第8話

 病院の入口に自動ドアはつきもの。だからこそ、私にはツイていない。


 距離を零にしても開く気配のない自動ドアは、私にとっては自動ドアではない。ただの壁である。とはいえ、そもそも壁や扉などの類いは何の無理もなく自由に出入りできる。自動ドアも例外ではない。そう考えれば、自動ドアに限らずどんな障害物も私にとっては自動ドアのようなものではある。となれば、自動ドアも自動ドアと言っていいのではないか? 何を考えてるかよく分からなくなってきた。これ以上考えると、脳内がドアに囲まれた哲学世界に閉じ込められてしまいそうになる。ここらでよそうか。まだ仕事もあることだし、いつまでも立ち止まってはいられない。


 私は自動ドアをヒョイっとくぐって病院の中へ入る。外部から人が来ることを想定していないからだろうか、すぐの目の前にある広くとられた待合所も、右手にあるほんの少し角度がついた長い廊下も、必要最低限のライトしかなく暗かった。その分、受付の明かりはまばゆかった。いや、わざと明るくしているのかもしれない。だが、誰もいないのだから、いくぶんもったいない気がする。


 そんな取るに足らないことを考えながらも、足は止めることなく、私は廊下を道なりに歩いていく。十字路に差し掛かる。


 ええっと……


 天井に吊るされた小さな案内板を眺める。あっ、あったあった。矢印は左を指している。

 向きを変え、歩いていく。窓から差し込む月明かりに僅かに照らされた廊下を歩いていく。


 あっ……


 死確者の両親が祈るようにして背もたれのないソファに座っている。やはり、先に着いていたな。




 両親は死確者の異変に気付いてすぐに、父親が抱きかかえて病院へと走った。道中、母親が電話をし、場所を話していたので、何度か道を曲がってある程度進んだ先に、救急車が着いていた。後ろの巨大トランクを大きく開け、二人の救急隊員も待機していた。まずは意識を失っている死確者を、次に両親を、最後に隊員が素早く乗り込む。私も死確者から任せられた仕事をするため一緒に、というかついでに乗ろうとしたのだが、できなかった。


 車内に片足を入れた瞬間、素早い動きの隊員により、締め出されてしまったのである。慌てて引っ込める。体勢が少し崩れ、二、三歩戻ってしまった。転びはしなかったものの、すぐに改めて飛び乗れるほど整ってはいなかった。その隙にと言わんばかりに、まるで私のことが見えてるかのように、救急車は赤くけたたましいサイレンを鳴らし始め、走り去ってしまったのである。


 扉がしまっていようがいまいが、私は関係なく乗り込むことができるのだが、これは流石に無理である。結果、ぐんぐん距離を離された私は仕方なく歩いて死確者がいた病院まで戻ってきたのだ。


 いやはや、それにしても遠かった。確かに所々寄りながら病院から祭り会場まで行ったため、全体像をうまく掴めていなかったというか、どれほどの距離感なのか把握してなかった私が悪いのだが、聞いていた話と違う。近い近いと言っていた割にかなりの時間がかかった。「都会の“近い”と田舎の“近い”には何かと距離がある」と話していた死神の言葉をふと思い出すほど。既に日付は変わってしまっている。




 両親の目の前を通ろうとすると、左上にあった赤っぽい光が消えたことに気づいた。私を待っていたかのようにぴったりであった。瞬間、両親が勢いよく立ち上がった。私は驚きで思わず体を仰け反らせた。鬼気迫る表情のせいだろうか。まあとりあえず視線の先である左側を見てみた。


 そこは銀色の扉。磨かれているからか、見事なまでに反射していない私以外、つまり両親の姿が映っていた。私は視線を上げる。暗いがあれは、“手術中”と書かれた蛍光板である。


 なるほど、死確者は手術をしていたのか。そうか。


 銀の扉が自動的に横に開き、緑の服を着てきた医者が中から出てきた。マスクを取って気付いた。死確者の主治医である。


「先生、あの娘は……あの娘は?」


 心から叫んでいる母親と目を開いている父親に、主治医は頭の帽子みたいなものを重々しく取った。


「残念ですが」


 地面へ力の逃げた母親は折るように崩れ、一瞬で顔を涙で濡らした。父親は崩れた母親の双肩に手を置き、唇は震わせ目を強くつむっていた。

 対照的に私は冷静だった。これが仕事であるし、時間通りでもあるし、何より先導課が連れて行ったのをこの目で確かめている。両親には申し訳ないが、今更であった。


「それでですね、実はご両親にお話ししておかないといけないことがありまして」


 主治医が何かを言いかけているが、私は足早にその場を去った。まだ仕事はあるのだから。突き当たりにあるエレベーターへ向かう。夜中なので、人と会うことはないだろうということで、エレベーターを使うことにした。人差し指を回して開けて乗り込んで、まだ人差し指を回して目的の階へと昇る。


 動き出した時、以前死神と「病院って幽霊とかもいるけど、お前ら天使が関係してることもあるよな」「例えば?」「エレベーターがある階で勝手に止まって開く、とかさ」なんてな雑談をしたことを思い出した。


 5階です、という機械音声が鳴り響くと、自動的に扉が開いた。着いたようだ。


「あ」


 誰にも聞こえない声を私は発した。近くにナースステーションがあったからだ。すると、先ほどまで楽しく笑顔で談笑していたのが、無言かつ無表情に変わる。


 必要もないのにそっと恐る恐るエレベーターを出た。背中から「えっボタン押した?」「まだ……」「「怖っ!」」と話しているのが聞こえるが、まあ許してくれ。「避けようという意志はあった。だから仕方ない」と、私は自身に言い聞かせながら、背も縮こませながら、いそいそと507号室に向かった。


 部屋へと入った。窓が開けっ放しになっているのを見て、少しホッとした。バレないようにしたものの色々なことに力を使っていたため、来客のないように調節している力が弱まって、もう誰か既に入っているかもしれなかったからだ。だが、ナースだろうが主治医だろうが、関係者であれば開けっ放しになった窓を見たら閉めるだろうと考え、帰るであろう。それをしなかったということは、よっぽど気が利かないか、誰も入っていないか。前者というのは状況から見てあまり考えられないもなると、残るのは後者、ということになる。


 昔、失敗してしまったため心配だったのだが、やはり年月の経過とともにその辺の力は熟練されていくのだな——私はそう思いながら、歩みを進め、あの可動式テーブルへ。上に重なっていた物をどかす。


 あった。下からが顔を出す。頼まれていたもの、そのものだ。


 よかった。

 では、どうやって渡そうか。


 私は元あった引き出しの中へ戻そうと、手を伸ばす。


 その瞬間、引き戸が開いた。ビューという音が部屋中を駆け抜けた。風である。誰かが開けたからだ。振り向くと、そこにはナース2人がいた。先ほどとは違う。


「それじゃあ、始めましょうか」


 ベッドサイドの機材類をあれやこれやしてる。片付けか。間の悪い……ん? 待てよ……そうか!


 さりげなくナースに気付かせればいいのじゃないか。そうすれば、遺族である両親の元に渡るよう手ほどきをしてくれるだろう。


 我ながらいい閃きをしたと思いながら、テーブルを見る。


 ん?


 先ほどまであった白封筒が姿を消している。ナースを見る。手に取っていないようだ。まだ機材に注視し、私には専門外な機器をいじっているから、まだ気づきもしていない。当然のことながら、私の手にも握られていない。


 再び風が首筋を通る。先程のような強く当てるようなのではなく弱々しく撫でるような風。


 風……まさかっ!


 私は慌てて、窓に駆け寄る。


 嫌な予感は的中。


 真っ黒な夜の中に、底を下向きに落下する白封筒が目に入った。ヒラヒラではなく、スルスルと落ちていく。


 マズい!


 私はに足をかけ、外へ向けて飛び出した。

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