第9話

「できた~」


 詞を書いていたペンを置くと死確者はすぐさま目を強く瞑った。口から「んん~」と声を出すと、高く高く伸びをした。


 体勢をそのままに体を右、左の順に傾ける。再び垂直に戻すと結んでいた手を解き、目と口を開いた。


「良いのができましたか?」


「どうだろ……」


 おおう。まさかの歯切れの悪い返事。


「もしかして、良くないのができたんですか?」


 ぽかん顔の私を見て、死確者はくすくすと笑う。


「完成度については私がどうこう言えることじゃない。良し悪しは他人が見て判断すべきことで、みんながどう見てるかまだ分からないわ。もちろん、全力で精一杯書いてはいるけどね」


 成る程。「では、満足のいくものはできましたか?」


 今度は死確者が一瞬ぽかんとするも、すぐに「うん。大満足」と優しげな表情に変わった。


「あっそうだ」


 死確者は何か思いついたようにベッドを窓側、つまり私とは反対側に降りる。そのまま、再び茶色い台の引き出しを引っ張る。奥にしまってあった封筒を取り出した。そして、振り返る。


「ちょっと頼みたいことあるんだよね」


「何ですか?」


「これを渡して欲しいの」


「手紙……ですか?」


「うん。パパとママ宛てとバンドのみんな宛て」左手右手の順に顔の位置へ上げる。「手が動かなくなる前に書いておいたんだ」


「ほう……」


「いや……遺書、かな」少し手から力が抜ける。


「で……私は渡せばよろしいのですね?」私はベットに乗る死確者に訊ねた。


「あともう一つ」死確者は封筒を一つ見せる。「今から読むからさ、なんか気になるところとか間違ってそうなところがあったら教えてもらいたいんだ」


 死確者は糊付けされてない口を開く。


「構いませんが……私、日本語上手くないですよ?」


 言葉なんてろくに知らないし、知っていても言い間違えしてしまう。それに人間に教えられるほど、弁が立つわけでもない。全くない。むしろ私が教えて欲しいくらいだ。


「うん。昨日今日でなんとなく分かってる。けど、他に話せる人もいないから」


「いや、それこそ両親とか、1時間もしないで来る友達に……」


「本人たちに向けて書いてるのに、読んじゃったら意味ないでしょ?」


「ですが、手間が省けますよ?」


「手間省けるついでに、感動も省いちゃうって」


「はぁ……」


「それに、聞いてくれないと未練になるかもよ?」


 私は慌てふためく。「聞きます聞きます。いくらでも」


「天使って面白いね~」


 死確者は呟きながら笑みを浮かべ、封筒の中に手を入れる。


「もしかして……私、遊ばれてます?」


「いいじゃない」三つ折りにされた大きめの白い便箋を取り出した。「滅多にできることじゃないんだし」


 ということはやはり、私は遊ばれているのか。

 天使は、一時的ではあるものの、死確者にとって奴隷的存在になるのだろう。いつの時代も哀しかな、従う者と従われる者が存在する。


「もしかして、嫌だった?」


 とはいえ特にそういう感情はないので、「いえ、どうぞお好きに」と伝えた。


「じゃ、読むね」


 死確者は手紙を開くと、視線を落とした。


「パパとママへ。2人に出会ったのは18年前の7月7日。まあつまり、産まれた日だね。とは言っても私は覚えてないから、これは見聞きしたことの中で私が思ったことを書いていくね」


 死確者は思い出が書かれた手紙を読み上げていく。そこに書いてあることを読んでいるだけなのなが、懐かしさと温かみを持った声色で丁寧に言葉を話していく。


 そんな尽きぬ思い出話が終わり、話題が変わったのは5枚目をめくって少し経ってからのことだった。


「2人に謝らなきゃいけないことがあります。多分この手紙を見る前に先生から言われてると思うけど、私が自分の意思で決めたことを伝えるためにも、一応。最近、私はどなー登録をしました。提供する臓器は……全部」


 どなー?——邪魔しないよう心の中で言ったつもりだったのだが、それは本当に“つもり”だったようだ。死確者は読むのをやめると、便箋の入った封筒を斜めにして滑らせて出したものを「これ」と見せてくれた。片手に乗るぐらいの小さな黄色のカードだ。中央には、羽の生えた幼く白い何かが写っており、辺りには4つのハートが同じように羽を生やし……って、これはもしや、天使か??


 死確者だって、天使は人間を救う象徴、のようなことを言ってた。そう考えると違いないだろう。なんとなくの雰囲気で分かったからいいものの、似ても似つかない容貌に驚く。無理な話だしそもそも映えないだろうけども、もう少し姿形に近づけて欲しい——なんてことを思いながら、私は死確者の話に耳を傾ける。


「これを持ってると、『私が死んだら、私の臓器を必要な人に好きに使ってください』って、死んでから生きてる人に提供しますよって伝えられるカードなの」


「それはっ、なんとも凄いカードですね!」


 今まで死確者がそのようなカードを持っているところを見たことがなかった。いや、これでは語弊があるので、持っていたけれど私は見たことがなかったのかもしれない。わざわざ見せたいものではないかもしれないし、知らなかった私も訊いたことはないだし。とにかく、死してもなお自身の言葉で想いを送れるカードが現世にあるということに、私は純粋に驚いたのだ。


「提供された人が提供した人のことを知ってもらえるですか?」


 驚きは次なる疑問を生む。この場合邪魔をしてるわけだから、生んでしまうの方が正しいかもしれない。


「いや、移植された人は誰から移植されたのか分からない」


 それでも死確者は、私を疎まず丁寧に教えてくれた。


「それでは誰からも知られないまま、ただ自分の臓器が使われるということになりますよね。それでもいいんですか?」


 人の死により、人が助かる——その利害関係が合意の上であったということを差し引いても、せめて誰から提供されたのかぐらいは教えて欲しい、もしくは提供した人に自分が提供したということを伝えてもらいたいのではないのだろうか、と単純に思った。思ってしまったのだ。


「私っていう人間がどんなだとか分からなくても、名前さえ知られてなくてもいいんだ。誰かが救われるなら、誰かと笑ったり泣いたりできるなら、それで」


 微笑みが笑みに変わる死確者。その笑みは、あくまで私の主観だが、どこか乾き哀しみが込められている気がしてならなかった。




 窓を飛び出した体が落ちていく。

 地面に向けて落ちていくのだが、そんなのは関係ない。飛びそうな帽子を右手で押さえながら、私はもう左手を必死に伸ばす。


 よし、まずは一つ! あとはっ!


 もう一つを掴もうと左手を伸ばす。だが届くその前に、駐車場の地面に着いてしまった。どこかのスーパーヒーローのように辺りの地面がひび割れながらやパラパラと音を立てながらではなく、地面はなんの変化もない。何の音もしない。折り曲げていた膝をすぐさま起こし、辺りを見回す。


 どこだ……あっ!


 辺りは街頭もなく真っ暗闇であるものの、天使の私には関係ない。昼間と同様、明るく見える。


 手紙はなんとまだ落ちてきている途中。いつのまにか追い越してしまったらしい。いやはや、お恥ずかしい。


 急いですぐそばの落下点へと移動する。もう少しだ。天に向けて手を伸ばした瞬間、風が吹き、封筒が舞い上がってしまう。まるで誰かがいたずらでもしているかのように高く遠くへ。


 マズいっ!


 慌てて駆けていく。風に乗って漂う手紙の行く先を見ながら駆ける。


 ふと前方に視線が向く。あれを使えば……うんいけるぞ。


 私はスピードを上げる。先には黒い車。病院出口に停めてある。懐かしい。名前は覚えてる。ベンツだ。


 地面を踏みしめ、確かボンネットとかいうところへ飛び乗る。そのまま勢いをつけて、車の天井部分へ。思いっきり踏み込み、私は高く跳ねた。

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