分からない。だが、あの八袋という数やどれも分厚いことからしても、あまり良いものでないことは確かだ。


「そうだったのか……」


 不意に死確者が呟く。視線を向ける。まだドラマはやっている。だが、画面の下には、スタッフの名前が出たり消えたりしていた。


 もう終わりに近づいているということ……あっ、監督の名前が出た。てことはもう本当に終わ……今終わった。


 瞬間、ニュースに切り替わる。まず早速昨日未明に発生した殺人事件の続報からです、と真剣な表情で語る若い女性キャスター。ドラマも現実も大差ないじゃない。


「なあ、当たり前でバカバカしいこと聞いていいか」


 死確者は背もたれに寄りかかった。


「何です?」


「俺が死んでから行くのは地獄、だよな」


 また何とも答えにくい質問をしてきたものだ。しかし、死確者の顔を見る限り、覚悟はしている様子。であるならば、特段困ることはないはず。いいか……


「おそらく」


 ほぼ、という表現から少しだけマイルドにした。我ながら気が利くようになってきたと思う。


 死確者はフッと笑う。「安心したよ」


 予想外の返事だった。「何故なんだ」と多少とも怒られると思っていた。例え覚悟はしていたとしても少なくとも、そうか、と落ち込むと。


 いずれでもない反応に私はつい「何故でしょうか」と問うてしまった。すぐに後悔の念が芽生える。考える前に口にしてしまう私の悪い癖だ。直そうと思っても、これがなかなか治らない。


 死確者は鼻で嘲るように、ふふ、と笑った。


「まともな評決下されたからだよ。あれだけお天道様に顔向けできない悪事働いておいて、いざあの世に逝ったら『はい。あなたは無罪放免。天国行きですよ』だなんて告げられちゃあ、嬉しいどころか、裏があるんじゃねえかって疑っちまう。テメェの魂胆はなんだって聞いちまうかもしれねえな」


 あまりにも飄々かつ淡々とした態度の死確者に、またもつい尋ねたくなった。「死ぬのは怖くないのですか」


「全然。あっちにゃ、知り合いが大勢いるからな」


 それは職業柄、いや元職業柄というべきか。


 私は咳払いをする。「それではドラマも終わりましたし、私についてはあらかた話しましたので、改めて本題に」


「だから未練はねぇって言ってんだろ」


 あらま。本題にさえ行けず。


 脳裏に、まずい明日までだぞ、という独り言がよぎった瞬間、コン、という音が耳に届く。


 思わず視線を外へと向けた。障子のせいで、内縁から向こうは見えないが、確かに何か軽いものが窓に当たったような物音が聞こえた。


「どうした?」死確者は声をかけてきた。


「いえ、窓の方から物音が聞こえたような」


「そんなもんしたか?」


「ええ」


 天使は人間よりも耳がいい。調節すれば人間ならば聞こえない小さな虫が薄い葉の上に乗っかる音も、私達天使なら逃さずに聞き取ることができる。


「通った車の小石じゃねえか。ここは塀が低いから、よく飛んでくるんだ」


「そうなんですね」


 家の構造のせいであるということで納得しようとした時、チャイムが家中に響き渡った。


「んだよ。今日は来客が多いな。ったく」


 こんなに大きな音が聞こえていたというのに、気にせずドラマを見ていたのか。私だからまだしも……


 死確者は、よいしょという掛け声とともに、立ち上がって玄関へと向かう。私も後に続く。


 またも履き古したサンダルに足を入れ、ガラガラと玄関の引き戸を開けた。


「ん?」死確者は声を出す。


「どうしました?」


「誰もいねえ」


「え?」


「ついませーん」


 幼さを感じる拙い日本語が聞こえてくる。聞こえたのはチャイムのある門扉なのだが、位置は少し低かった。


 私も死確者も、一斉に視線を落とす。縦に黒く伸びている門の隙間から顔が見えた。濃いピンクのワンピースを着たツインテールの女の子。身長と顔つきから幼稚園児ぐらいだろうと推測できた。


「ついませーん。ボールくださーい」


「ボール?」死確者が片眉を上げる。


 あっ。


 私はベランダへと向かう。先程物音が聞こえた、あの辺り。

 確かこの辺だったはず。私は背を曲げる。ええっと……あっ、あった。オレンジ色のゴムボールが転がっているのを見つける。


 私は背を起こし、「ありました」と死確者に声をかけた。


 女の子に「ちょっと待ってろ」と声をかけながら、こちらへとやってくる死確者。


「これです」


 指をさすと、「遊んでたら入っちまったのかね」と、死確者は膝を曲げて手に取り、門扉へと向かった。


 柵を開けながら「これか?」と声をかける。女の子は「うん」と頭を大きく縦に振った。


「ほれ」


 手渡すと女の子は「おじちゃんありがとぉ」と満面の笑みになった。


「おう」死確者はつられてか、表情も少しばかり緩んだ。「なくさねぇように気ぃ付けろよ」


「うんっ」純粋な返しに、死確者はさらに表情を綻ばせた。


「ホノカっ」


 死確者がビクリと肩を動かした。

 反対に女の子は何事もなく平然と、声のした方を向いた。


「ママー」


 有り余った力を放出するように、女の子は駆け出し、母親の膝下へ。どこか見窄らしく、頬や半袖で見える腕が痩せこけているのが少し気になった。


「何してたの」


「あのねー、おじちゃんにボール取ってもらったのー」


「え?」母親は死確者に視線を向ける。


 死確者は伏し眼のまま軽く会釈した。


 母親は少し戸惑いの表情になるも、会釈で返す。ちらりと死確者の左手を確認するかのように一瞥すると、今度は何かを確信したらしく、すぐ目を逸らした。


 そのまま気までも逸らすかのように、膝を曲げ、女の子の目線よりも低くなった。


「迷惑かけちゃダメでしょ」


「はぁい」と口をとんがらせる。


 注意された時のいつもの顔なのか、特にそれについては言及することなく、母親は立ち上がり、女の子の手を引く。

 されるがままの女の子。振り返り、死確者を見る。だが、母親から醸し出されるいつもとは違う、異質な空気感に圧倒されたのか察したのか、交互に見ているだけで、言葉は発さずに去っていく。


 瞬く間に小さくなる二人の姿を、死確者はただぼうっと眺めている。


「びっくりしましたね」私は死確者の隣に歩みを進めた。


「あぁ?」声色が元の、怖く低いものへと戻る。


「特別珍しいわけではないとはいえ、同じホノカですからね」


「オメェ……ッ」


 死確者は一瞬怒りの表情を見せる。だが、どこか納得したかのように、すぐに解けた。


「そりゃそうか。天からの使いだもんな、それぐらいは知ってるか」


 私は小さく頷きながら、二人が去った方へ顔を向けた。もう姿は見えない。


明日は命日・・・・・、でしたっけ」


 死確者は空を見て、瞼を薄くした。太陽の光が目に入っている。眩しさのせいだから、というのはある。けど、それでは無いだろう。


「……ああ」


 死確者は左手を強く握った。


 母親は噂を知っていたのか、それとも一瞥した時に見えて怖がったのだろうか。


 今更ながらふと気づいた。死確者の左小指、第二関節から上が無かったことに。

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