第3話
「できればでいいんですけどね」
妙に改まった言い方。運転席の死確者は先程までの沈黙の理由なのかは分からない。
「何でしょうか?」
左の運転席に顔を向ける。死確者は膝の上にノートパソコンを載せて、何やら打ち込んでいた。時折、「うぅん」と唸りながら、頭の頂部を掻く。
死確者はハンドルを握らず、またアクセルを踏んでいない。けれど、安全に車は目的地に向かっている。
自動運転、とはなんとも便利だ。こうもごく当たり前の、普通の技術として普及しているのを見ると感慨深くなる。
かつては私が触れずに運転しているのを見て、魔法みたいだと絶賛されるか怯えられるかの二択だったが、今となっては何の珍しさもなくなっている。私に能力としてずっと昔からあったので私としても目新しさはないけれど、「へぇ、それで?」や「それだけなの?」などと下に見られるので、複雑な心境だ。
時代を追うごとに、私たちが鼻高々に自慢できることは減っている。最近冥界では、「私たちよりも優れた能力を持った技術がもう何年かで出てきてしまうのではないか」という事柄が話題になるぐらいのスピードだ。便利になり過ぎるというのも迷惑なものである。
死確者は話を続ける。「前に担当した、その……僕らみたいなのことをなんて言うでしたっけ?」
「小説家?」
「違いますよ。死期が決まった人間のこと」
「あぁ」そっちか。「死確者ですかね」
「そうそう。その死確者との思い出って聞いても問題ないですか?」
前のめりな姿勢。私は「聞きたいですか?」と見るからに当たり前なことを尋ねる。
「聞いてみたいなっていう、興味はあります」
「そうですね……」
私は視線を戻しながら落とし、腕を組む。
小説家という言葉を付け加えたのだから、ごくごく普通の人間ではおそらくダメだろう。それこそ、事実は小説より奇なりな人間の、物語性のある話でなければ、満足しない可能性が高い。
そうはいっても、条件を満たすような出来事が頻繁にあるわけではない。現世で言うところの、1年間ほどの期間に1人いるかどうかぐらいだろう。
「すいません」
死確者が唐突に謝罪する。私は頭の中に疑問符を立てた。
「人の死ですもんね。そう軽々と聞いていい問題ではない。経験してるというのに、不躾をお許し下さい」
「いやいや」深々と頭を下げている死確者に見えているのか分からないが、私は懸命に手を横に振った。「だから口を噤んでいたわけではないですよ」
死確者は顔を上げた。
「そうですね……名前を出さなければ、問題はないかと思います。それでもよろしいでしょうか?」
死神の言葉を借りれば、プライバシーを守るため、である。
「勿論です」
死確者の表情が明るくなったのを確認し、私は天井を仰ぎ見た。
「この仕事を始めた頃なので、もう30年以上前の話になりますかね」
昔の話をする時に自然と遠くを見てしまうのは、一体何故だろうか。
「ある女性に謝りたいという大学生がいらっしゃいました。その女性とは音信不通となっており、今はもうどこにいるか分からなかったそうです」
「それは、かなり難しいですね」
「ええ。捜索には困難を極めました。ですが、残り数時間でどうにか見つけられたんです」
あれは、もう、執念であった……
「そこまでかけて、何を謝りたかったんですか?」
「無下にしたこと、とでも言いましょうか」
表現するのはなかなか難しい。
「その方と女性は中学の時、同じ学校に通っていたんです。3年間同じクラスだったので、一緒に下校したり遊びに行ったりしていた仲だったそうです。彼自身好きという感情を抱えていました。そんなある日、あまりにも仲良かったために一人でいる時、同級生から付き合ってるのかとからかわれたそうです」
「中学生だからこそ、のからかいですね」死確者は真一文字に口を結んだ。
「恥ずかしさと意味の分からぬ見栄と反発心から、咄嗟に『好きじゃない。仕方なく付き合ってるだけだ』と心にもないことを口走ってしまったそうなんです」
死確者は「あっ」と声を出した。
「もしかして、その女の子に近くで聞かれてた?」
「ご名答、です」まさにその通り。
「どうにか伝えようとしてもなんとなく避けられるようになり、そのまま卒業。高校は別々。電話しても何しても彼女との連絡は取れずじまい」
「成る程。そのことに後悔し、謝りたかったというわけですか」
「ええ」
「会えた、ということは、謝ることができたんですよね」
「いや、できませんでした」
「えっ!?」声を張り上げる死確者。私も驚く。肩がびくりと上がる。「謝れなかったんですか?」
「ええ」
「もしや、謝らなかった?」
「いえいえとんでもない。謝る気満々でした」
「……あのぉー」死確者は目をつぶった。「確認ですけど、見つかりはしたんでしたよね?」
「ええ」
「けど、謝ることはできなかった……」
「ええ」
「……どういうことです?」
これは流石に分からなかったようだ。
「会えたのはお墓の前でした」
「あっ」言葉を失ったのか、察して言葉を飲み込んだのか、死確者はそれだけ発して黙り込んだ。
「ええ。既に亡くなっていたんです」
「なら……未練解消は?」
「まあ、そうですね……端的に言うと、できませんでした」
予想した通り、沈黙が訪れる。
「そんなこともあるんですね」
死確者の声は小さくなっていた。
「未練解消は難しいということを痛感させられた、最初の事案でした」
「天使さんも苦労なさってるんですね」
鉛のように重い表情の死確者を見て、しまった、と後悔する。
「亡くなってからにはなりますが、上の計らいで2人は会うことができました。なので、まあ最終的には謝ることはできました」
「なら、その大学生さんは……」
「無事、成仏しました」
死確者はその二言を耳にして、ほっと安堵の表情を浮かべた。
「次の話は20年ほど前だったと思います」
続けて口を開く。最初にするにはあまりにも重い話だったから、次は明るめの話にしよう。
「ある70代の男性を担当しました。趣味はギャンブル。いや、趣味というのはちょっと違いますかね。唯一のもの。言い換えれば、生きがい。それなしでは生きられない方でした」
「もしかして……依存性?」
「ええまあ」
端的に言ってしまえばそうだろう。だが、一言で片付けるには少し悲しい理由があった。
「元々はギャンブルはしていませんでした。歳を重ね、両親が死去してからずっと天涯孤独。身寄りもなく、毎日毎日が辛くなり、同時に寂しさや恐怖を感じるようになったそうです。ある日、偶然入ったパチンコで遊んだ時、厭な事実を忘れ去ることができたそうです。それから、ギャンブルにのめり込んでいきました」
「なんか可愛そうですね……」
「ええまあ」私は同調しながら続きを話す。「それ以前にもギャンブル依存症の方を担当したことはありましたが、その人は特に凄かった。もう『ギャンブル』に属するものは全てやってきました」
静かにそして小さく死確者は頷いている。ふむふむという擬態語がぴったりな動きだった。
「中でも特に競馬が好きで、毎週末競馬場に入り浸って馬券を買っていました。ですが、何十年もかけ続けてきたものの、一度も当たったことがなかったそうなんです」
「一度も?」眉が頭に近づく。
「ええ、当たれば配当の大きい馬券のみを購入していたみたいで」
「分かった」両手を合わせ、音を鳴らす死確者。「死ぬ前に大穴を、ってのが願いだった。だから、能力を使って未来を見た。違いますか?」
「大体は合ってます」
「違うのは?」
「能力を使って、というところですかね」
細かな指摘ではあるが、尋ねてきたからには答えるのが道理である。
「何が当たるかは、冥界に連絡とって許可を貰い、未来を教えてもらったんです。未来が見えるなんて、私は超能力者じゃありません」
不意に死確者が笑う。「それ……面白いですね」
「どこがです?」どこにも面白い要素などなかったはずだが。
「超能力より凄いことしてるのに超能力者を上だと思っているところが、です」
……そうか?
「というか、許可制なんですか?」
「ええ。あれもこれも、もうがんじがらめですよ」
「あの世はあの世で大変……どこも大して変わりませんね」
私はふと話題が逸れていたことに気づき、「それで当たったわけです」と戻した。
「下世話ですが、お幾らほど」
催促された私は「半日で2000万円程だったと記憶しています」と答える。
「羨ましいですね~」感嘆の声をあげた。
「それで、次のレースも半分ほどかけました」
「結果、幾らまで増えたんです?」
「増えてません」
「ということは、2000万円のまま?」
「0円です」
「は?」
言葉が飲み込めていないのだろう、死確者は口をぽかんと開けっぴろげにしていた。
「全部すったんですよ」
言い換えてもう一度伝えると、「なんで……」と声を喉から絞り出し、「だって未来は知ってたんでしょ?」と訊ねてきた。
「本人曰く、『競馬は馬の体調、天気やコースの状況を鑑みた上で考えに考え抜いた後に馬券を買い、当たるか当たらないか分からないレースを見てる間が最高に楽しい』らしいです。とことん勝ち続けた最終レースで勝ち金全てを一頭の馬に賭けたんです」
「結果、全部……はぁ~」後ろのシートにもたれかかる。
「ですが本人は『これが競馬ってもんだよ』って満足そうでした。加えて、『もう未練はないよ』とも」
「最後は?」
「馬に腹部を蹴られて亡くなりました」
これまでの感謝を述べるため、馬小屋へ忍び入って一番最後に賭けた馬に近づいた途端、暴れ出したのだ。
「何とも反応しにくい終わり方ですね……」死確者は頭の後ろで手を組んだ。
「ですが、満面の笑みで幸せそうな顔をしてました」
「そうですか……ならよかったんでしょうね」
死確者は首を曲げてくる。
「他には?」
先ほどとは打って変わり、死確者の反応は良好だった。
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