第10話

 後方右から雨音が大きくなる。不思議に思い、私は顔を向ける。


 目が合った。瞼が勝手に大きく開く。


「よっ」


 久しぶり、と続きそうなテンションで手を挙げて挨拶してきた。私も手を挙げて返した。


「よいしょっとぉ」まるでタクシーに乗車するかのように、体を中に入れてきた。そして、座る。


「なんだ」ここ最近ずっと抱いていた疑問が解消された。「最近会わないと思ったら、部署が変わってたんだな」


「違う違う」死神は顔の前で横に手を振る。「先導課に異動にはなってない。今も俺は配達課」


「何?」


 そう言われて私はあることに気づいた。確かにいつものショルダーバッグを持っているのだ。これを持てるのは、配達課だけである。とすると、1つおかしな点がある。


「配達課の死神は現世には来ないんじゃないのか?」


「原則は、な」


「どういうことだ?」と私は尋ねるも、死神の視線はバッグに向けられていた。「えぇっと……」中から何かを探している。いつもより慌てており、どこか落ち着きのないように見えた。


「あっ、あったあった」


 死神は取り出し、私に手渡してくる。いつも通り、受け取る。いや、反射的に受け取ってしまった。

 まじまじと表裏を。「封筒……か?」なんの変哲もなさそうだ。


「見りゃ分かんだろ」


「だから、なんでここで?」これを渡すのは、冥界のはず。現世ではない。


「ったく、ちょっと会わないうちに変わっててくれよ。相も変わらず質問が多いなー……まだ次もあるだからさ」


 何?


「次って言うと……配達なのか?」


「そ」と口を丸く開くと、「ほれ」とバッグの中を見せてくれた。確かに、中には封筒がいくつもある。寸分の隙間もなく、詰められている。


 それにしても……「随分と、数が多くないか」


 今まで持ってた数で最多かもしれない。


「それが最近さ、色々とドタバタしててな、次から次に死確者が待ってる」


 今回の死確者に与えられた時間は長くなかったとはいえ、異常なまでに急げ急げと促された。しかし、今回より短かったことなど山ほどあった。

 少し疑問には思っていたが、成る程。後に控えている死確者が多くいるからだったのか。


「何故そんなことに?」今に始まった事ではないが、そういうのはこちら側にも伝えて欲しい。そんな思いを込めて、尋ねてみるも、「俺たち下っ端には教えちゃくれない。いつも通りさ」と返された。続けて、「仕入れたら教えてやるよ」と言うと、悪いことを思いついた小学生のようにほくそ笑んだ。


「そうか……となると、大変だな。この雨の中、これから配り回るんだろ?」


「いや、回りはしない」


 え?


「ここら辺で配達は終わるんだ」


 なんだ。「なら、楽だな」


「ああ、不幸中の幸いってやつだ」


「……なんだそれは?」


「起きた災難の中に、少しだけ幸せが混じってるって意味だ」


「ふーん……」新たな知識を得た私は小さく頷くと、「んじゃ、またな〜」と死神が去ろうとする。


「待ってくれ」私は急いで呼び止める。「お前もここを離れるとなると、先導課が来るまでの見張りと引き継ぎはどうすればいい?」


「それなら大丈夫」と左のほうを指をさされた。「もうそこにいるから」


 見ると、いた。こちらに気づくと、表情を緩くし、会釈をしてきた。私たちと同じく、傘をさしていないのに、体のどこも濡れていない。

 だが、まだ死確者は死者になっていないではないか、という私の疑問を見透かしたように、「ちなみにこれも、特例」と死神から教えられ、渋々納得。

 特例やら特別やら例外やら、言えば疑問が一時的に保留されたり、済んでしまうようなことが現世では多い。あまり考えたくないのだろうか。難しく、時に軋轢を生んでしまいかねないことに直視をしたくないのだろうか。まあ、私たちも例外ではないのだが……あっ、早速使ってしまった。


 にしても、こう死神が数多くいるとなんとも……


「あっ、ヤッベッ!」


 死神が唐突に声を上げる。慌てふためき出していた。


「どうした?」


 こちらに向けてきた死神の顔は、異様なまでに強張っていた。


「ミスった……」


 ミス?「何の?」


「順番。お前の方が少しだけ遅かった」


 遅い?


「ったく、ややこしいんだよなぁ。秒単位で違う上に、から」


 ということは、もしかして。


「マズいマズい。えぇ、最初は誰……」


「何人だっ!?」


 死神は飛び上がりそうな勢いで肩をびくりとさせ、固まった。


「あっいや……」しどろもどろになる。私自身もここまで大声が出るとは思わなかった。後部座席に飛び込まんばかりに、身を乗り出すとも。


「その、私の死確者の前に何人が死者になる?」


 私は改めて言い直す。すると、急速冷凍されたように静止していた死神が、「あぁ」と、バッグからむき出しの紙一枚を取り出し、目で読み始めた。


「えぇっと……ろ」


「ろ?」


「……く、にん」


 死神が顔を上げる。対照的に、私は視線を落とした。頭の中で言葉が繋がり、変換される。ろ……く、にんぶん。ろくにん。6人。


「そうか」私は乗り出していた身を引く。


 息の音を聞いたのは電話からであり、姿は見えなかった。当たり前のように天使の声も聞こえるため、普通の人間として数えていたようだ。

 加えて同じ人間に射殺されたとすれば、そして私の死確者の方が少し長生きすれば……

 死確者には悪いことをしてしまった。の人数がいると教えたのだから。


「なあ」


 視線を上げる。目が合った死神は物珍しいものを見るかのように私を見ている。


「間違ってたら悪い。お前、笑ってる?」


「えっ?」


「まさか……気づいてないのか?」


 驚きと呆れの混じった目つきへと変わる死神。私はただ純粋に、縦に頷いた。


「そっか……」と背もたれに体をつける死神。「少し見ない間に随分と変わったな」


「どっちの意味でだ? 良い方か悪い方か」


「想像に任せるよ……って、いやいやそんなこと言ってる暇ないって! 最初のやつまでもう1分ないじゃんかっ! ヤバイヤバイヤバイ!!」


 死神は慌てて車を降りると、急いで駆け出した。6着の黒服がその後を追う。向かう先は、事務所があるあの建物。


 うん、やはりそうだ。これで、多分は確信に変わった。自然と笑みが浮かんだ。


 コンコン


 窓を叩く音が聞こえ、私は頭を反対側に持ってくる。ノックしていたのは、先導課の死神。

 顔を見て、思い出した。私は扉を開け、車を降りる。


「すいません、時間を取ってしまって」


「いえ。では、特例ではございますが、あとは自分が引き継ぎます」


「お願いします」


 会釈すると、相手も、先ほどの皆と同様に建物へと走っていった。


 私は手に持っていた封筒を開く。次の死確者はどこの誰でなのか。一枚目にある資料を見て、思わず眉が中央に寄った。


「遠いな……」


 私はまた深いため息をつく。

 だが、行くしかない。次の死確者がいるのだから。それが私の仕事なのだから。

 くるりと踵を返し、歩みを進める。


 私は雨が嫌いだ。それは変わらないし、おそらくこれからも変わることはないだろう。

 けど、今は少しだけ。ほんの少しだけ、許せる気がした。

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