第3話
……ん?
私は人差し指を逆方向に回す。
……ここだ。
一周手前で、止める。音楽が流れてくる。なぜだろう、どこかで聞いたような覚えが。しかし、どうにも思い出せない。もしかしたら気のせいなのか?
いや……違う。気のせいなんかじゃない。
気づいた瞬間、曲の音量が小さくなる。まるで私の元から逃げ去るように遠ざかっていく。
なぜなんだ、なぜもっと聞かせてくれない? なぜここにいてくれない?
『はい、ということでお聞き頂きました』曲に反比例するかのように、若い男性の声が大きくなる。低音でありながら、聞き取りやすい声だった。
『いや〜いい曲というのはいつどんな時代に聞いても、風化しないものです。こういうのを心に残る名曲というのでしょうね、やはり』
淀みなく言葉を並べていく。饒舌に独り語りをしているものの、誰かにもしくは誰かたちに届けているように聞こえる。
『人生の応援歌と言いますか、こう“明日も頑張っていこう”というメッセージを若さ特有の疾走感と独特の力強さでラストまで突っ走る。まるで青春時代へと引き戻してくれるような、そんな素晴らしい曲です』
「だったら聞かせろ」私は反発する。「素晴らしいのなら残りの部分を……」
まだ話し終えてないのに、『まあそれもそのはずですね』と遮られてしまった。漢字から察するに無視ではなく、聞こえてないようである。
『この曲をプロデュースしたのは、音楽業界は当然のことながら、音楽とは縁遠いような一般の方でも一度ぐらいはお名前を聞いたことのあるサタケさんですから』
『ベタ褒め、恐縮です。けど、そこまでじゃないですよ』
別の声が聞こえる。正確には、別の人の声。今度は女性だ。落ち着きがあり、先ほどの男性よりも年齢を重ねていると思う。成る程、先ほど誰かに向けて話しているのはこの人がいたからなのか。
『それに、ルーイさん。そんなに持ち上げても何も出ませんよ?』
『あらら、そりゃ残念』
ははは、と笑い出す2人。
残念、と言いつつも、ルーイさんと呼ばれた男性の声の調子は、真に落胆しているわけではなさそうである。
『それに、私が見つけた時点で曲はもう完成していましたし』サタケさんは続ける。
『あっそうだったんですか』
『ええ。料理でいうなら、盛り付け程度。広く皆さんに聞いてもらえるよう、整えただけです』
『またまた〜』発言を信じていない様子のルーイさん。からかっているのか、と言うように目を細めてる姿が浮かぶ。
『本当ですって。あまりに完成度に、私が手を加えてなんていけない、そんなことしたら曲が崩れてしまうって聞き終えてすぐ思いましたから』
ルーイさんは、へえ、と感嘆の声を上げた。
『売れっ子プロデューサーのサタケさんがそこまで言うなんて……あっ、なんか向こうが行け行けうるさいので、そろそろ本題へ行きましょうかね。そもそも、あの3人はどこで発見したんでしょうか』
話題を転換するルーイさん。向こう、とは一体誰のことだ? 私は一言も行けとなど言っていないぞ。
『お祭りです。私の地元でやってた、そこそこ大きめの』
私は耳をさらに傾ける。
『私の地元って、森に囲まれたかなり
『いいじゃないですか、自然豊かなのって。僕、都会っ子なのでそういうの憧れます』
『まあ今となってはね、緑がすぐそばにある生活って幸せだったって思いますし、そういうのも今の自分に影響与えてくれたって思えるんですけど。でも、学生の頃はずっと、こんなド田舎にいつまでも居たくない、早く東京行きたい、って思ってました。おかげで親と意見が相違して、おはようやただいまでさえも交わさない生活が何年も続きましたよ』
『ハンコウキは、誰しも一度は通る道ですしね……』
触れにくい話題だったか、慎重に相槌を打つルーイさん。ハンコウキとはなんだ?
『ご両親とは今でも?』ルーイさんはそう話を続けた。どうやらハンコウキの解説はなさそうだ……後で死神に会った時、聞いてみよう。どうせ彼なら知ってるだろう。
『いやいや。若気の至り的なのですから、今ではもう全然。電話もちょくちょくかけますし、忙しくなければ年に一度くらいは実家に顔出したりもします。こういう言い方が正しいか分からないですけど、ごくごく普通ですよ』
『ならよかったです』安心したのか、ルーイさんの声色は明るくなった。『すいません、遮ってしまって、それで?』
『それで、その日は抱えてた仕事が上手く片付いたりやらなきゃいけないのが延期になったりで、休みが急にできたんです。で、ふと顔出そうかなって久々に帰省したんです。前の年は忙しくてそれどころじゃなかったんでね』
『で、お祭りに参加したと』
『ええ。昔からそういうのはあまり好きじゃないんですけどね』
『なのに、その日は行こうと』
『行こうというよりかは、家に来た回覧板の中の宣伝チラシ見て、偶然あるのを知って、行くだけ行ってみようかなー、ぐらいのホント軽い気持ちでした』
『それって、もしかするともしかして……呼ばれた的なことじゃないんですかね??』
ふふ、と笑うサタケさん。『確かに今思うと、呼ばれたかもしれないですね。音楽の神様が「絶対行けよ! 行かねえと後悔すっぞっ!」って』
『おお、随分とロック魂溢れる神様ですね』
再び、ははは、と笑い合う2人。先ほどより大きな声だった。
『そこでイベントか何かで演奏してる3人を見て、ビビビッっていうわけですね』
『いえ、それがちょっと違うんです』サタケさんは否定した。瞬間、会話の調子が変わる。
『と言いますと?』ルーイさんもそれに気づいたのか、少し重く言葉を発した。
『幾つかあるので順を追って』サタケさんの声色が低く、重くなった。『まず、イベントではなく、無許可の演奏だったんです』
『無許可?』
ルーイさんが『てことはつまり、運営サイドにバレぬように、みたいな?』と確認を取ると、『ええ。後で聞いたんですが、こっぴどく叱られたらしいです』とサタケさんと答えた。
『度胸ありますねぇ……私なら無理ですよ』
『2つ目ですが、というかもうこれで終わりなんですけど、その時のボーカルは今のボーカルとは別の子でした』
『それってつまり、残りの2人のうちのどちらか、だったということですか?』
『いえ』サタケさんは即座に否定した。
『なら、3人とは別でソロデビューしたんですか?』
サタケさんは『そういうわけでもありません』と再び否定すると、『デビューする時に無理やり変えたわけではなく、変えざるをえなかったと言いますか……』と歯切れの悪い返しをした。
『3人とも認めているので言いますが、あの子の実力はそれ以上でした。研ぎ磨くところはあれど、あそこまで素晴らしい原石は、以前も以後もそしてこれからもいないでしょう。少なくとも私は見つけられないと思います』
『えっ?』ルーイさんの声が上ずった。心から驚いていたようだ。『彼女もとても上手なのに、ですか?』
『ええ』
あっ、と何か気づいたかのような声を出し、『今は一般の方ですか?』ルーイさんは尋ねた。だが、サタケさんは『実はですね』と返した。そして、言葉を詰まらせながらこう言った。
『亡くなったんです、彼女』
『え……』思いもしなかったのだろう。返ってきた答えにルーイさんは言葉を失ってしまった。が、すぐに我を取り戻したように、『て、てことはつまり、デビュー前に亡くなってしまった?』と少し慌てながら返した。
『いえ……演奏を終えてすぐです』
ルーイさんは『えっ……』またしても言葉を失う。『お祭りでの演奏が終わってすぐ……ですか?』
『だから、3人は自分たちを酷く責めたそうです。自分たちが無理させたからこうなってしまったんだ、って。祭り会場に行ってライブやろうと提案された時に是が非でも止めればよかった、って』
サタケさんはさらに重みを増した声を出す。
『自責の念に駆られた3人は当然にように解散しようと思っていたらしいです。けど、後日亡くなったその子からの手紙が、そのご両親から手渡されたそうです。そこには、朝から晩まで時間を費やして曲を作ったこと、ささいなことで喧嘩してしまったこと、僅かな人しかいないライブだったけれどその全員に楽しんでもらえた時、来た人の数で比べるんじゃなくて満足した人の数で考えてないといけないと気づけたこと……3人と出会った時からこれまでの思い出が事細かく、書いてあったそうです』
聞き入っているのか、先ほどまで入れていたルーイさんの相槌は一切なかった。
『その最後に、“みんなには好きなことを、そして楽しいことをして欲しい。バンドをやってきていた時みたいに”と、彼女の想いや願いが記されていたそうです』
サタケさんは軽く鼻をすすった。
『だから彼女たちは、亡くなった子が望んでいた、自分たちが好きで楽しいことをするために、バンドを続けようと決意して、そこで私が声をかけたという次第です』
『そうだったんですか……』
サタケさんは咳払いをする。『それでですね、これがあのM.Y.にも繋がってくるんですけども』
『M.Y.というと、3人の曲を全て手がけてきた正体不明の作詞作曲家のことですよね……えっ、もしかして?』
何か気づいた様子のルーイさん。
『はい、M.Y.はその亡くなった彼女です』
脳内で線と線が結びついたみたいで、『なるほどなるほど』と言葉を噛み締める。『だからタイアップとかをあまりしなかったんですね』
『その通りです。まあ、タイアップする際に相手の企業様にも申し訳なくなるので、これまでに存在している曲と求められたものが合致した場合のみ提供するようにしていたので、どちらかというとできなかったという方が近いですが』
『あぁ……あっ、いや……ちょっと衝撃がデカくて、すぐすんなりとってのがなかなか』
ルーイさんは呆然としているようだ。
『彼女の、M.Y.の曲を全て出し切るまで、誰にも話さないというメンバーの3人との約束だったので、これまでは伏せさせて頂いてました。すいません』
『いやいや、それほどまでに大事な約束ですからね。謝ることなんて全くないですよ』
『そんな彼女たちですから』サタケさんは突然、声の張りを強くした。『某週刊誌に書かれているようなことは一切ありません。楽曲使用料や歌唱印税や必要最低限の費用以外は全額、医療関連の慈善団体に寄付しています。喧嘩別れなどという理由で解散するわけではこれっぽっちも、決してありません。普段あまり表には出ませんが、今回そのことをお伝えさせてもらうために、出演させていただきました』
『にしても……そんな記事、どこから出たんでしょうね』
『さあ、解散するからという理由だけでやったんじゃないですかね。私には分からないです。火のないところに煙を立たせるのも、彼らの大事なお仕事ですし』
サタケさんは言葉で何の迷いもなく言い放った。静かでたった一言だが、私でさえ少し恐怖を感じるほどの怒りを帯びている。
ははは、とルーイさんは笑うと、『となると、ご遺族の方にはこのことは?』と話題を変えた。あまり触れたくなさそうだった。
サタケさんは『勿論、ちゃんとしてあります。デビュー後、楽曲を使わせて頂く際に3人も交えて。この事実も、その時に話し合って決めさせてもらいました』と答える。声は温和さを取り戻していた。
『そう聞いたからかもしれませんけど』ルーイさんは声が少し上ずっていた。意識が身体から少し離れ、浮遊してるように感じた。
『あの曲の至る所にあった力強さというのは、もしかするとそういう要素も影響してたのかもしれないですね』
それを受けてサタケさんは『それなんですけどね』と、口を開いた。『実は病気で手足を動かせなかったらしかったんですが、なんとその前日に突然歩け、ギターを弾き鳴らすことができたそうです』
『前日に、ですか?』
『不思議な話でしょう』
ルーイさんは、はぁあぁ、と感嘆の声をあげた。『ドラマみたいな話ですね』
『私もです。初めて聞いた時は、素直に信じられませんでしたから』
『やはり、音楽には不思議な力があるんですね』
サタケさんは『全くです』と賛同した。しかし、手を動かせるようにしたのは、音楽ではない。私だ。
『あっいや、ええっと……まだ色々とお話をお聞きしたいのですが、ここでお別れのようです』
『あら、もうそんな時間ですか。あっという間でしたね。もっとお話ししたかったです』
『では、今度はもっとたっぷりじっくりとまた』
『ええ、是非お願いします』
『では、大変名残惜しいのですが、ここでお別れです。改めまして、本日のゲストは……』と話すルーイさんに、サタケさんは『最後に1つだけ』と止めた。
『彼女たちにも勿論才能は十分ありますし、この世界を生き抜くための度胸だってあります。何より、深く深く音楽を愛してます。それはファンを含め、今まで見てくださった皆さんが一番理解してくれていると思います。ですので、これを聞いてるリスナーの皆さん、業界の皆さん、そしてファンの皆さん。解散してソロになったとしても、新たにグループを作ったとしても、彼女たち3人を応援してあげて下さい。し続けてやって下さい。よろしくお願いします』
声だけしか聞こえない。なのに、頭を下げているというのがひしひしと伝わってきた。態度というのは見ていなくても、はっきりと分かるものなのだな。
『応援します、これからも』ルーイさんの言葉に嘘や媚びは感じなかった。
『では改めて。本日のゲストは音楽プロデューサーのサタケナオミさんでした。ありがとうございました』
『ありがとうございました』
それを最後に、サタケさんの声は萎み、そして消えた。
『いやいや〜凄い貴重なお話でしたね。でも、聞けてよかった。これからも応援していきましょう。え? あぁっ、そうなの。ありゃりゃ……』
どうしたのかと思っていると、突然『ゴメンなさい。本当すいません』とルーイさんは謝りだした。パチンと手を叩くような音も一緒に聞こえたので、両手を合わせて謝罪のポーズもしているのだろうか。
『私としたことが、曲紹介まだでしたね。誠に申し訳ありません。次から次にミス連発で、今日調子悪いのかな……』
ペラリと紙をめくる音が聞こえる。
『お聞きいただいたのは、あっもう9年前なんだ……えぇー時代を問わずに聴ける色褪せない名曲。ホワイトグリッターで「明日へ」でした』
2つの懐かしい名に、思わず笑みが広がる。こんな偶然もあるのだな。
『そして、関東圏以外の方々はここでお別れとなります。ごめんなさいね立て続けに』
ルーイさんは言葉を並べていく。急いでいるのか少し慌てているように聞こえた。
『関東圏では引き続き放送しますので、該当してる方は是非そのまま変えずに。それでは、また来週のこの時間にお会いしましょう。お相手は、ルーイでした。バイバ〜イ』
そして、切り替わる。妙に演技っぽい男女の声が聞こえ、何かを宣伝し始めた。その時点で興味はなくなった。
不意に車のドアが開き、双肩がびくりと動く。外の空気と雨音が聞こえた瞬間、ごおぉという前方からの不快音が再び届き始めた。
「どうやった?」
死確者は、先に体を曲げて入れた後、慌てて傘を閉じ、ドアを閉めた。
「よかった」
「あ?」死確者は眉をひそめた。しまった。
「いや、何もない。動きはない」
私は慌てて言い直した。
集中し過ぎたあまり、監視を忘れていたことを秘密にしておいて。
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