第8話
車は更に進み、市中に入る。ようやく信号機や高めのビルが等間隔に並び始めていた。
少し懐かしさを覚えているネオン風景に見惚れていると、不意に車が向きを変える。右の方に進路を変えたのだ。
ここは平置きの駐車場。夜だからか、数台分間隔を空けて、転々ぽつぽつと車が置かれている。
「ここ、ですか?」
「ええ」
死確者が縦に頷いたと同時に、車が白線の中に綺麗に止まる。見事なものだ。
「到着です」
初めて来た所ではあるが、他とは変わらない外観にすぐに気づいた。
「……これから入院するんですか?」
白くぼんやりと照らされた病院が斜め前に見える。
「違います」死確者はパソコンを閉じた。「もう入院してるんです」
私はふと、資料に書いてあったことを思い出した。もしかして……
「面会時間ギリギリです。早く行かないと、天使さんの求めてた未練が分からなくなっちゃいますよ」
死確者は車を降りる。急かされた私も。死確者は続けて、後部座席の扉を開ける。料理の入ったバッグだけを手に取り、肩にかけた。車に鍵をかけ、病院の入口へ歩き始めた。
斜めに横断する駐車場には、ところどころ灯りがあった。しかし、灯りのある周囲4つ分ほどであるため、煌々と照らしているとまでは明るくない。かろうじて、ぐらいだ。まあ病院が目の前にあるので、最悪事故が起きても音を聞きつけたらすぐさま処置をしてくれる安心感はあるが。
「ここにはね、僕の妻が入院してるんです」死確者は微笑む。「お腹には僕の子供がいます。もう9ヶ月を超えました」
やはり。資料にあった通りだ。
「であれば、入院するには少し早いですよね?」
子供は
「実は少し前に体調を崩しましてね。初めてのことなので、子供と彼女の命に危険が迫ってるんじゃないかって、最悪がよぎって、かなり慌てました」
「今は?」
「十分回復しました。こっちがいっぱいいっぱいになるぐらいに、元気一杯。先生からも問題ないと言われたのですが、まあ一応様子を見て入院しようかということになり、今日に至ります」
死確者がゆっくりと滑り落ちる紐を直したのを見てから、私は尋ねる。
「なら、食事はどういう?」
「車の中で、レストランと味が違うって話しましたでしょ」
「ええ」
「そのことを彼女にも話したんです。プロポーズした店で一度食べたことがあるんですけど、そうしたら『久しぶりに食べたいなぁ』なんて言ってきて。食欲が成長期の男の子みたいに旺盛なので、困っちゃいますよ」
「ええっと……」私は瞬きをする。いつもより数が多く素早い。「奥様に食べてもらうのが今回の目的?」
死確者はふふふと笑う。
「思ったよりも地味でしたかね」
「いやそういうわけでは」
「すいません、創作で生きる者として、初っ端にネタバレするなんて御法度なので」
「はぁ……」
「それともう一つ」指を立てる。「実は前々から計画してたんですよ、これ」
「へ?」思わず眉が互い違いになる。「それは私が来る前からということですか?」
「ええ。なんとなくもうちょっとで訣れちゃうかなーと思ってて、だから少しでも想い出を作っておこうと色々動いていたんです」
そうか、だから行動に迷いがなかったのか……
あっ、という声を発すると死確者は足を止め、そして振り返った。
「そういえば天使さんって、霊感ってあるんですか?」
「い、いいえ」突然の方向転換と思いもしない問いかけに言葉を詰まらせ、一瞬反応が遅れる。「私は幽霊とは異なる存在なので」
「そっかそっか、そうですよね」死確者は笑いながら足元を見た。「実は僕の妻には、霊感があるんです。それも、どっか行ったら1体は見るぐらい。病院でもしょっちゅう見てるらしく。だからちょっと気になってましてね」
「以前担当した死確者の中にも、そういう方いました。なので、最初妄言を吐く幽霊だと思われてました」
ハハハと高笑いする死確者。
「どうやって信じてもらったんです?」
「これです」
人差し指を真っ直ぐ立てると大きく頷き、「成る程」と返してきた。
病院入り口に到着。大きな自動ドアの前に死確者が立つと、待ってましたと言わんばかりの大きな所作で開いた。
「ここです」
死確者はある一室の前で立ち止まる。部屋の扉横には“507号室(個室)
死確者は金属の取手を掴み、横に開ける。何度も来ているのだろう、よく慣れた動作だった。
中には女性が、ベットの枕元に背を置いていた。足からお腹の辺りまで毛布をかけており、遠目でもはっきりと分かるほどお腹が大きく膨れていた。
「おっ」
読んでいた本を閉じる。
「来たね」
「来たよ」
死確者は扉の近くにあった円形の椅子を手にし、ベッドのそばに向かう。腰掛けた時、ちょうど病室の扉が閉まった。
「よく入れたね」
「優しい看護師さんがいてね、特別ですよって」
「面会時間もう終わるっていうのに通してくれたなんて、特例中の特例だね」
「だから、特別ですよって言われたんだ」
通したのは嘘であるが、今そこが肝腎要な事ではないから流しておく。
「お仕事?」
「うーん」荷物を地面に置きながら、死確者は唸る。「違う……かな?」
「なんで、疑問形なのさ?」
「微妙なところだからだよ。それより、さ」椅子の足が床と擦れる。「今日、なんの日か覚えてる?」
「あっそれ」
美帆さんは死確者を指差した。そして、「私のセリフだからね」と、そのまま自分に向けた。
「聞こうと思ってたの?」
「うん。お仕事だろうとなんだろうと淡々と普通に返してきてたら、怒るとこだったよ。『覚えてなかったの?』って」
頬をぷくりと膨らませている。
「覚えているさ。覚えてるに決まってる。だって、大事な結婚記念日だから」
あぁ、成る程。その一言で色々な合点がいった。
「だからね」死確者はバッグを開ける。「お祝い持ってきて正解だったな」
「ほら」
「覚えててくれたんだ」
死確者の妻の声が少し高くなる。嬉しそうな声色だった。
「当然」
「でも、こんな時間にいるのもマズいのに、食べてるのを見つかったらもうどうなるか……婦長さん、怒ると般若になるで有名だし」
……お面でも被るのだろうか?
「大丈夫大丈夫。心配はいらない」
「どういう自信よ?」
「不確かだけど、確かな自信」
「矛盾孕みまくりの言い方だね」
「ま、その辺は問題ないってことだよ」
外で監視している私は視線を左に向ける。歳のいった女性の看護師がやって来ている。腕や腿の周囲は厚い。手に持った紙に目を凝らす。なんのための紙なのかは分からないが、美帆さんの名前があるのは分かった。
早いうちにっと。
私は人差し指を立て、一周回す。看護師は何かに気づいたように、ぴくんと背を伸ばすと、元来た道を引き返していった。これでよしっと。
軽い一仕事を終えて、私は耳を病室の中は傾ける。皿を置く音が聞こえた。
「比較できるように、あの時食べたのを全部作ってもらった」
「そんなに? 食べきれるかな……」
「大丈夫、俺も食べるし。子供の分も考慮して」
「いやいや、私1人で食べようとは思ってなかったよ。流石にそこまで旺盛じゃないって」
笑い合う両者。その間には、温かい空間が広がっていた。湯船のように体の芯から温まる、気持ちの良いもの。そこから外れてはいるけれど、私も同じ温かさを感じた。
もしこの世界中がこんな空気に包まれれば、戦争などという愚行は消えて無くなる。そんなことを何故かふと、前触れなく私は思った。
食事を終えるまで、私は永遠と看護師を返し続けた。段々と間隔が短くなり、これまでにのべ31人。これからまだ返さなければならないと思うと、申し訳なくなる。
「ねえ」これは死確者だ。
「何、そんな重苦しい声で?」
「明日死ぬとしたらどうする?」
唐突の問いかけに、美帆さんは口をつぐむ。食事の音も聞こえない。食べる音も食器に触れる音も。
「うーん……まあ、ゆっくり起きて、美味しいご飯食べて、遊んで、遅くに寝る。地味だけど凄く幸せなローテーションを繰り返す」
「あっ、ゴメン間違えた。明日僕が死ぬとしたらどうする?」
「以下同文」
「なんか……冷たくない?」
「じゃあ、あなたがしたいことをして寝る」
「そういうわけじゃないんだけど……」死確者は少し困惑していた。
「何でもいいんだよ?」
「何でも?」
「わがままなことでも、変なことでも」
「変なこと?」
「……へへ」死確者は不敵に笑った。
「何想像してるのよ、ヘンタイ」呆れている。
「はい。すいません、ごめんなさい、お許し下さい」
美帆さんは「許してしんぜよう」と昔の将軍かのように話す。それにつられたのか、死確者も「ははぁ」とひれ伏した。まるで家来のようだ。
「で……何の話だっけ?」
「僕が死ぬとしたら」
「そうそう。けど、あなたの人生なんだからあなたが決めないと。あなたは何がしたいの?」
「そうだな……」死確者は唸る。「願いたい、かな。生まれてくる子供と君が、これからもずっと元気で幸せにいて欲しいって」
美帆さんは短い鼻息を出し、微笑んだ。「柄にもないのに、クサいこと言っちゃって。遺言みたいじゃない」
「遺言、か……」
死確者はぼやけた言い方をする。なんと言ったらいいのだろうか、反応すればいいのだろうか。悩んで探っていた。
だからなのか、死確者はそれ以上触れず、「そういえば、名前は決まったよ」とそらした。布が動く音がすると、「なになに?」と美帆さんは前のめりになる。声だけで分かるのだから、相当だろう。
「知りたい?」
「勿体ぶらずに教えてよ」さらに布の動く音が聞こえた。
死確者は大きく咳払いをする。風邪ではなく、喉を整えるための咳だ。
「男の子なら
今の時代にしては、珍しい名前だ。キラキラしてないネーム、時代の潮流に乗っていない古さがある。
「うん、いい。ちょっと古風だけど」
「最後のは余計だよ」
笑い声が響く病室。またも温かな空気が2人の間に流れ……あっ、また来た。
私は、もういい加減諦めてくれよという気持ちで、人差し指を大きく振り上げた。
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