第5話

「自分……やったんか」


 傘を後ろへ戻しながら、死確者は語りかけてきた。


「ん?」


 私は顔を向ける。彼女たちのことを思い出して、加えて雨の音のせいで、つい聞きそびれてしまった。


「なんや、もう忘れたんか?」


 流れからして、もう、の指す言葉はすぐ分かった。


「いや、ここでは相手のことを、“自分”と呼ぶのはちゃんと記憶してる。単にその後を聞きそびれてしまっただけだ。何が、やったのか、なんだ?」


 死確者は咳で声を整え、改めて「自分、ラジオ好きやったんか?」と訊いてきた。


「は?」無意識に眉が上がる。

「耳おかしいんかっ、ラジオやラジオっ!」声を張り上げる死確者。


「そうではない」すぐに遮る。上手い具合に意思疎通ができない。だから雨は嫌いだ。「その、ラジオとはなんだ?」


「……は?」眉を上げる死確者。「知らんで付けとったん?」


「手違いだ。俗に言うハプニング」


 死確者は「俗に、は、いらんけど」と、つまみやらパネルやらを慣れた手つきで操作し、ラジオというものを切った。


 無音になる車内。代わりに雨音の勢いが増す。実際に雨が強くなってるのか、相対的になのか強くなったのか。

 ふぅうと息を吐く死確者。頰を少し膨らませている。


「トイレ、随分とかかったな」そう無音を切った私に、死確者は「なかなか見つからんくての」と答え、タバコを手に取った。


「その上、ようやく見つけたコンビニも長蛇の列。あの近辺に、公衆トイレかなんかそういうの増設せんとあかんで。ったく文句言ったろうかな……」


 死確者は愚痴を吐露した口にタバコを入れ、火をつけた。先端を赤く染めながら燃やし、口から離す。煙を勢いよく吐く。


「だが、そんなことすると警察に目を付けられるのではないか。通報されて」


 確か、人間を取り締まる警察とは、ヤクザとは険悪であるはずだ。


「ジョークやジョーク。てか、もう今から言っても遅いやろ」


 死確者は自嘲気味に言うと、灰皿に灰を落とした。続けて、思い出したように腕時計を見ると「もう少しやな」と呟いた。私も車の前方にあるデジタル時計を見て、確認する。4つの数字が縦に並んだ点ふたつに区切られ、オレンジ色に照らされている。前半2桁は20を示していた。頃合いだろう。


「1ついいか?」と声をかけると、「別にええけど、なんや改まって」と、死確者は身構えた。念のため「気を悪くしないでくれ」と前置き、そして訊ねた。


「なんでそこまで必死なんだ、組長の復讐に」


「あ?」死確者は私を見てくる。まるで研いだばかりのナイフのような眼光。この後に続く言葉は、なんだこの野郎、の可能性が高い。


「もう時間はあまりないということは、覚えているよな」

 誤解を与えないように伝えるにはなんと言えばいいか分からず、私は探り探りで言葉を並べていく。


「しっかりな」顔のパーツを全てを使って、私を睨んでくる。


「なのにその時間全てをつぎ込んで解決しようとしてる。組長は契約上は親でも、実の親ではない。申し訳ないのだが、私にはそれがよく分からない。血縁関係があるならまだしも、なんでそこまで必死に、命をかけられるんだ?」


 タバコをくわえ、深く吸い込む死確者。そして、ゆっくりと長く、煙を吐いた。吐けば吐くほど、表情が和らいでいく。


「それ言うたら、恋愛とかも同じやろ」


 予想だにしない角度からの返答に私の眉が反応する。根拠が気になる。私は即座に「というと?」と問うた。

 死確者は少しばかり離した手を前に出し、「人類みな家族、なんてのは一旦置いとくで」と脇に置く動作をし、続ける。


「人間が好きになるんは赤の他人や。血の繋がりなんてない、言ってしまえばただの人。そんでも、見た目とか性格とか仕草とか、まあとにかく何かがきっかけで恋して、自分の手でどうにか守ろうとするやろ。時には、命張るようになるやろ。殺された時は犯人恨んで、復讐したい思うやろ。それと同じや」


 同性異性関係なく恋愛により、人を守るために命を張る死確者がいたと耳にしたことはあるし、実際私も過去にそのような死確者を担当したことだってある。その経験から言えば、同じ、である気がしなかった。しかし死確者の言い切る力強さと妙に説得力のある口調によって、私は思わず「なるほどな」と頷いてしまった。

 だが、驚きだ。これまでの事を見てきたからかもしれないが、むしろそれによって余計に、死確者が愛などという非科学的で不確かな精神論を語るとはまさか思いもしなかった。甚だ意外である。


「ええか、この世には血の濃さよりも濃い繋がりがあんねん。姿形は多少違うけどな、そういうののうち1つがワシらの世界っちゅうことや」


「なら、きっかけは?」


「は?」死確者は顔を向ける。予想だにもしなかった、というような顔をしている。


「同じならば始まりに繋がることもあったはずだ。どんなきっかけで、組長に恋したんだ?」


「恋って……」苦々しい表情を浮かべる死確者。「せめて惚れたにしてくれ」


「では言い直す。組長に惚れたきっかけは?」


 まだどこか引っかかるのか、表情からさほど苦々しさが消えることはなかった。しかし、「きっかけはワシがまだ青二才やった頃やろな」と、天井を見上げながら死確者は回顧し始めた。


「まだ小生意気なクソガキでの、血気盛んで喧嘩に明け暮れてた。メンチ切るヤツ、片っ端から突っかかって殴る蹴るの繰り返し。おかげで傷害でパクられ、実の親には勘当や」


 指の先で挟まれたタバコから今にも灰色の燃え殻が落ちそうだった。それほどまでに、死確者の意識はどこか遠い。懐かしい思い出に浸っているのか時折笑みを浮かべてさえいる。


「行くあてもなく路頭に迷っとった時、ある男が現れた。それが、オヤジやった。ワシのことどっかで見とったみたいでな、『喧嘩するならうちでせえ。わしが全部面倒見たる』。普通は、知らんおっさんで薄気味悪い笑顔しとった程度に受け止めんねんけどな、なんかその言葉と笑顔が妙に心に沁みてな、気づいたら『お願いします』て頭下げてた」


「では、この世界に入ったきっかけは」という私の言葉を奪うように、「そうや」と答えた。


「今のワシがいるのは、オヤジのおかげや。返せんくらいの恩がある」


 タバコを灰皿へと雑に放る死確者の声は、どことなく弱くなっていた。


「せやのに」また外を見た死確者。「ワシは……ワシはまだ何もしてへん」

 死確者の言葉に、先ほどまでの何でも跳ね返すような力強さがなくなる。代わりに、声を震わせて悲しみを帯びさせる弱さを垣間見せた。


「それどころか、仇で……」


 仇? あっ、もしかして……


「あの日、ワシがオヤジに盃もろた日やった。恩返しの意味も込めて、一緒に飯食いましょうて誘ったんや。普段照れ臭くてろくにできひんかったから、記念日に取っ付けてな。なのに……なのにそのせいでオヤジは……」


 声が震えてきたことから察するに、オヤジは殺されてしまった、というわけか。やはりそうだった。これで、今回の一連のきっかけに繋がるのだ。

 死確者は軽く鼻をすすった。「もうな、ワシがやったようなもんや……誘ったワシが殺したようなもんなんや」



「それは違うだろう」声をかけた私に、死確者は顔を向けてくる。


「殺したのは別の人物だ。あなたじゃない」


 資料にはオヤジさんを救おうとしたが、叶わなかったと書かれていた。殺そうとした人間が救おうとなんてしない。


「それにだ」そう考えるとちょうどいい。「後で幾らでもできる。恩返しだろうと謝罪だろうと」


 死確者は少しだけ呆気にとられると、ふっと鼻で笑った。

「そやな。あの世行ったら好きなだけできるか」声にハリが戻った。「よっしゃっ! なら今は今しかできひんことするか」


 よかった、元気を取り戻してくれたようで何よりだ。


「にしても、意外やったわ。そんなブラックジョークも言えんねんのやな」


 何?「黒い冗談があるのか?」

 死確者は私を見て静止した。そして、「一応言うとくけど、色味はない。意味合いが黒いっちゅうことやからな」と訂正のような補足を入れた。


「ああそうなのか……試しに私もジョークを言ってみたいのだが、どのように言えばいい?」


 私は白いので、ブラックジョークはやめておこう。

 死確者は突然くすくすと笑い、「やっぱおもろいやっちゃの」と言ってきた。

 何が面白いのか分からず気になったが、続けざまに「まあでも何事もやってみよう言う気持ちは大切や。けど、まずは自分で考えてみぃ」といわれ、即座に吹き飛んだ。


「無理だ。何も訓練を受けてない」


 死確者は手を顔の前で振り、「そんなんちゃうよ」と笑う。


「それに、ワシやって訓練しとらん。ええか、ジョーク言うんは誰彼に聞いてどうこうできひん。経験と直感が物言う……けども物は試しやぁ思て、気張らずにちょっくら考えてみぃや。それでもどーしても思いつかへん時は、助け舟出したるわ」


「舟って、海にでも行くのか?」


 死確者はまたしても目を丸くした。


「……さっきからもうある意味出来てんねんけど、まあやってみな分からんこともある。才能あるんやし、何事も経験。とりあえず考えてみ」


 そこまで言うのなら、というか言われたら、ちょっと考えてみよう。

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