第6話

 私は事務所の中へ。当然扉は開けず、ひょいっとくぐる。


 テーブルには、所狭しに機器が並べられていた。まるでドラマや映画のワンシーンのようである。どうやら私がいない間にかなり組み立てたらしい。

 死確者は膝を曲げて、顔を近づけて機器を何かを調節している。時折、手元の説明書にも目をやりながら。


 そびえ立つかのように構えている機器の数々に私は荘厳さを感じた。せっかくだからしっかり見ておこう、と近づく。


 途中、死確者は「あぁー」と声を出しながら体を動かす。疲労が溜まっていると一目で分かる。

 首を左に回した際、私と目が合うと死確者は「おぉ」と肩を動かし、驚いた。口にくわえたタバコが落ちそうになるも、寸でのところで唇をしめて受け止めた。伸びていた灰だけが地面に落ち、四散する。


「帰って来たなら、来たって言いや。びっくりするやろ」


「すまない、帰ってきた」


「遅い」小言が返ってきた。


 私はさらに距離を詰め、「こんな大きさになるんだな」と上半身を曲げた。


「な、ワシも流石にここまででかいとは思わんかったわ」


 片頬に笑いを詰めた。満足そうだ。


「借金をチャラにしただけはあるな」


「人間言うてみるもんやよな、『とびっきりのモン用意せい』て」


「けどなー……」苦虫を潰したように浮かない顔をして、頭を掻く死確者。「なかなか上手いこといかへんのや」


「彼にやってもらったのにか?」


「いや、軽いのをやってもらってすぐ返したわ」


「何故だ? こういう物を専門に扱っているのならば、知識として持っているはずだろう」


「ヤクザ同士の揉め事にカタギ巻き込むわけにはあかんやろ」


 カタギ——確か、この世界にいない一般市民を指す言葉だったはず。


「一応、これ見ればできるってトコまでやってもらったんやけど分からんくての。全く進まんねや……」


 死確者は説明書を振る。


「なら、手伝ってもらえばよかったじゃないか」


 死確者は私を見てきた。「自分にか?」


「いや、マー坊だ」私はキッチンを指差して訊ねた。「もう帰ってきてるのだろ?」


 小さめのシンク横に食べ終えた食器が無造作に置かれている。所々汚れているし、そもそも事務所を出る前にはなかった。


「あいつはな……」死確者の声のトーンが急に落ちる。「向こうへやったわ」


「向こう?」どこか引っ掛かりを感じ、私は左へ首を傾げた。


 死確者は離して置いていた灰皿を手元に寄せながら、後ろの椅子に腰掛けた。


「今頃、新幹線の中やろな」


「どこ行きの、だ?」


 タバコを吸って、吐く。吐ききってから「東京」と一言。


 東京?


「何故そんなところへ?」私はさらに首を傾げる。ここからはかなりの距離があるはずだ。


 死確者の眉間が反応する。「ワシが嘘ついたからや。バレへんように嘘8割ホンマのこと2割混ぜてな」


 疑問はさらに膨らむ。「敵ならば分からなくもないが、マー坊は味方のはずだろう。騙す必要などないのに、何故わざわざ嘘を?」


 死確者は手を止め、私の方へ振り向いた。「味方だから、むしろ味方やから、危険な目には遭わせたくなかったんや」

 合っている目と僅かに垂れた眉にはどこか哀愁が漂っていた。


「まあとにかく、あいつは暫く帰ってこうへん。てな訳でよろしく」


 死確者は再び膝を折り曲げ、機械操作を始める。だが変わらず、動作を止めながら迷いながら。機械の斜め上へ左手を伸ばす。すると死確者は顔を苦痛そうに歪め、すぐさま腕を左脇腹へ当てる。口元を小刻みに痙攣させながら、首を下へ。


「大丈夫か?」


 近づくと、死確者は右手で手を伸ばして止める。


「心配せんでええ。ただのかすり傷や」


「かすり傷だったら入院することはなかっただろう」


「なんで知っとんのや、入院したって」


「なんでって、マー坊が来た時話していただろ。窓からカーテン使って降りて病院抜け出したって」


 死確者は「あぁ、せやったな……忘れてた」と力なく小さく笑うと、一つ大きな息を吐く。落ち着かせてから再開させる。今度は左に体ごと移動し、スイッチを押した。そして、「んで、次はっと」と、また説明書に視線を落とした。


「……なんで、マー坊なんだ?」


「ん?」素っ頓狂な声を出し、私を見た。


「坊っていっても、頭を丸めているわけじゃない。若者を指す坊主という呼称もあるが、それにしては彼はそこそこの年齢を言っていそうだ。なのに何故、マー坊はマー坊なんだ?」


 動きは止まったまま。が、突如体が揺れる程笑い出す死確者。


「天使ちゅうのは、随分おもろいこと言うんやな」


 はて……私は何か、面白いことを言ったのだろうか?

 死確者は置いていたタバコを口へ運ぶ。大きく吸い込んで煙を吐く。


「確かにマー坊は頭剃ってへんし、歳ももう35や。いや……36やったか?」


 少々うろ覚えな死確者に私は、「なら、余計何故なんだ?」と続ける。


「麻婆茄子って知っとるか?」


「ああ。中華料理だよな?」


「せや」死確者はタバコを吸う。


「……それが?」


「それや」唇を上向きにし、白い息を吐いた。ただ、それだけや」


 それ……あっ。「マーボーだからマー坊?」


 死確者は、正解、と言わなかった。ただ、にやりと不敵に笑みを浮かべただけだった。なんだ、勝手に何か深い意味があるのではないかと思ったが、どうやら私の考え過ぎだったのか。


「ほんで、どうやった? 上手く付けられたか??」


「勿論」


 死確者以外の人間には見えない私にとって、ことなど、赤子の手をひねるほど楽勝であった。だが、実際に赤子の手をひねるのはあまりにも非道徳な行為であり、赤子に無慈悲かつ可哀想である。まだ、何も悪いことをしていないどころか、できない世代なのに。

 だからひねる代わりに、私は親指を地面と平行にした右手を前に突き出し、こう言った。


「グッジョブだった」


 ……ん?


 死確者は何故かキョトンとしている。少しして、何かに気づいたように目を開くと、すぐに「あのな……」と片眉を上げて目を細めた。いや、気づいてくれてないようだ。


「いくつかツッコまなアカンとこあるから、順を追って解説するわ」死確者は説明書を置いた。「まずなぁ、グッジョブ言うなら、拳は縦にして、親指は上向きにせなあかん」


「それはすまない」私は急いで言われた通りに、90度右側に回転させてから拳を立て、親指を上にした。「これでいいか?」


「オッケーオッケー。で、次。そもそもグッジョブは相手が、今回だったらワシが言うことや」


 そうなのか。「なら自分で言うと、どうなるんだ」


「自画自賛。ただのウザい奴」早い返答。


「なら、なんと言えばいい?」


「普通に、そのままでええよ」


 少し味気ない気がするが、まあいい。


「なら、仕掛けてきたぞ。渡された10個全て見つからないところに」


「よっしゃ、なら頑張るかっ!」死確者は両頬を手で叩き、作業を続行した。


「んで、事務所には何人おった?」


 突然の問いだったが、私は「0だ」と答えられた。それほど印象的で、明らかだった。


「なんや、誰もおらんかったんか」


「ああ」


「そんなら行きゃあよかったわ。見つからへんて便利な能力やなー思てたけど、使い損かい」


「使い損というか元々備わっている能力だから、得した損したという感覚はない。それに、見えないせいで危ない目に何度も遭遇したことがある。必ずしも便利であるというわけではない」


「それはあれか」死確者は少し声を張る。「ないものねだり、ならぬ、あるからぐちり、ってか!?」


 突然のボリュームに私は一瞬頭が真っ白になる。何を言えばいいのか分からなかった。だから、そのまま「まあ、行ってから分かったことだからな」と続けた。


「なんや、たまのボケには無視かいな」死確者は残念そうに愚痴をこぼした。


「も、申し訳ない。何を伝えたかったんだ?」


「分からんなら別にええ。そんな大事なことでもないし。てか、その方がむしろショックや」


 死確者は落ちた紅葉を箒で綺麗に払うように話題を流して、説明書に目を落とした。


「そういや自分、ガラケーかスマホか持ってないんか?」


「ああ」


 ガラケー、という単語を久々に聞いた気がする。見たのなんかはもう何年も前の子と。かつては皆この形状だったのだがな……

 近代的だったと思っていたものは、別のものに取って代わり、いつの間にか過去の遺物となる。手のひらに収まるものなのに、時代は流れ、変わりゆく儚さを感じ、妙に切なくなった。


「今のご時世不便……いや、天使やから別にいらんのか」


 死確者は機械と交互にちらちらと見ている。


「そうだ」私は頷き交じりに答えた。


「やっぱ便利やなぁー」


 死確者は手前の大きなボタンを押す。すると、赤いランプが付き、機械がざあという雑音をかき鳴らし始めた。


「これでええ、な」と死確者は顔を機械から遠ざけた。で、大きく手を叩いた。


「いくらバレないようにしたとはいえ、絶対バレない保証はない。そう考えると、危険ではないか?」


「そやろな。せやけど、虎穴に入らずんば虎子を得ず。多少の危険は承知の上」


「それに」死確者は続ける。「失うもののない死にかけの奴に、怖いもんはない」と、またしても不敵に微笑んだ。


「無いのか、何も?」


 とは言いつつも何かしら人間には怖いものはある。別に恐怖というわけではなく、何かを行うことで発生するリスクが嫌で怖い。


「全て捨てる覚悟で、この世界入った。家族も友達もコレも」小指を立てる死確者。「そんで、命もな」


「マー坊は?」


 痛いとこ突かれたという具合に、死確者は頬に笑みを見せた。


「まあ、あいつは確かにちゃう。だからこそ、東京に送ったんや」


 ああそうか。忘れてた。


「早速やってみよか」電源の隣にあるダイヤルを回し始める死確者。私も膝を曲げて、機械に耳を近づける。どこか決められたところへ合わせるように、慎重かつゆっくりと回し続ける。

 次第に、雑音が小さくなっていく。反比例して、人の話し声が聞こえて来る。しまいには、雑音はクリアになり、奥に潜んでいた様々な音がはっきりと表れた。


 柳瀬組の事務所にはもう人が。どうやら帰ってきたようだ。

 話し声が飛び交っていることから、複数いることが分かる。とりとめない話から物騒な話、人によっては下劣で卑猥な話まで。正直なところ、これといって価値のありそうな、有益なものはない。ただの雑談といった感じだ。


 すると、扉が開く音が聞こえてきた。向こうの人間が、例えるならまさにぴしっ、と一斉に動く。加えて、『お見えになりました』『おう』の声が聞こえる。それを聞いて、死確者は「組長でも帰ってきたんか?」と小さく呟く。


『いやいや、時間ピッタリですな』男の声。結構な歳のようだ。


『これからを練る大事な話し合いですからね』これも男の声。しかし、先程の人よりはかなり若そうだ。『遅れたら不安でしょう。互いに色々とありますし』


『それもそうですな。お飲み物は、いつもと同じで?』


『ええ』と若い男が答えると、『おい、コーヒー。とびきり熱いのを何も入れん真っ黒ブラックでな』


 独特の表現をする歳の男。


『ちょっと、真似しないで下さいよ』また若い男。声色から察するに、怒りは込もってないようだ。


『こりゃ失敬』


 で、双方高笑い。


「そんな……」私は横に顔を向ける。死確者が声を漏らしたからだ。


 明らかに、死確者の表情が変わっていた。いや、おかしくなっていた。

 目が泳ぎ、顔が微かに左右に動いている。声には出ていないが、口元も空気を求める魚のようにパクパクと動いている。動揺を隠せていない。


 私は昔同じような表情をした死確者を担当したことがある。それは、妻のプレゼントのために隠れていたら不倫現場を目撃してしまったというものなのだが、その経験から推察し、そして話を聞いた限り、今回の死確者も予想外の真実に雷でも打たれたかのような衝撃を受けている。間違いない。

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