第9話

「もうよろしいんですか?」


 病室から出てきた死確者に話しかける。


「いや、ちょっと人と会う約束をしてるので一旦抜けるだけです。また戻ってきますよ」


 だからなのか、死確者の足取りは妙に早かった。ついていこうと、私も一歩一歩踏み出す速度が早まる。

 時間が遅いからだろう、廊下には一人もいないし、非常灯など必要最小限の明かりしかないので、とても暗かった。

 エレベーター近くまで行くまで行くとその反面、ナースステーションの電気が眩しかった。遠目でも分かるぐらいに煌々とついており、とても目立っていた。


 今はもう家族でも面会できない時間であるため、私は行きと同じように死確者の姿が見えぬように人差し指を振ってから、前を正々堂々と通る。

 エレベーターの下ボタンを押すと、すぐに開いた。この階で止まったままだったということは、他に誰も使ってないのだろう。乗り込み、1階のボタンを押す。


「病院の怖い話の一部は天使さんたちが起こしてるのかもしれませんね」


 エレベーターの扉が閉まってから、話しかけてきた。


「可能性はあります」


 姿が見えないために幽霊扱いされた経験は幾度となく。


 何故人間は、姿が見えないイコール幽霊、とばかり捉えるのだろう。なんと視野が狭いものか、とかつて思ったこともある。今となっては懐かしい思い出。私も随分と丸くなったものだ。


「病気のこと、隠しているんですか?」


「……ええ」


 痛いところを突かれた、死確者は表情を苦くした。


「今日こそは言おうと思っていたんですが、幸せいっぱいな顔を見たら無理でした。これからのことを考えたら、本当は言うべきなんでしょうけど。嘘をつきました」


「嘘? ついてないですよね??」


「いや、知っていることを言わず、これからのことを当然問題なく迎えるように話していたんですから、嘘ついていたのと同じです」


 死確者は顔を上げ、「はぁーあ、駄目な男だなぁ、僕は」と天井にぶつけるように放った。いつのまにか溢れていた涙が天井からのライトで微かに光った。


「嘘でも駄目でもないですよ。それは、相手のためを思った、思いやりです」


 死確者は向こうを向くと、手を覆うように伸ばした裾で顔をこすった。再び顔が見えた時には、もう笑みを浮かべていた。


「優しいですね、天使さんは」


「人並みですよ」


「天使なのに?」


「あっそうでしたね」全くの無意識であった。「じゃあ天使並みに」


「いや、ごめんなさい。やっぱり人並みにしましょう。人間味溢れる天使さんなら違和感はないです」


 死確者からのその言葉は妙に嬉しかった。


「やはり、とても仲が良いんですね」


「え?」


「それぐらいに奥さんのことを思ってるんですから。あれですね、あの、ラブラブ……です」


「なんで間を開けたんです?」


「いや、ラブラブという英語の使い方に間違いがないか心配になりまして」と、決して疑っているわけではありません、という思いを伝えた。


「心配、ですか」


「ええ。私が聞き間違い、もしくは覚え間違いしていないと」


「そういうことは多いんですか?」


「恥ずかしながら」


「まあ、ラブラブが英語というのは厳密には間違いです。いわゆる和製英語のようなものなので」


 成る程です。


「それで……あれ。何の話でしたっけ?」


「何でしたっけ?」忘れてしまった。


 2人で腕を組む。うーん、と声を出しながら。

 そうこうしてる間にエレベーターの扉が開いた。階数は我々の降りる1階だ。真っ直ぐ先には、出入り口が見える。




 病院の外に出る。自動ドアが開いた瞬間、気圧のせいか冬の冷たい風が襲ってきた。死確者は「おぉ、急に寒い」と上着を体の前で重ねて、歩き出す。


 私は辺りを見る。誰もいないのを確認して話しかける。


「おふたりが仲睦まじかったことです」


「なんです?」


「さっきの忘れていた質問です。ほら、ラブラブに引っ張られて疎かになっていた」


「ああ。そうでしたそうでした。思い出しました」


 とぼとぼ歩きながら、死確者は小刻みに頷く。


「今あの姿だけ見たらそう思われるかもしれませんね」


「違うんですか?」


「ええ」死確者は縦に首を振る。照れなのか想像をしたことがないからなのだろうか。


「昨日まで喧嘩してましたから」


 違った。単なる事実だった。


「居辛さとか感じませんか」昨日の今日、というやつだ。


「別に。家族ですし」


 何も疑問に思うことなく、死確者は答えたように聞こえた。だが、私には妙に引っかかった。


 家族……


「前から気になってたんですが……あっ。この前からというのは、卓弥さんと会うよりずっと以前、という意味です」


「はいはい」


「家族とはなんなのでしょうか」


「何、というと?」


「よく定義が分からないのです。夫婦や家族というのは喧嘩しても別れずにずっといるじゃないですか」


 死確者は困ったように眉をひそめた。


「そういうのは学者に訊くべきじゃないでしょうか」


「尋ねたことあります。ですが、辞書的な定義ばかり返されて」


「辟易してますね」


「辟易?」


「耳にタコができる、なら?」


「それなら」


「それです」


「なるほど」


 車に到着したことで、応酬は終わりを迎えた。というよりも、恥ずかしさを感じた死確者が無理矢理終わらせたという方が近いだろうか。私は助手席に乗り込む。


 運転席の死確者は、またもパソコンを膝の上に置いた状態で、ナビゲーションを操作している。画面の左上には、目的地、と表示されていた。


「これからどちらに?」


 そういえば聞いていなかった、と思い出し、私は尋ねた。


「コンビニと詠談社えいだんしゃです」


「詠談社って確か……」名前に心当たりがあった。


「お察しの通り」死確者は体を背もたれに寄せ、シートベルトをする。「デビュー作を出してくれた出版社です。今から編集者の田中さんと会う約束をしてるんです」


「こんな遅くにですか?」


 もう11時近い。


「事情を話したら、快くオーケーしてくれました」


 快くオーケーしてくれる程の事とは一体……


 車が動き出す。エンジンの振動が伝わる。寒さで人が小刻みに震えるかのような微かな揺れだ。車は大きく左に回り、そのまま駐車場の出入口へ。

 そこで、方向指示器を右に出し、車は公道へと出る。すぐそばの信号に引っかかり、車が止まった時、「話の続きですけどね」と死確者が口を開いた。


「仲良いだけじゃ結婚っていうのはしないんです」


「そうなんですか?」


「下手したら、ただの学生の時の恋愛よりも悪いかもしれないです。いや、表現が悪いですね。薄いかも、に訂正しておきます。結婚は恋愛じゃないんですよ」


 私には成る程と口を半分開いて首肯できる程、違いというのがよく分からなかった。


「では、明確な違いはなんでしょう」なので、問う。


「難しいところを突きますね」


 まるで言葉を凶器かのように例えると、少々苦い顔を浮かべた。


「そう言われると難しいんですけど……例えば、そうですねー」


 死確者は虚空を見て、しばし考える。


「好きだけで成り立つのが恋愛で、この人は生活に困らないお金を家に入れてくれるかどうかまでを考えるのが結婚ですかね」


「なんとも……世知辛いですね」


「まあ例えですから。そういうのも無くないよーっていうやつです」


「でも、その要素もあるにはあるんでしょ?」


「お金は必要ですし、大切です。愛は食えませんし、愛だけじゃ生きていけない」


「でも、『愛だけあればいい』と逃避行する人もいますよね?」


「今までにそういう方を担当した経験が?」


 私の言葉から察したのだろう、死確者は目を少し開いた。


「ありました」首を縦に振る。


「ロマンティックですねー」


 羨ましそうに話した後、「まあそれはほんの僅かです。こんぐらいの一部」と親指と人差し指を近づけた。その隙間は本当に僅かで、一瞬くっついてしまう時があったほどだった。


「話を戻すとですね」手を広げ、指先を擦る。


「どんなに喧嘩しても好きだってことを忘れても、そばにい続けることが違和感ない関係。それが夫婦」


「ほお……」感嘆の声が思わず出てくる。


 死確者は微かに笑むと、「戯言程度に留めておいてください」と添え、パソコンのキーボードを打ち始めた。


 邪魔をするのを避けるため、私は視線を外に移した。車の少ない大通りでは、店の明かりが映えた。目に付いたのは絵が描かれた巨大な看板。

 羽根の生えた6つの白い卵が雲の散る空を舞っている。たまごの中には一文字ずつ言葉が描かれており、繋げると“天使のたまご”と読むことができる。


 懐かしい。昔担当した死確者と共に考えた商品名だ。頭を捻りにひねって、シンプルな覚えやすいものにした経緯を思い出す。確かアニキを担当してすぐだったから……10年ほど。そんなに経つのか。あれからもたまに見るから、売れてはいるのだろう。良かった良かった。


 直進を続けていた車が不意に右に曲がった。正面に顔を戻すと、コンビニの駐車場に入ったことを知る。

 白線の中にきれいに止まる。死確者はシートベルトを外した。私も降りようとするも、「車で待っててください」と止められたので、車内で待つことに。

 死確者はパソコンの横に付いている何かを引っこ抜くと、手の中で握りしめて、コンビニの中へ行った。


 出版社に行く前に寄ったことから、死確者は何かしらの用意が必要になった、もしくはなっていたと私は考えた。例えば、ペンや原稿用紙が必要とか確認のために小説を印刷してみるとか。出版社はたまた仕事である文筆業に関係する何かをしに行ったのだろう。




「お待たせしました」


 死確者が車のドアを開けたのは、それから10分ほど経過してからだった。小脇に分厚く白い紙を束にして抱えている。黒く小さな文字が点々と紙全体に見える。


「それは?」


「小説です」膝の上に移す。「体裁はまだ整ってないですけど」


 やはり。出版社に持っていくために、ここで用意を……


「どうぞ」


「……はい?」


 紙の束をそのまま全て差し出した死確者へ私は眉を上げた。


「わ、私にですか?」


「ええ」頷き混じりの死確者。「です」


 驚きで顎が落ちる。その5文字は予想していなかった。

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