第5話
「死神じゃ、ないんだね」
「はい?」
思わず反射的に聞き返してしまった。
「迎えに来るの。死神じゃないんだね」
死確者は答えるのではなく、質問を続けた。だが、それもある種の返答であり、同時に言いたいことの真意が何なのか理解できた。
「いいえ、死神ですよ」
私は訂正混じりに伝え、「そもそも、私は迎えにきたわけではなく、未練を解消するためにやってきてるので」と説明を加えた。
「来るには来るんだ」
死確者は服の裾で顔全体を拭く。ごしごしと音が出るほどに荒く強く。これまでの疲れをリセットするかのように見えた。
「ええ。最後に現れます」
裾を顔から離すと、「じゃあなんで、死ぬ少し前に天使がやって来ることは広まってないの? そういう話、今まで聞いたことないよ??」と質問をしてきた。
「さあ……」
私は首を傾けた。そんなの私の方が知りたい。おかげで死確者に信じてもらうために時間がかかったりするのだから、こっちとしてはむしろ知っていて欲しいくらいだ。
死確者は「そっか」と呟くと、視線を私から逸らすと、おもむろに俯いた。そして、黙った。
長く天使として働いていりゃな、人間が何を抱いてんのか何となく、嫌でも分かってくるよ——かつて何の気なしに言っていた死神の発言の意味が今ようやく分かった気がする。そんな私が心の中で発したのは、しまった。という後悔の言葉だった。
これまで病のせいで手足さえ自由に動かすことが困難な状態だった。体で表現できない分、口から溢れる言葉の数々、生じる会話はこの上なく楽しみであり、同時に数少ない娯楽であったはずである。なのに私は、然程話題を広げることもしなかった。まったく、職歴だけが長くなるだけで使い物になっていないじゃないか、私は。
とにかく、打開策を考える。今からでも続けるべきか。だが、嘘をつくのは良くない。相手に気をつかわせているなどと思われたら、余計にまずい状況になるから、無理に広げるのもよした方がいいだろう。
どうしようか、どうすればいいだろうか……
「理想は理想のままで、ってことかな……」
悩んでいると、死確者は唐突に口を開いた。見ると、視線は白い天井に向けていた。
「はい?」
「私なりに考えてみたんだけどさ、天使って色んなことから救ってくれそうな感じがするでしょ。不幸からとか災難からとか死ぬことからとか」
ああ、そうか。黙っていた理由が良い意味で外れたことに私は、動作しないものの、胸を撫で下ろした。
「そうなんですかね」
だが、良い機会だ。会話を続けてみよう。上手くいくならば、頃合いを見て話を広げてもみよう。
「実際はこんな感じで、死からは切り離してくれない。かといって、大体の人間が死なないのかって思っているのかっていえば違う。当然だけどさ、気づいてはいるんだよ。ただ見ないだけで。見たくないだけでっていう方が合ってるかな」
死確者は手元に顔を落とした。
「だからだと思うんだ。天使っていう存在が私たちを死から救ってくれるんじゃないかっていう望みを、まだ生きられるんだよっていう希望を無くさないよう、考えて言わないようにしてるんじゃないかな」
私は動揺する。「それはつまり、私たち天使が、気をつかわれてたということですか?」
死確者はまるで絶対勝利できる手段を見つけた策士のような笑みを浮かべた。だがそれだけ。話はそれ以上展開せず強制的に終わった。いや、会話を途絶えさせられた、という方が適当か。ガラガラガラ、と部屋の扉が開いたのである。要するに、誰かが部屋に入ってきたのだ。
死確者は体を斜めにして、扉を見つめた。
「いらっしゃい」
嬉しそうな笑みをこぼした。しかし、手は少し急ぐように机の上を整えていた。
私は振り返る。そこには大きな荷物を背負った3人の女性が。制服姿、確かセーラー服とか言うんだったはずの格好をしている。心当たりはある。死確者が電話で呼んだ友人だ。
つまり、知り合いであるはずなのに、なぜか恐る恐る中を覗いてきていた。不自然な動作だ。死確者もその動きや振る舞いに疑問を思ったのだろう、「どうしたの?」と声をかけた。
「いや……さっきまで誰かと話してなかった?」
扉を開けた、目がキリッとし大人びた見た目の女子高校生がそう口にした。腰上辺りまで伸びた黒髪は後ろで自由に揺れている。
「えっ?」
「ちょっと早かったけど、大丈夫かなーと思ってたら、中から話し声聞こえて。何を話してるかまでは分かんなかったし、もしかしたら、病院の先生との大事な話とかだったら、今はいる時じゃないなって」
「だからね」その左隣にいる童顔で少し茶がかった髪を後ろでひとつ結びにした女子高校生が続ける。「邪魔しないようにって三人で終わるまで外で待っていようとしたんだけど……」
「どんなに聞いても中からは優香の声しか聞こえなくてさ、なんか変だなーって」
さらに引き継ぐ形で右端にいる黒髪赤縁メガネ女子高校生がそう言った。あの髪型は確か、短いアメリカ人の名前だったような……あっ、思い出した。ボブだ。ショートボブ。
「いや……その、電話してたの」
死確者はぎこちない笑みを浮かべた。私の存在を知られないように、それこそまさに気をつかったのかもしれないが、誤魔化してくれた。
「それよりさ、入って入って」死確者は間髪入れずに、それ以上の質問がこないよう口にする。同時に、口と手で入室を促す。
「う、うん……」
死確者に近づくと、「あれ?」と茶髪が眉をひそめた。
「目、大丈夫?」
「えっ?」
死確者がキョトンとしていると、メガネが「あっ、赤くなってるよ」と続けた。
「……あぁ、これならすぐ治る。さっき飲んだ薬の副作用。いつものことだから、大丈夫」死確者は微笑む。
「で、早速なんだけど、三人にちょっと聴きたいことがあるの」
死確者は唯一残していた机の上の紙を渡した。びっしりと歌詞が載っている。
茶髪は受け取ると、「これは?」と口にした。
「曲。新しいの書いたんだ」
「書いたって……もしかして」
「うん」死確者は首を縦に振った。「みんなと演奏したいの」
三人はパイプ椅子に腰かけ、早速歌詞を読んだ。黒目を左から右へと泳がし、少し下に向けてまた左から右へ。その動作を絶えずしばらく繰り返した。
あまりにもかじりついていたため、三人とも姿勢が伸びた動作が見終えたからだというのは一瞬にして把握できた。
「どう?」そう声をかけた死確者の顔は不安そうであった。
三人は顔を上げて目を合わせた。
「良い、凄く良い」「今までで一番ぐらいの出来だよ」茶髪と黒髪の表情が明るくなる。
死確者は体をもたれさせると、「まだ完成してないけど、とりあえず安心」と安堵の表情を浮かべた。
「でも……」
メガネが何かが歯に挟まったかのような物言いをしたことで、またも不安に逆戻り。
「……何?」
「その……さ」メガネがそう口にすると、皆俯いてしまった。「手は大丈夫なの?」
「見てて」
死確者は実際に動かした。上に下に右に左、一回転逆回転、手を握り、空手のかたのように前に出したり、手を波うたせるように動かしたり、とにかく色々に動かしてみせた。
「ほら、こんなに動く。演奏するにはまったく問題ないよ」
「本当に。ていうか、もし嘘だったらこんなに手が動いてないって。ほら、足だって」
思うがまま、自由自在というように満足そうに手を足を動かす死確者。あまりの激しさに、布団が持ち上がり、床に落ちてしまいそうになる。
「いや、手足は動いたとしても、その……」メガネがまたも口籠る。「病気だから無理しちゃうと……ね?」
「それも大丈夫。先生からは許可もらってるから」
「だったら……」
三人は互いに見合い、笑みで会話する。だがまだなんとなくぎこちなさは残っているように見受けられた。
「それじゃあ、曲作っちゃお」
「え?」
「それぞれ必要なものは持ってきたでしょ?」
「言われたからね」黒髪が言う。「けど、ここ病院だよ? 怒られるって」
「分かってる。だからさ」死確者は顔を近づけていく。それに合わせて、三人も寄せていく。「ここ出よう」
「ここ……って?」
「当然、病院を、だよ」
「「「えっ?」」」
揃った。首が突き出る動作まで一緒だ。
「で、でも外出はダメなんじゃ」
茶髪が続く。おそらく前にこの三人が誘ったのではないだろうか。だが、医者から止められているなどで断られたのではないだろうか。あくまで推測でしかないが。
「いいの、少しだけなら許可もらったから」
「えっそれも?」メガネが驚く。
「体調が良くなった今なら少しだけいいって主治医の先生がね。まあ少し頭が痛くなったりはするけど多少だし、最悪薬飲めばすぐに抑えられる」
嘘である。快方になどこれっぽっちも向かっていない。最後の時間を過ごすために、痛みに必死に耐えているのだ。おそらく、頭痛というのも、そのような時が来た時に隠せるようにするための、カモフラージュだろう。
「外泊もオッケー出たし」
これも嘘である。そんな許可などおりていない。病院を抜け出してる間、誰にもバレないようにして欲しいと私は先ほど頼まれたぐらいだから、下りるわけがない。
そもそも、死確者は病名についても嘘をついている。資料にはそう書いてあった。つまり、三人は死確者の病名を知らない。そう考えると、病院を上手く抜け出すための口実というのもそうだが、これまでの整合性が保てなくなってドミノ的に露呈してしまうことの防止の意味もあるのかもしれない。
「ね?」
三人は顔を見合わせる。言葉は交わさないものの、伝わるものがあるのだろう。静かに見合い、そして決したように三人は同時に死確者に顔を向けた。
「分かった。やろう」
黒髪はそう言って微笑んだ。残りの二人も続く。
死確者もまるで買って欲しいと強請った物を買ってもらえた子供のような喜びを顔一杯に、そしてどこかホッと安心した笑みを浮かべた。
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