第4話
「知りません」
私は首を横に振った。
「あ?」死確者は片方の眉だけを上げる。
「知らんのかいな?」
「敵対していた組織だというのは知っています」と確認も込めて話すと、「していたちゃうで、今もしとる」と訂正を入れられてしまった。
私は「すいません」と一言謝罪し、「敵対している組織であるとは知っていますが、組長さんがどこの誰が殺したのかまでは」と続けた。
「柳瀬で違いない」死確者は語気を強めた。だが、すぐに「せやけど……まあ分かったわ」肩に張ってた力を抜くと、指を解いて背もたれに体をぶつけた。浮かべている表情は、困ったと参ったの2つが混在しているようだ。
死確者はそのまま、しばらく考え出した。目線はテーブルのある一点のみじっと。動くといえば、時折頰を内側から舌で突き出す程度。相当な悩みであることは分かったし、おそらくこれが未練だろう。
「気になってることがあるんですが」折角の機会だから、聞いてみよう。
「なんや?」
「何故、柳瀬組がオヤジさんを殺したと思うんでしょうか」
資料には、犯人はまだ捕まっておらず、現在進行形で逃走しているはず。そんな状況なら通常は、どこに所属してるか、それ以前にどこにも所属していないというこの世界とは別の人間かもしれない可能性も捨てきれないはず。人間、どこで怨みを買うか分からないのだから。
死確者は鼻の下を伸ばし、伸びた部分を人差し指で何度も掻く。「そもそも、うちと柳瀬がなんで敵対してるか知ってるか?」
確か……「麻薬の売買、ですよね」
死確者は姿勢を起こした。
「うちのオヤジは大のヤク嫌いでの、売買はおろか取引さえせえへんかった。組に属してれば当然、杯交わしてようが売ってんのが分かれば手ェ切るほどやった。それだけやない。違法ドラッグとか、それに準ずるようなのも何もかも毛嫌いしとった。『あんなんは脳壊すだけでためにならん、百害の塊や』言うてな」
死確者は視線を少しずらしながら、「まあ、バレへんようにやっとった奴を消した時は流石にやり過ぎやなとは思たけど」と呟いた。
消す……それは、鉛筆の誤字を消しゴムで消すようなことなのだろうか。しかし、人間は消しゴムなどでは消せないはずだ。分からない。
だから私は、「それはどのようにですか?」と尋ねてみることにした。だが、「……聞かん方がええ」と、渋られてしまう。
「そこをなんとか」私は食い下がってみると、「なんや。天使なのにそういうのが好きなんか?」と問われた。
「いや別に好きというわけではありません。ただ純粋に興味があるだけです」
私からの返答に死確者は「はぁ、ええ言い訳やな」と呟く。大きなため息をつきながら、また背をもたれさせた。途中、目を閉じて眉をこれでもかと中央に寄せながら。
「……海や」
その険しい顔つきは、思い出したくないことを思い出させられた不快感を帯びていた。
「はい?」
死確者は上着の内ポケットに手を入れる。姿を現したのは、赤と白の二色に黒文字の英語で何かが書かれているタバコの箱とピンクの半透明なライターであった。
左の指先でライターを持ちながら、箱を慣れた手つきで振って、1本出す。右手に取ると、タバコの先を手のひらで軽く叩き、口元に持っていく。が、寸前で止めると、私を見て「ええか?」とタバコを見せてきた。
「どうぞ」
死確者は、どうも、と言わんばかりにさらにタバコを持ち上げると、改めてタバコを口元へ運び、くわえた。ライターを右手に持ち替えて近づける。素早くぶつかるような擦れる音の後、火がつく。左手でそれを覆うが、すぐにどかす。先はもう赤く染まっていた。かつては魔法のようだと興味を抱いたが、今は流石に馴れた。
煙を吸いこみながら背もたれに寄りかかると、死確者は天井に向けてゆっくり吐いた。体から空気がなくなると、また口につけて吸い込む。で、吐く。そばにいるのに、まるで今だけ別の異なる時空間にいるかのようである。1人で黙々と、モクモク煙を出すタバコをくわえたり離したりの所作を休むことなく繰り返している。まだ部屋が大きいからいいが、狭いところであればなかなかに辛いぞ。
「ああ、すまん」
死確者が同じ空間に戻ってきた。背もたれを起こしながら、近くにある灰皿を引き寄せた。大理石だからか、テーブルと擦れる音がやたらと重かった。そばまで持ってくると、真ん中にあった窪みに灰を落とす。奥から赤く小さな炎が顔を出した。
「すぐそばに海があるやろ。夜中、手縛って足に5キロの重りグルグル巻きにして、そのままドボン。冬の海に落としたわ」
「それで、消せるんですか?」
落とすだけで消えるなど、それこそ魔法のような話だ。
「重りで沈んでくれるから、ちゃんと消せるやろな」死確者はタバコから空気を吸い込む。
そうか。人間は海に落とすことで消すことができるのか。となると、誤字も海に落とせば消せるということになるのだろうけれど、消しゴムでも消せる上に誤字が書かれたその物自体は使い物にならない気がする。
例えば、ノート。誤字を訂正するために海に投げ入れれば、水浸しになってしまう。消えたとしても使い物にならなくなってしまう。そもそも、消すために海にまで行くのが面倒だ。手間がかかり過ぎる。
いや待て。人間限定という解釈もできなくないぞ。人間なら濡れることはあっても乾かせば……あっ。だったら、ノートも同じか……
「何言うとんねん」
私はいつの間にか下がっていた顔を正面に戻す。「はい?」
死確者は体を起こし、膝に肘をつける。手を口元へ運び、遠くの人を呼ぶかのように、空いていた左手を軽く丸めた。
「何をぶつくさ、言っ、とん、ねんっ」
どうやら悩み過ぎたあまり、つい口から心の声が漏れていたみたいだ。これでは変人ならぬ、変天使だ。
「すいません」私は逸れた話を元に戻す。「で、何故柳瀬組だと?」
死確者はタバコを口元から遠ざける。
「柳瀬はヤクの売買で稼いだ金使うて、組織を拡大しようとしたらしいんやけど、柳瀬の若ェのがうちのサバキでゆするはたかるはをしての、昨今珍しいぐらいに好き放題しよった。オヤジは大事なシノギ荒らされたからもうカンカンやったわ」
「シノギ?」
死確者は足を組んで、「うちらの大事な収入源のことや」と続ける。
「カシラが止めに入るも耳貸さのうての。うちらの誰もが柳瀬とドンパチやと覚悟決めた頃、向こうのオヤジとカシラが頭下げにきたんや。その若ェのの詰めた親指と詫び賃手土産にな」
死確者は予め覚えてきたようにすらすらと話している。実際は、暗記しなくても脳裏に焼き付いてるのだろう。
「カシラもサツに目ェ付けられてら立ち行かなくなるぅ言うて必死に説得してくれたおかげで事は水際で止まった。和解して仲ようもなった」
「詰めた指、とは?」
死確者はタバコを灰皿に叩いた。ぽとりと灰が落ちる。
「刃物で切った指、っちゅうことや」とタバコをくわえて、吸い込む。
「おぉ……」思わず顔が引きつった。
資料として事前に、死確者のことに関することのみ。今話しているのは、死確者が体験したことであるため、当然書いてあるものの、ほんの一部。死確者のことをより深く、また死確者の属している独特の世界や用語を、知ることができる、いい機会であった。
にしても、こんな過激なことを平然というなんて、やはりヤクザとは物騒な組織なのだな。
「せやけどの」死確者は足を組み直す。「それから数日経って、知り合いにその場面を一部始終見てた奴がいたんやけどな、その柳瀬の若ェのが暴れた時にはもう親指が無くなってたらしい。わざとやったってのが分かったんや」
それはつまり……「お詫びを誤魔化した、ということですか?」
そういうことだ、とでも言わんばかりに死確者は眉を中央に寄せる。
「そんなんわな、謝罪でも誠意でもなんでもない。うちらへの冒涜、失礼極まりない侮辱や」
「なのに、組長さんにはその事は話してないんですよね?」
「よう知っとるな」死確者はタバコを持った手で頰を数回掻く。
「ええ、まあ」
なんてことない。今の状況と会話の流れと資料の情報から、推理しただけである。というよりも、察しがついた、という方が近い。
「まだ仲ようなったばかりなのに、仲悪うなって下さいとは言えへん。第一、向こうからやってきたけども、和解しよう言うたのはオヤジからや。下手に進言してみぃや、顔面に泥投げつけることになってまう」
なのに何故、を聞く前に答えてくれた。
「それに、うちはイッポンや」
「イッポン?」
「何や、全部いちから説明せなあかんのかい」
死確者はタバコを口から離しながら、眉間にしわを寄せる。
「すいません」こういう時は素直に謝るのが得策だ。経験則から編み出した私なりの処世術というやつだ。
死確者はため息をつくものの、「イッポンちゅうのは、うちみたいな後ろ盾のない独立してる組のことや」と解説をしてくれた。なんやかんや言っても、優しいようだ。
「うちはさほど人数もおらんのに、あっちにはやろうと思えばやれるだけの人力も財力がある。まあそれら諸々のこと考えて、とりあえず正確にそう言えるまで、胸にしまっとこと思てた。そしたら……その前に殺されてもうた」
深いため息をつくと、死確者はまだ長いタバコを灰皿の中央に押し付けた。
赤い火が消える。黒くなる。死確者が手を離すと、もう先は潰れており、小さくか弱い煙を天に向けて上げてるだけの残骸となっていた。
「では、その柳瀬組の誰かがオヤジさんを本当に殺害していた、としたらどうするんです?」
「決まっとるやろ、今度こそ戦争や」
決まってはいないはずだが、まあそこはいい。それよりも遥かに気になるワードが煙と共に飛び出してきた。
戦争——たった4音で恐怖を抱かせる物騒な響きである。だが、戦争とは国家間での紛争を意味しているはずだ。まさか組織同士のいざこざでそんな大事になってしまうとは。
私たちの手がいくらあっても足りない。この前覚えた、猫の手がいくらあったとしても足りない、状態になってしまう。だが私はこの言葉に違和感をひどく覚えていた。
猫の手があったところで何の足しになるのか、あんな自由気ままなのと一緒にいても寝てるか食事するか反抗するかしかないため、むしろマイナスではないか。
「となると」猫の手については胸にしまって、話をまとめる。「これから組長さんのことを殺した犯人を見つけ出そう、もとい確定させようとしてるわけですね」
「そういうこっちゃ」
「ですが、できなかったらどうするんです?」
「できないちゃうねん、すんねん。是が非でも」断言する死確者。
「そうは言っても、残りの時間を考慮するとあまり……」
「たとえ残り少なかろうが、関係あらへん。できな、死んでも死に切れへん」
……ん?
「死んだら、死にますよ」
「あ?」まさかここで声をかけられるとは、遮られるとは思ってなかったのか、死確者は怪訝そうに眉をひそめた。
「その……」鋭い眼光に思わず口ごもってしまう。「死んだら当然に死んでしまうという事実を伝えたくてですね……」
語弊の無いように説明すると、「それくらいは知っとるわ。あくまで例えや、例え。それほどまでにワシにとって悲願やってことや」と強く返された。
「とにかく、ワシはオヤジ殺したクソを見つける。何があっても必ずな」
真に決意した人の表情とは、目が動かない。焦点がブレず、一点を見つめてる。これまでの経験で学んできた人間共通の特徴である。
「それが、未練ですね?」
一応確認しておく。案の定すぐに「せや」と死確者から返事がくる。
「何を差し置いてもこれや。間違いなくな」
よし、これで目的が定まった。
「では、見つけ出しましょう」
「ええんか?」
「何がです?」
「見つけ出したら何するか、分かっとるか?」
「仕返し、するんですよね?」
「そんな生易しいもんやない。復讐や」死確者の目に決意の色が見えた。「オヤジがされたことと同じことしても、ええんか?」
話が見えない。「どういうことですか?」
「いくらワシの未練を解消する言うてもあかんやろ、人殺しは」
「確かに、法律的にはそうかもしれませんが……」
「だからな、ワシが言うとんのはや」死確者は前屈みになる。「天使ってのは良心の塊みたいなもんやから、そう言う非人道的なことは見過ごせないんちゃうかっちゅうことや」
「いや、別に」
片方の肩をがくりと落とす死確者。
「ええんか?」
成る程。そう意味で、ええんか?、だったのか。
「それがその方の寿命という意味ですから」
むしろ、止めてしまえば他の天使や死神が被害を被ってしまう。
「なら、まあ……気兼ねなくさせてもらうわ」
「どうぞどうぞ。私もフォローさせていただきます」
そう返すと、死確者は突然吹き出した。そして、ケタケタ笑い始める。
「おもろいやっちゃな」
どこに面白要素があったのか分からないが、笑いどころは人それぞれなので、それには触れないでおこう。
「じゃあそんな柔軟な天使さんに頼み事あんねんけど」
「なんでしょう?」
「敬語やめてくれるか」
「え?」またしても、まさかだった。
特段決まりがあるわけではないし、死神と話す時はフランクに話しているので慣れていないわけでもなかった。だが、敬語を止めて欲しいという要望をされたのは初めてのこと。思わず狼狽してしまう。
だが、そんなことを主張するということは何かしらの理由があるはずだ。私は「なぜですか?」と訊く。
「聞いて驚くな」
薄ら笑いを浮かべる死確者に、思わず私の喉がごくりと鳴る。
「理由はな……何もない」
……ん?
「今、何と?」
「だから意味はない。な〜んもない」
言葉が尻上がりになる独特の抑揚で繰り返すと、死確者の笑みが濃くなった。
あそこまで溜めるに溜めて、しかも意味ありげな顔まで浮かべておいて、ないのか??
「天使って、とっつきにくいイメージがあるやろ?」
同意を求められても……
「せやから、敬語で律儀にへこへこ来られるより、ぶっきらぼうな感じでずけずけ来られた方が、なんかこう……すんなり受け取りやすいというか、やっぱ人間とはちゃうんやなって受け入れられるというかな。意味分かるか?」
「さっぱりです」というか、意味分かるか、って聞いてる時点で、意味はあるように感じるのだが……
「まあ要するに、崩した方が気持ち的に楽っちゅうことや。どや? ダメか??」
「別にダメではないですが……」
今回の死確者は、随分と私たちへ固執したイメージがあるようだ。
「なら、頼むわ」
「分かりま……分かった」
死確者は「よし」と膝を叩きながら立ち上がる。
「そうと決まれば、早速行動や。手伝ってくれるか?」
「勿論。私にできるのであれば何でも言ってくれ」
「問題ない。自分にしかできひんことやから」
「なら、私にはできないんじゃないのか?」
「……は?」眉を上げる死確者。
「……は?」私の眉も上がる。
前触れなく、事務所に静寂が訪れた。
何が起きてるのかよく分からなかった。だが少なくとも、会話が噛み合ってないことだけはよく分かった。
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