第4話
「では今度は、女性社長の話はいかがでしょう」
「社長?」死確者は体を少し傾けた。食いついたようである。「有名な方ですか?」
「どうでしょうか……ただ、仕事は成功していたようです」
自宅は、30階建てのタワーマンションの最上階。間取りは4LLDKと言われたが、よく分からなかった。とはいえ、玄関から長い廊下を抜けた先に広がる部屋は首を左右に振らなければ見渡せないほど広かったことから、疎い私でも成功者であることは勘付いた。
印象的なことは他にも。一面ガラス張りの大きな窓から見える夜景である。下に広がる彩どりの人工灯は球体のように広がっており、何とも形容しがたい美しさに息を呑んだ。こんな経験はそうできることではない。私は脳裏に焼き付けておこうと、必死に目を凝らしていた。懐かしい思い出だ。
「あと、『お金は努力の証拠であり、幸運の証明だ』が信条だったこともあり、個人資産も相当お持ちでしたよ」
「ん? そのワード……もしかして、
「ご存知でしたか」
「テレビのコメンテーターとか、朝まで討論する番組とかに出てましたからね」
そういえば、その日もキャンセルの電話をしていた。『いいんですか?』と私が聞くと、『仕事が忙しい時は断るぞって前から言ってあるわ』と軽く怒られながら返されたのを今思い出した。
「けど、あの人苦手だったんですよね……なんか、お金が何よりも大事だっていう感じで」
そういえば、プライバシープライバシー言ってたのに、バレてしまった。ここから隠すのは不可能。時既に遅し。上に怒られることや始末書はないだろうけれど、罪悪感にはかられる。
「ええ。本人も言っていました。金以外のものは何もかも切って生きるようにしてきたって」
「なんでそんな生き方になったんでしょうか」
「幼少期にその原因はあります」
私は資料や本人の口から伝え聞いたことをおぼろげながらも思い出して続ける。
「幼い頃、両親を車の事故で亡くしたんです」
「事故……」
何と言ったらいいのか分からない、そんな感情が感じ取れた。
「その後、叔母の家で育てられることになったのですが、いわゆる育児放棄をされており、全く面倒を見てもらえなかったんです。食事は用意されず500円だけ。服は洗濯してもらえず、水洗いしたのを乾かして着ていく。布団は薄い毛布だけ。欲しいものがあっても当然買ってはもらえず。そんなのがしばらく続いたそうです」
死確者はもう何も声を発しなかった。ただ少しだけ視線を落とし、唇を真一文字に結んで、静かに私の話を聞いていた。
「その上、叔母は無理だと放置し、親戚にたらい回しにされ続けました。本人曰く、『コロコロクルクル、すぐに家が変わっていったから今どこにいるのか分からなくなった』程に」
少しいては引っ越し、少しいては引っ越し……学校はおろかその家庭にさえ馴染む前に去らなければならなかったとも言っていた。
「皆、自分の元を離れていく。煙たがられ、嫌がられ、汚い目で見られ。だけど、その中で唯一逃げなかったものがありました。それがお金でした。最初に預けられた叔母の時から、お金だけは自分から手放さない限り、離れて行くことは決してない。その上、自分の努力次第で増やすことだって出来る」
死確者は口から息を勢いよく吸い込む。呼吸でも止めていたかのよう。肺が膨らむのが服の上からでも分かった。
「だから、信頼できるのはお金だけだ、と思うようになっていったと……」
ええ、という返事の代わりに私は静かに頷いた。
「ちなみに、本名は伏せていたのは、ご存知ですか?」
「ええ。なんかの報道番組の特集で……あっ、だから出さなかったんですか?」
「ええ。『いくら変えたとは言え、辿ろうと思えば可能な世の中だから』だそうです」
名前を伏せていたのには、2つの意味があったと話していた。1つは、忘れたい過去をマスコミに辿られること。そして、自分の得たお金をあいつらに盗られるかもしれないということ。
「身寄りのないあなたを育ててあげたでしょ?」とか「恩を感じていないの?」とか、難癖をつけて。本人曰く、「理由は何でもいいの。ただ金が取れれば、荒唐無稽で無茶苦茶でもそれで構わないのよ、あの人たちは」だそう。
生き辛くなったわね……と悲しみを含んだ遠い目をして話していたことは、言わなくていいと思い、黙っていた。
「それで、彼女の未練はなんだったんです?」
「家族を作りたいというものでした」
「家族……お相手はいらっしゃったんですか?」
「いいえ」私は首を横に振る。「しかしながら、死亡するまでの期間が1週間ありました。いつもの2倍ほどの時間です」
「けど、題意を満たすには、焼け石に水程度の猶予ですね」
「焼け石に……水?」私は首を傾げる。
「幾らあっても取るに足らない、無駄なものということです」
「成る程」
「すいません、続きをどうぞ」
促された私は、「なのでまず」と話し始めた。「とにかく色んな人に告白することから始めました」
「おぉ……凄い始まり方ですね」
「ですが、全て撃沈。顔が知られていることもあり、声かけた途端に人が逃げてゆく逃げてゆく。時には文句言われて喧嘩になったり」
「確かに、怖いイメージしかないですもんね」
「あっ、そうだったんですね」
「ええ。討論番組でもワイドショーでも、決して自分から追求する手をやめることはない。責める言葉を途絶えさせない。どちらも終わるのは、相手が完全ノックアウトした時だけです」
「へぇー……」
出会う前までの死確者については知らなかった。だから話しかけても話しかけても、皆が恐れをなしていたのか。
「けど、本当は寂しかっただけなのかもしれないですね。ただ孤独で信じれなかったから、お金を求めるようになっただけで」
死確者は口を内に巻いて、放った。
「結局どうなったんです?」
「寄付しました」
「……あっ」心当たりがあるようだ。
「同じような境遇の子を救いたいと、数百億あった資産を関係する様々な施設や団体に均等に寄付したんです」
「そうだそうだ、そうだった。ニュースで見たのを思い出しました」
「それからすぐ、子供たちから大量の絵や手紙が届きました」
溢れんばかりに詰め込まれたダンボールが十数箱届いたことをよく覚えている。
「高牧さんは残りの時間を使って、全てに目を通しました」
「どうでした?」
「それはもう、何とも幸せそうな笑顔を浮かべていました」
同一人物かと思えぬほどだった。
「当初の未練は果たすことができていませんでした。しかし高牧さんは『道筋やゴールは違えど、未練は果たせるものよ』と仰っていました」
口調は出会ったばかりの時のような高圧的なの言い方ではなく、しみじみと噛みしめるようにこれまでを振り返るようなそんなのであった。
ハンドルが自然と左に回る。細かに右にも回り、まるで人間が運転してるかのような微かな調整をしながら車は進む。“町田工房”と書かれた手作りの木の看板を通り過ぎて行く。そして、白線で四角く区切られた場所に停車した。
「着きましたね」
死確者はシートベルトを外した。
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