第10話
「続き読むね」
死確者は再び視線を落とした。
「隠しててゴメン。伝えなかったのは信頼してなかったわけじゃない。パパもママも音楽やりたいって言ったら賛成してくれたし、ギターでバンド組んでゆくゆくはって話した時も頑張れって背中を押してくれたこと、ちゃんと覚えてる。私のことをいつも尊重して、凄く大事に育ててくれた。だからこそ、ドナーはやめてくれって嫌だって言われたらどうしようって思ったの。反対されるんじゃないかって怖くなっちゃったの」
死確者は紙をぺらりと一枚めくり、後ろに回す。新たなページが現れる。先ほどまでとは違って文章が途中で終わっていた。
「でも私みたいにどうしても生きられない人だからこそ、生きられるかもしれない人を助けたいと思ったの。今までいっぱいいっぱいワガママ言って迷惑かけてきたね。でも、これが本当に最後のワガママです」
死確者は一つ大きく息を吸う。聞こえてくる小さな呼吸音は震えていた。
「あとさ、もう1つだけワガママしてもいい?」死確者は言葉を詰まらせ始める。「パパとママがこの手紙を読んでいる頃には、多分もう、この世にいないと思う」
死確者は「この世にいない」と口にした瞬間、何かが弾けたように涙を流した。今まで誰にも見せてなかった、ずっと張っていた気持ちを放つような涙。必死に止めようとしているが、自分の意志とは関係なく溢れている様子であった。
死確者は「ごめんね」と何度も何度も目元を袖で拭った。顔は私の方へと向けている。手紙の文章ではないようだ。
「お好きなペースで構いませんよ」
それしか私には言えなかった。死確者は「ありがと」と言うと、そのまま少し泣き続けて、絶えず目元を拭いていた。鼻もすすっていた。
ようやく落ち着きを取り戻したのは数分後のことであった。死確者は何も言わずに目元から腕を下ろすと、再び手紙に目を落とし、「でも、私は死んじゃいない」と続きを読み始めた。
「なんかこんなこと言うと変に思われるかもしれないけどね、私思うの。誰かが思っていてくれれば死なない、って。私はパパとママの中で、バンドのみんなや友達の中で、きっと臓器を提供した人の中にいる。思い続けてくれる人の中で、ずっとずっと。だから、私は死んでなんかない。生きてるの。生き続けていく。だからね、私がいなくなってもパパとママに引きずらないで欲しい。これからは自分のために人生を生きて欲しいの。これが私の、本当の最後のワガママ。こんな言葉じゃ絶対言い表せない。だから、一応この形にしておくけど、それよりもずっと、ずーっと大きな言葉です」
死確者は鼻で大きく息を吸った。何かを決意したような、大きな想いを乗せた動作だった。
「今まで本当にありがとう」死確者は頬に優しい笑みを浮かべた。「また会おうね。2人を心から愛し続ける優香より」
最後に「P.S.喧嘩はしないこと。したら、私が怒って化けて出るからね」
死確者は私とは反対の方を向いて、服の袖で目や鼻を再び拭う。大きく息を吐いて、顔を起こすように叩くと、私の方を向いた。そして、力強く笑った。
「大丈夫そう?」
「はい。多少目は赤いですが、問題ありません」
「じゃなくて、手紙」
「あぁ」そっちのことか。「ええ。問題ないかと思います」
「そう」
死確者はホッと安心した表情を浮かべる。「やっぱ聞いてもらってよかったわ」と、正面の白い壁を向いてボソリと呟いた。
その姿を見た時、私はかつて「記録よりも記憶に」と言っていた死確者がいたことをふと思い出した。
同時に、一つの推測に行き着いた。もしかして、死確者は私に間違いを聞いて欲しかったのではないのか、と。紡いだ言葉を反芻し、死確者自身の脳に心にしっかりと定着させておきたかったのではないのか。これから会えなくなる両親のことを、まだ読んでない手紙の方に書かれたバンド仲間のことを想い続けられるようにしたかったのではないのか。
どうなのか、はたまたどれなのか気になる。だが、「もしかして」と訊ねるのは、些か不躾である。私は言葉を飲み込んだ。
死確者は手紙を封筒の中にゆっくりと丁寧に入れ、机の上に置いた。「じゃあもう一つのを」と、そのままもう一つの、バンド仲間への手紙に手を伸ばそうとする。
だが、その動作は空中で止まった。どうしたのだろう、と見ていると、不意に死確者は「今更だけど、1つ聞いていい?」と問いかけてきた。少し改まったような言い方だ。
「なんでしょう?」私も少し改まり、背を伸ばした。
死確者は私の顔を見た。
「死神じゃ、ないんだね」
車から跳ねた私は、再び地面へ。
おもむろに立ち上がり、手を見つめる。掴んだ手の中に、残りの一枚が握られている。
調子のいい風からどうにか取り返すことはできた。
私は手紙についた折れ目に手をかざし、力を込める。で、どかす。よし、綺麗になった。そっと内ポケットへしまう。あとは、これを死確者の部屋に戻しておくだけ。それは至極簡単。気づかれぬよう、そっと……ん?
私は頭の違和感に気づいた。何故か妙に軽い。それに、頭頂部の髪に風が当たり、なびいている。おかしい。おかし過ぎる。頭の上に手を通す。前後、左右。何も当たらない。
そうか。私はここでようやく理解した。
「帽子が、ない……」
慌てない。慌てる必要はない。なぜなら、病院までの道のりは一緒であり、5階から落ちた時に抑えたことは覚えている。要するに、然程距離の開いていないところで、しかも帰る途中で見つかる可能性が著しく高いということだ。
それに、帽子は手紙のように風に流されることはない。身につけている衣服同様、帽子も特殊仕様で、岩のようにデンと落ちているはずだ。見つかるだろう。
私は踵を返し、来た道を引き返す。
もし仮に人間が5階から飛び降りたり、車に乗っかって跳んだりしているのを警察官に見られたら、職務質問とやらをされるのだろうな……
そんなとりとめのないことがふと頭をよぎった私は、辺りを見回して確認する。警官はいないことを見て、ほっと安心する。もちろん、私は誰にも見えないが、何故だろう、してしまった。
病院へと足を進める。時折、容赦なく吹く風に少し身をすぼめて。もちろん、寒くはないが、何故だろう、してしまった。
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