第6話

「やっぱりマズくない?」


 メガネことめぐみさんは辺りの様子をうかがいながら、顔をしかめる。


 いくら夏とはいえど、夜になれば暗い。なのに、街灯には虫が群がっているせいで、僅かな光しか差し込まない。不便ではあるが、考えによっては4人を照らすものは少ないからこそ、今こうして皆が身を屈め、草むらで隠れている姿が怪しまれていないような気もする。


「曲作り込みで1日弱しか練習できなかったからね〜」


 死確者は妙な形で続ける。


「みんなは普段から弾いてるだろうけど、私なんてギター握ったのも久々だから、なかなか難し……」


「そうじゃなくて、これ」


 困ったように否定する恵さんの顔を見て、死確者は悟ったように息を吐いた。


「……マズいよ、そりゃ」


「演奏するのは全然いいの。私も楽しみだし」茶髪ことあやさんが口を開く。「でも、あそこでやるのは止めにしない? 金曜だけどさ、探せば今からでもまだ大丈夫なライブハウスはあるって」


「今からじゃ間に合わないんだよ」


 代替案を必死に提案されても、揺るがない。死確者の決意は固い。


「私さ、野外でライブするのが夢だったの。ここはまあ、そこまで大規模なものじゃないけど、とにかくみんなで野外でライブしたかったの。演奏したかったの」


「でも……」


 彩さんは不安を見せる。半分わざとかと思うほど分かりやすい様相だ。


 不意に、黒髪こと愛理あいりさんが「彩、恵」と声をかける。2人は徐に、そして順に向けた。


「諦めなって。優花の一度決めたら絶対諦めない性格は、今に始まったことじゃないでしょ?」


 死確者はうんうんと賛同の意を首で表現している。


「それにさ……」愛理さんは笑った。「なんか面白そうじゃない?」


「「ちょっ、愛理?!」」


 あっ、揃った。


「流石は愛理様です。様々です」


 死確者は満足げに、まるでいたずらっ子のように微笑んでいる。


「久々に4人揃って出来るからかな、なんか変なアドレナリン出ててさ、今テンション上がってんだよね」


 愛理さんの口からは大人びた見た目とは真反対な発言が飛び出した。


「乗ってきてるねぇ〜」喜びと嬉しさで顔いっぱいになりながら死確者は返した。


「こんなこと一生に一回ぐらいなんだからさ、、来てる人全員、思いっきり驚かせてやろうよ」


 4人の魂胆は要約するとこうである。明日明後日にかけて一帯で大きな祭りが開かれ、今夜はその祭りの前夜祭なのだという。だが、出店の数や白いステージでのイベントが多少減っているだけで、“前夜”と言っても祭であることには変わりないらしく、そこまで大きな違いはないそう。むしろ、前夜祭にだけ何故か打上花火があるそう。

 そのため、一人きり、知り合い、友人、浴衣を着たカップル、親子や家族等々、形態は様々だが、花火を見たい客がこのステージ前の芝生に座っているのである。死確者たちはその客たちを狙って、花火が放たれる前に、無許可でステージに上がり、今日作った曲を演奏しようとしているのだ。しかしながら、許可なく行えば当然怒られる。彩さんや恵さんが反対しているのはそのせいであり、当然のことなのだ。


 私は覗くように体を倒し、死確者を見た。ちらっとこちらに目をやる。邪魔せぬよう話しかけはしないものの、認識だけはしておいてもらわないといけない。時々、顔を出し、確認を取っている。まあ、あまりしつこくならぬよう、注意はせねばならぬが。


「確かにもう機材は使い回せばいいから、愛理や優花のギターと彩のベースさえあれば大丈夫といっちゃ大丈夫だよ?」


 先ほどまで男4人組のアマチュアバンドが演奏していたため、ステージにはドラムとかいう楽器や演奏に必要であろう幾つもの機材類が既に置かれていた。正直のところ、盛り上がってるとは言えなかった。耳を傾けていなかったどころか、音楽を演奏しているのに別の音楽を聴こうとイヤホンを耳につけている者までいた。


「そもそも」恵は目線をステージの方へとやった。「をどうにかしないとステージに近づくのさえ無理だと思うんだよね」


 目線の先には“”と書かれた帽子や襷を身につけている老若男女がステージを囲むようにいた。不逞な輩が上がらぬように監視しているのである。配っている目つきからは、話し合いでどうにか解決するような気はしなかった。


「どかしましょうか?」


 私の声かけに死確者は、さりげなく目配せをすると、縦にコクリと頷いた。間違いなくそうだと言えるほどそれが、よろしく、の意であると伝わった。


「承知しました」


 それでは、無線機を少しばかり細工させてもらおう。私は目線をステージ近くに向け、指をクイッと回した。7人いたので両手を使って7回、釣竿を引っ張るように持ち上げる。

 途端、彼彼女らは一斉にどこか慌てながら耳に手を添える。そして、競争でもしているかのように皆ステージからてんでんばらばらに散っていった。


「いなくなったね……」恵さんが驚き交じりに呟いた。


「これで問題ないでしょ?」


 渋る2人に死確者は最後の一押しをする。


「まあ神様も私たちの味方してくれてるみたいだしね」


 先に折れたのは彩さんであった。それを見て、恵さんはため息をつき、「やってみよっか」と口角を上げた。


「よしっ!」


 死確者は嬉しそうに声を上げると、「じゃあその前にちょっとトイレ」とステージと反対方向へ走っていった。


 私はボーっとその姿を見ていると、不意に死確者は振り返る。そして、手招き。誰も死確者を見ていない。私?、と自身に指をさすと、コクコクと頷いて返してきた。どうやらそうらしい。


 死確者は数メートル先にあったトイレに入るをする。そして、見られていないかと辺りを念入りに確認しながら、その裏の木陰に隠れた。古いトイレの隙間から光が溢れるが、直接当たる街灯はなく、先程と比べてもかなり暗い。ヒョイっと覗くと、死確者から「早く」と手招きされた。


「どうかしましたか?」


「お願いがあるんだけど」


「なんでしょう?」


「演奏する間、さっきの人たちを遠ざけることはできる?」


「さっきの、というと……」私は帽子を直した。「“実行委員会”と書かれた物を身につけていた方々でしょうか」


 死確者は「そう」と頷いた。


「他の人は」


「他?」私の問いに死確者は軽く首を傾げた。


「ステージ近くにいる人間たちです」


「いやいやダメダメ。見てくれる人いなきゃ弾く意味ないから」


「うーん……」私は顎に手を置き、考える。「それをしないと未練は解消できないんですよね」


「だからまあ実質的には、できなきゃ困る、なんだけど……どう?」


 死確者は申し訳なさそうに覗き込みながら、問うてきた。


「できます、多分」


 私の返答に死確者は表情を少し和らげると「分かった。じゃあできるだけお願い」と告げ、「そもそも戻ろっか」と背伸びした。


「はい」


 死確者はトイレに入り、手洗い場で軽く手を濡らしてから、皆の場所へと戻る。


 私ができますの後に、不安にしかねない“多分”をつけたのは理由がある。いくら天使だからと言って人間の意思や意志を自由自在に操れるわけではないからだ。詳細は長くなるだろうから語らなかったが、一人一人異なる意識を有してた人間たちをどうにか処理するのは、相当に難しいことである。


 さてさて……ここで問題点。実行委員達に何をすれば効果的なのだろうか。

 私は死確者の後を追いながら、策を講じる。だが、考えても考えてもなかなか思いつかず、彩さん、恵さん、愛理さん、そして死確者の4人がステージ裏に来てもまだ閃かなかった。駄目である。


「じゃあ再始動の景気付けに」


 愛理さんは手を前に差し出す。彩さんも恵さんも円形になるよう、位置を整えながら腕を伸ばし、上に重ねる。


 3人の手を見つめている死確者の目は、どこか切ない雰囲気が漂っていた。


「優花も、ほら」


「うん」


 死確者は皆が開けたスペースに入り、一番上に添える。喜んでいるような、噛み締めてるようなそんな表情だ。


「それじゃあ」


 愛理さんは他のメンバーに目配りしながら喋り始める。


「ホワイトグリッター初の野外ライブ、絶対成功させましょう。そして、最高のライブにしましょう」


 4人は「えいえい」と息の合った足踏みとともに手をクッションさせ、「おー」で天に高く上げた。そして、両サイドに備え付けられた簡易階段を駆け上がり、ステージへ。死確者の邪魔にならないよう端の方ではあるが、私も同様に立つ。


 いやはや、なんとも不思議だな。ここから見る景色は下からとはまるで違う景色だ。同じ場所で変わりないのに、角度でこんなにも変わるのか。ステージとその付近を照らすライトのおかげもあり、遠くまで見ることができ、思ってた以上に人がいたことを今更になって把握した。


 そんな私の感慨もつゆ知らず、4人はこそこそと手早く用意を始めた。しかしどんなに隠れようとも、姿形がはっきりとしてしまっていれば意味はない。当然おおっぴらにその姿を晒しているため、次第にステージ上に視線が集まり出す。愛理さんはつまみが幾つも付いた箱にコードを繋ぎ、色々と調節をする。ギターを首を通して肩にかけ、音を確認する。彩さんも右側で首に通すのがベースであること以外は、愛理さんとほぼ同じ行動を取る。ドラムの恵さんは座る位置を整えたり、太鼓や平べったい金色のものを小さく叩いて何か確認している。そして、死確者はマイクの前で愛理さんと同じ行動をしつつ、ギターからの音やマイクの位置調節をする。


 2分弱ぐらいだろうか。用意し終えて全員がちゃんと観客側を見始めた頃には、全てと言っていいぐらいに視線が集中していた。死確者はスイッチを押し、マイクに向けて声を出す。備え付けられたスピーカーから「あ、あ」という音が何倍にも増されて出力された。


「はじめまして、ホワイトグリッターです」


 拍手はない。人々は何が起こってるのかよく分かっておらず顎を落として、開いていたり、呆然として、はたまた隣にいる知人や恋人、家族と「何か始まるの?」「あの人たち誰?」「こんなイベントあったっけ?」と仲良く小声で囁きあっていた。


「ええっと……」


 死確者は俯き、しどろもどろになる。長い間人前に出るどころか、病院から出ることさえもろくになかったのに、突然に不特定多数の人間たちから見られるわけだから、当然といえる。


 死確者は目を閉じ、深く息を吸い、吐く。そして、顔を上げる。見開いた目は真っ直ぐ前を見ていた。


「突然すいません。みなさんにどうしても聞いてもらいたい曲があって、この場をお借りしました」


 その一言でようやく点々と声が上がる。動揺から来るもの、ざわめきだ。目に見えぬ圧に、死確者はまたも怖気付いてしまう。視線はすっかり落ち、緊張で手の中のギターが強く握られている。


「優花」


 名前を呼ばれ、死確者の曲がっていた首が起きる。声をかけた愛理さんへ顔を向ける。目を合った時、何も言わなかった。ただゆっくり頷いた。だが、それで全てを汲み取ったのか、笑顔で頷き返した。

 そのまま、彩さんと恵さんの方へも視線を向ける。彩さんは笑みを浮かべ、恵さんは口を閉じて強く頷いた。頷き返した死確者は顔を戻した。もう恐れなど無かった。今、これからの時間のために精一杯生きようとしていた。


 死確者はマイクへ顔を近づけた。


「聞いてください。『明日へ』」


 腕を上げる死確者。ギターを握る手はもう優しくなっていた。そして、渾身の力を込めて、振り下ろした。

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