第7話
「なんでマー坊は訛ってないんだ?」
「中学までこっちにおらんかったからや」新しいタバコを持った手で眉間を掻く死確者。「マー坊は東京生まれ東京育ちやねん」
「それはつまり、言語がある程度形成される時期まで東京にいたから、こっちの言語影響は受けなかったということか?」
「小難しい言葉並べんなや、腹立つ」不機嫌そうにタバコに口をつける死確者。「気ぃつけんと嫌われんで」
「す、すまない……ちゃんと注意する」
「物分かり早くて良くて大変よろしい」今度は満足そうにふかした。「ま、せやから考えようによっては今は、ある意味里帰りやな」
「何故、こっちに越してきたんだ?」
「越してきた、ねぇ……」
煙と一緒に吐くと、死確者は灰皿の上でタバコの灰を落とした。そして、再び窓の外を見る。
妙にひっかかるような言い方をするが、私は別におかしなことを言ってはいないはずだ。中学、という言葉が指し示す範囲内には、私の記憶が正しければだが、基本的に親元を離れて1人暮らしをする年齢は入っていなかったと思う。となると、両親や少なくとも年上の血縁関係者とともに引越しをするはず。
「違うのか?」
「まあ……な。その……」次はどう言おうかと言葉を探るように、死確者は口ごもった。
あぁもしかして。「大丈夫だ。誰にも言わない」
「天使さんよぉ」死確者は視線を飛ばしてくる。「これだけはビシッと言っとくわ」
「人のプライバシー、土足で踏み入るんはよくないで」
「プライバシーとは、どこかの部屋か何かなのか?」
私がそう尋ねると、死確者は急に黙ってしまった。
「前ん時も思たんやけど……お前、例えるっちゅうことが嫌いなんか?」
そうか、土足で踏み入るというのは、例えだったのか。しまった、つい癖でろくに考えもせず反射的に言ってしまった。
「そのままの意味で捉えてしまうのが私の癖なのだ。だから、気にしないでくれ」
昔よりは改善されたものの、今でもつい気を抜くと、思ったままを言葉にしてしまう。自分から言うこともなくはないのだが、脳や体にはまだ浸透してないようだ。
「そのまま……」眉間にしわを寄せると、口につけたタバコの先を赤くする。目線は少し上向き。何もない天井を見て、しばらく黙ってしまう。
「その、例えるというのはどう見極めればいい?」
自分で言ったり考えたりするのはできてきたが、人間のを見極めるのはまだなかなか。
「経験やな。やればやるほど理解は深まってく」
「ならば、どうやればいい?」
死確者はタバコをふかす。
「ジョークと同じや」
で、口につけた。
つまり、こういうことだ。
ジョークも例えも自身で想像しなければならないことに加え、理解するにはそれ相応の経験を積んでないといけない。
「ま、頭の固いアホに真に受けるアホ、チンパンジーしかないアホやったら意味ないけどな。すんばらしいのを思いついても、上手に受け取ってくれへんから」
追加。相手にもそれ相応に知識がないといけないという前提が……いやいや、違う。こんな話をしたいわけではないぞ。私は話題が逸れていたことに気づき、「ということは、引っ越しは色々あったのか?」と慌てて軌道修正をした。
死確者はバツの悪そうな舌打ちの後、「せや」と口を開いた。「色々あってこっちに来て、色々あってこの世界に入った」
口調は違うが、やんわりと話題をかわされた。どうやらこれ以上、マー坊のことで話すつもりはないらしい。
「なら、これだけ」オヤジさんのことを似通った話にはなるのだが。「なぜ、マー坊を東京に逃がしたんだ?」
「言ったやろ。味方やからや。せやから危険な目に……」
「それを言うのなら、他の組員だって同じはずだろう。だが、そんな気配はなかった。なぜ、マー坊だけなんだ?」
私の問いに渋ったが、「まあ、俺のやしええか」と心の声を割とはっきり漏らし、タバコを消した。背広を下に引っ張り、整える。首も肩を盛り上がらせながら、軽く回す。それで、長くなりそうだというのが伝わってきた。
「ある日なワシの目の前来て、『俠気に惚れました。組に入れてください』て土下座してきたんや。突然やで? どこで調べてきたんねんって感じやろ」
「確かに」適当に相槌を打っておく。
「そん時のマー坊は今よりも痩せてて、どっからどー見てもヘタレ中のヘタレ。せやから、うちらの世界じゃやってけへん、って断ったんやけどな、毎日毎日何度もワシの前にしつこく現れよっての。こないなの続けられたらシノギの邪魔になる。てことで、雑用として雇うことにしたんや」
死確者は手で覆うように顎を触り、話を続ける。
「そんで、無理難題課して、できひんかったら罵声浴びせた。時に胸倉つかんで脅しをかけたわい。ひどいやっちゃろぉ? 言い訳にしかならんかもやけどな、ちゃんと理由があったんや。それはの」
「合わないから、か?」
私の答案に、死確者は「よう分かったな」と丸をくれた。
「けど、あいつは妙に諦めの悪い奴での、何言われても耐えた。耐えて耐えて進化した。どんどん身につけて、出来るようになってった。人間てのは困難に乗り越えるたびに目つきが変わる不思議な生き物や。あいつはの、凄まじく強うなった」
「しまいにはワシが折れてもうてな、オヤジに頭下げて盃貰うて」鼻で笑う死確者。「一番向いてないおもたのにな、人生分からんわ」
「可愛がっていたんだな」どこか懐かしそうな、浸るような笑顔に言葉を返した。
「まあそれもあるけどもな……いくら頼まれた言うても、オヤジに頼んで杯もらってこの世界に入れたんは紛れもなく、このワシや。せやったら、最後まで面倒みるのが筋言うもんやろ」
やろ、と言われても、私にはその感覚が分からなかった。だが、絆のように硬く結ばれている関係性であるということは理解できた。
「成る程。了解し……ん?」
「どした?」
私は死確者問いには答えず、窓の外を指差した。十分伝わる。
「おいおい」死確者は驚く。目線は事務所。先ほどとは異なり、煌々と光が溢れた事務所だ。
「帰ってきたんかいな」
しかし、まだ20時15分。予定より早い。何かあったのだろうか。私は目を凝らす。ふと天井に映る影を捉えた。形からして人の影だ。
「複数人いるようだぞ」私は死確者に、情報を伝える。
「何人か分かるか?」
「いや」正確な数は分からない。「だが、結構な数がいるのは間違いと思う」
「間違いないんか思うなんか、はっきりせい」
と言われても、雨が邪魔をしてよく見えないのだ——私はそう言おうとした。しかし、ケータイがそれを阻む。死確者はポケットからスマホを取り出した。相手を見て、スイッチを押す。そして耳へと運んだ。どうやら電話らしい。私は急いで耳に意識を持ってくる。
「どうした?」
『……アニキ』相手はマー坊のようだ。
「頼んどいたんは見つかったか?」
『すいません……』返ってくるのは弱く、かすれている声。
「……なんかあったんか?」
おかしなことに気づいたのだろう、死確者は眉をひそめて訊ねた。
すると、ガチャガチャとケータイから聞こえてきた。経験がある。ケータイを雑に荒く持ち上げた時に聞こえる音だ。人が変わる時とかに鳴る、あの音だ。
「おい、どないしたんや?」
返事はない。代わりにガサゴソと雑音が聞こえるだけだ。
「マー坊っ」声を荒げると、『お待たせしましたー』と、ようやく声が。
『お電話、変わりました〜』
マー坊の声ではない。かといって、知らないわけではない。むしろ、とても聞き覚えがあった。
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