第7話
2時間ほどであっただろうか、舗装されていない山道をひたすら下り続けた。
ここまでの道のりは、まったくもって代わり映えしなかった。まるでずっと同じところを走ってるのではないかと錯覚するほどだ。
その上、辺りは街灯もなく真っ暗。唯一の明かりは車のヘッドライト。左右の生い茂った木々や適当に転がっている小石、細かなでこぼこのある地面しか照らされない。闇の中を延々と進むこの状況は、心霊現象か熊などの野生動物が出てきて襲われそうな、そんないわゆる恐怖を感じさせてばかりであった。
とはいえ、私は恐怖を感じることはないし、死確者は何やらパソコンに文字を打ち込んでおりそっちのけであったので、この車中に恐怖を感じる者は誰一人としていなかったのだが、ただどこか寂しさはあった。
だから、今ついさっき、対向車で久々に車を見た際には、なんとも言えない嬉しさがこみ上げ、思わず体を起こした。まるでこの前死神から勧められて観た映画のような、現代にタイムスリップしてきた侍が最初に車を見た時のような、感覚であった。
「ふぅー」
死確者は深く息を吐いていた。背もたれに体重を乗せながら。それと同時に、私の脳も蘇った。思考回路復活。
「迷ったのかと思ってヒヤヒヤしてました」
死確者はパソコンに打ち込みながら、話し始める。工房の時も車での移動の時も、死確者はずっと何か文字を打っていた。邪魔してならないと思ったので、会話はせず、ぼぅっとしていた。
「迷うんですか?」
「たまーに。山の中って、GPSが狂いやすいんですよ」
「へぇー」
新たな知識を得た私は、頷きながら顔を前に戻した。
万能ではあっても完全ではないのだな……
そんなことを思っていると、隣から視線を感じた。ふと横を見ると、死確者が私を見ていた。
「……何か?」
「あっすいません」視線を逸らす。「高校生の僕が見てたらどんな反応するんだろうなってちょっと思いました」
「まあ、天使なんて見ませんもんね」
「というよりも、こういうオカルトじみた……っていうのは失礼ですね。オカルトを目の当たりにしたら」
言い直したものの、結局同じようにオカルト的な存在として扱われていることも訂正という語の意味に含まれるのか、私には分からなかった。腑に落ちなかったという方が近いかもしれない。
「多分、素直に驚くんでしょうね。ひっくり返るかも。飛び上がるかも。はたまた寿命が縮まったりして」
緊張の糸が切れ、急に饒舌になる死確者。加えて、口元も緩んで笑みをこぼしている。これまでの分を取り返そうとしてるようにも見えた。
「もしかして……オカルトを信じていなかったりします?」
「よく分かりましたね」
「町田さんの料理を待つ時の受け答えがふと浮かんで」
「あぁ……成る程」納得したように死確者は小さく頷いた。「けど、今は信じてます」
「何が契機に?」
「大学です」死確者はパソコンのデリートキーを連打する。「珍しくちゃんと出ていた授業がありましてね」
ん?「大学とは勉強する場のはずですよね。なのに珍しく?」
「ええ、本来は」
死確者は笑みを浮かべて、再び両手でキーを打ち始めた。
「けどなんか、過去の積み上げをあーだこーだっていちいち議論しても、意味ないなーと思ってましてね。振り返るぐらいなら現在と未来、つまり今のこの社会で何が起きてるか知った上で自分なりにこれからを予測した方がいいんじゃないかって考えてました」
「では何を?」
「毎日、バイトと遊び漬け」
死確者は直後、「すいません、ただの言い訳です。単純に勉強が嫌いだったんです。若気の至りってことで許して下さい」と何故か許しを請うてきた。
私は何か返さねばと思い、とりあえず「全く怒ってないですよ」と応えた。続けて、「すいません、遮ってしまいました。続きを」と会話を促した。
「さっき話した、その唯一出ていた授業の教授がオカルトを信じていない、いや大っ嫌いな教授だったんです。この世の中で起きることは科学的に証明ができることばかりだと、授業時間使って証明してくれたこともありました。偏屈ですが、なんか面白いなって」
死確者は仰いでいた。目は天井ではなく、それよりもずっと遠くを見ていた。
「なのにある時、なんの前触れなく突然『この世には0.001%不思議なことがある』って言ってきたんです」
……ん? 何か聞き覚えが……
「その時は突然何言い出すんだって訝しげに見たものです。誰かに脅されてるんじゃないかなんてことまで考えたりも。いや、可笑しいのは分かりますけど、それぐらい信じてない教授でした。そしたら、本当にすぐあと、倒れたんです。明らかに不自然な倒れ方、わざとじゃない。考えるよりも前に体が動いていました。急いで救急車を呼んびましたが、もう既に……」
死確者は視線を足元に落とす。
「安らかな眠りってこういうのを言うんだなってぐらい、優しく喜びと幸せに満ちた顔を浮かべてて……その時に思ったんです。『あぁ、この人は本心で言ったんだな』って」
死確者は笑みを僅かに浮かべて私を一瞥すると、再び視線を落とした。今度は組んだ手元。
「それから少し考えを改めるようになりました。まず、とりあえず信じてみようということ。そして、とりあえずやってみようということ。アレもコレもダメだとか違うとか言ってても仕方がないなって、とてももったいないなって気づいたんです」
死を意識することで生を輝かせた、ということか。
「自分が好きな範囲を狭めてるかもしれません。そもそも否定するのは最も簡単で考えなくていいこと、相手の意見の反対を言えばいいだけですからね。要は後出しジャンケンと一緒。出してきた物事に対して真っ向から対立すれば完成。3分クッキングよりも楽勝です」
死確者は顔を上に向けた。
「だからこそかもしれません。受け入れるようになったから、私は今こうして小説家になれた」
「というと?」
脳内で繋がらなかった私は迷わず尋ねた。こういうのは聞く方が早い。それに、今回の死確者は聞いても応えてくれやすい。というか、これまでの質問全てを応えてくれた、優しい死確者だ。
「ものの見方が養われたというか、多角的に考えられるようになったというか、とにかく人としての幅が広がったんです」
私は人間ではないが、幅という言葉はすとんと体の底に落ちた気がした。
「これはあくまで勝手な想像ですけど」死確者は腕を組む。「もしかしたら、教授はそう信じるに足る何かがあったのかもしれません」
「何かですか?」
「それか、虫のお知らせがあったのかも」
「1ついいですか?」
「はい、何でしょう」
「虫の知らせです」
「えっ?」
「虫のお知らせじゃなく、知らせです。虫の知らせ。おは要りません」
「あっそうなんですね。間違って覚えてました。まったく作家失格だな」
顔を赤らめて目線を泳がせた。
「流石は天使さん、物知りですね」
「私じゃないですよ……私じゃ」
「え?」
「いえ、何も」
小声で呟いた台詞を無かったことにした時、ふと頬の違和感に気づいた。触ると、少しばかりだが、つり上がっていた。どうやら私はいつのまにか笑っていたらしい。そうか、これが思い出し笑いというやつか。
もしあれが虫の知らせだったのならば、感謝しなければならない。「ありがとう。教授」と。
確認は取っていない。だからこのためかどうかは分からない。けれど、そうしておこう。そう思おうじゃないか。そうだ、それがいい。
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