第7話

 もう少しで着く。辿り着くの方が正しいかもしれない。

 息は上がらないものの、疲れのようなものは感じる。この距離は流石にきつかった。


 加えて、異様に蒸し暑かった。

帽子や服の中には、篭って逃げず留まろうとする熱気で埋まっていた。じわりじわりと肌に水分をまとわりつかせている。いくら経っても変わらず、それどころか悪化の一途を辿っているのは、夏という季節の宿命である湿気のせいだろうか。それとも、あたためられたことで内側から余計に放出しているせいなのだろうか。


 何にせよ、発生し続けている熱気の原因はあらかた解ってはいた。歩行によるものだけではないだろうし、そもそもの発端でもないだろう。


 結局、実行委員たちは来なかった。無線を利用し、情報を錯綜させていたからだろうか。いや、だとすると、ステージそばで例の五文字の書かれたたすきをした男女が拍手していたというのは妙である。まあ、妨害策をむやみやたらに行使することなく終えられたことを幸運であったと思えば、取るに足らない事象ではあるが。


 ちなみにだが、ステージに向かってきた際の対処も用意していた。もし来たら部分的に強風を起こして未使用の屋台やテントを倒したり積み上げられた荷物を崩したりする、なんてことを思案していた。それはもうただの怪奇現象である。いわゆる、ポルターガイスト、というやつだ。


 無理矢理で物騒で少々暴力的であったとしても、許して欲しい。明確な意思を持って行動する人間への対処は私たち天使でも難しいことなのだ。明確の濃度が高ければ高いほど、意識や行動を無理矢理捻じ曲げなければならないためだ。難易度は二次関数的に上がるのだ。


 その上、そんな意思を持った人間が一体どれほどの数、しかもどこからやって来るのか分からない状況だと、ほぼほぼ不可能。“に近い”とかではなく、不可能。

 となれば残る方法は一つ。実際に目に見える形で騒動を起こし、意識そのものを自らの意思で移してもらうしかないのだ。言い訳にしかならないだろうが、これも未練を解消するための手。致し方ない。


 勿論、怪我等をせぬよう最大の注意は払う。物品を破損しないよう最大の配慮もする。第一、そんなことしてしまえば、始末書ものだ。


 話は逸れたがとにかく何が言いたいかというと、熱気の原因の一つであろう、音楽が生み出すエネルギーやパワーは計り知れず、また凄まじいということだ。時に我々天使の不思議な力を超えるのではないだろうか。今まで音楽にさほど関心のなかった私でさえ、興奮冷めやらぬ気の持ちよう。

 せっかくだ。死神にどんな歌手がおススメか聞いてみよう。どうせ彼なら知っている。


 あっ。

 

 曲がった瞬間、ようやく姿を現した。


 あと少し。そう思うと、足が力を取り戻す。もう少しでだ。




 最後の一音が辺りに響き渡る。死確者の、体奥底から届いてほしいという真の叫びが全て終わった。

 声も楽器の音も星輝く夜空に吸い込まれていく。周りから何も音が聞こえない。静寂に包まれている。人も虫も草木も、何もかもが沈黙している。


 演奏していた4人の首元、脇の下、胸元に腕、背中に太もも、各部の服の色が変わる程、汗で染められていた。夏であることも起因しているだろうが、それ程までに集中し、力を出し尽くした演奏であったということは天使の私でも理解できた。


 だが、それは一瞬。たちまち割れんばかりの盛大な拍手が観客から巻き起こった。

 手を叩く観客は真っ直ぐ彼女たちを見てきた。それは、演奏を仕切ったこと、素晴らしい歌を届けてくれたこと、素敵な時間をくれたこと。どれに向けてなのかは人それぞれであろうが、肯定的な賛辞を送っているのに間違いはない。


 それにしても、なんとも奇妙で不思議な光景である。ステージの上から見回し、ここには多くの人がいるのだが、当然その誰もが同じ見た目境遇ではない。偶然にも最初からいた人、演奏中に足を止めた人、はたまた音に釣られてやってきた人、様々なのである。より広げれば、性格・価値観・思想さえも異なる、言ってしまえば無関係な人間が集まっている。誰一人として同じ人間などいない。なのに、音楽はそれを打ち消す。全く同じ音楽を、同じ空間で聞いているだけで、妙な結束力と連帯感が生まれる。実行委員会のたすきを身につけた男女さえ拍手しているのがその良い例だ。上手く使えば、音楽で世界平和を叶えることも夢でも笑い話でもないのではないか。


「ありがとうございました」


 死確者はマイクに荒い息遣いをすると、頭を下げた。他のメンバーも少し遅れて同じく下げた。それは最後まで聞いてくれたことへの感謝であり……


 ドンッ


 物凄い爆発音が辺りに響き渡った。


「な、何!?」


 空気そのものが激しく振動していることに肩をすぼめて怯える四人。すぐさま聞こえた背中の方へ振り返った。途端、表情は笑顔へと変わる。


「あっ、花火だ!」


 小さな子供の声がどこからか上がった。


 そう、花火。音の正体は花火だ。


 演奏を讃えるように、花火が勢いよく上がったのである。死確者たちは一瞬にして、安堵と喜悦の表情に変わった。


「大成功、でしたね」私は死確者のそばに近づき、耳打ちした。


 死確者は一瞥をくれるも、「失敗ばっかしちゃったけどね」とすぐに再び花火を注視し始めた。


「そうでしたか?」気づかなかった。


「細かいところをいくつも」死確者は頭の上に両手を重ねた。「はぁーあ、もうちょっと上手く弾きたかったな〜」


 突き詰めるからこその、なのだろうか。


「けど、未練じゃないから。むしろおかげで果たせた。ありがとね」


 表情は夜空を照らす花火のようだった。


「いえ」


 一瞬、死確者の表情が曇り、俯く。だが、すぐに顔を上げ「花火綺麗ね」と一言。


 多様な色が夜空を鮮やかに彩る。儚い刹那の輝きで懸命に地上を照らす。


「ですね」私も顔を上げた。


 観客の何人かが「前夜祭って花火あったっけ?」「今年から変わったんじゃない?」などと疑問を浮かべ始め話し始めた。他にも実行委員会の人間が慌てふためいている。幸いにも、花火に夢中な死確者には見えても聞こえてない様子。うん。嬉しそうな顔を見ると、と思える。


「そういえばさ」死確者が口を開いた。「アレ、しまい忘れちゃったから、戻しておいてもらえる?」


「アレ?」


「うん。ほら、でしょ、私」


「あっ」


「思い出した?」


 私は「はい」と頷いた。そういえばそのままだったか……


 死確者は再び空を見上げた。


「花火、もうちょっとあるかな……」


 確か、あった時の応急処置用として確か、50発ほど拝借したと記憶している。まだ20発程しか打ち上げていないので、問題はないはず。だが、「まだあるんじゃないですかね」と知らぬふりして曖昧に答えておく。


「なら、よかった」にこりと笑った。


「優花」


 男性の声に振り返る死確者。心当たりがあるのか、目を見開いている。


 誰だろうか……私も振り返る。


 声をかけた白髪混じりの男性に心当たりはなかった。一方で、すぐ後ろで簡易階段をのぼっている女性なら、ある。何度も長く見ていたからよく知っている。死確者の母親だ。

 二人の距離は近い。そのことから考えるに、男性はおそらく——


「パパ」


 的中。


 死確者の父親は目を泳がせ、母親は口元に手をやっていた。驚いているのだろう。物をろくに掴むことも歩行することもできなかったのに、ステージをしっかりと直立で踏んでギターをかき鳴らしていたのだから。

 至極当然な反応なのだがそれだけではないような、驚きとは別の何かがある気がしていた。


「い、いつから……」


「最初。マイクで名前言った時から見てたわ」


 母親が答える。淡々と事実を述べる感じだ。これは、驚きと怒りからくるものなのだろうか。


「……ゴメン、その私……」


 俯きなんと謝ろうか思案する死確者。


「良かったぞ」


 父親の一言に、「えっ?」と死確者は顔を上げる。


「とても良かった。また聞かせてくれ」


 そう言うと、父親は笑みをこぼした。母親も口元を緩めている。どうやら、驚きと喜びだったようだ。


「ハ……ハハ……」


 すると、死確者は涙を浮かべながら足に力を失った。父親と母親は反射的に駆け寄り、支える。


「大丈夫か!?」


 父親の声に気づいたのか、メンバーの3人が死確者に駆け寄った。


「うん……ちょっと久しぶりの外出で疲れちゃったのかな」


 死確者は笑いながらも、へなへなと座り込む。それを見たメンバー3人は顔を見合わせた。眉を寄せ、不安げな表情をしている。

 もしかすると、死確者のに気づいたのかもしれない。


「体調悪いならすぐに病院に帰りましょう」


 心配する母親に死確者は笑顔で「大丈夫だって」と答える。


「それより、せっかくなんだからさ、花火見ようよ。みんなで座ってさ」


 皆は顔を見合わす。言葉は交わさなかったが、意見は一致したようだ。皆、死確者を囲むようにして座った。

 正直なところ、かなり目立つ。ここはステージの上。多くの人から丸見えだ。しかし、そんな小さなことは気にしていないようだった。だから、私も気にしないことにした。


 花火は私がイメージしているものとは異なっていた。ただの円形だけでなく、星型や土星のようなもの、はたまた何かのキャラクターらしきものまで。今の花火はここまで多様化しているのか……


 視界の隅で動きがある。体育座りの死確者がコクっと首を倒したのだ。で、父親の肩に乗っかっている。目は閉じているが、寝たふりをしてるぐらいに満面の笑顔を浮かべている。


「寝ちゃったみたいね」


 死確者の顔を見た母親は嬉しそうに声をかけた。


「ああ」父親も顔を綻ばせる。


 時刻を確認する。今は20時。死確者に知らせてから1日と7時間ちょっとが経過。


 そう。時間は既に過ぎている。


 花火が上がる。これが50発目。最後の花火。空高く大きく開いた花は、雨粒のように小さく落ちて、消える。


 空はもう暗くなっていた。

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