第4話

「あの人は?」


 すれ違った男性について質問した。部屋に案内してくれている女性と同じような服装見た目ではあるのだが、色合いは青なのである。


「おんなじだよ」


 死確者は面倒くさそうに眉間にしわを寄せながらも、応えてくれた。


 つまり、ここにいる同じ色合いの服を着た人たちは皆、ヘルパーさん、という名前であることだ。驚きである。すぐそこで老いた男性と談笑している男性もヘルパーさん、向こうで掃除をしている少しお年を召した女性もヘルパーさん、先ほど通った受付のふくよかな女性も同じような男性女性も全員ヘルパーさん……ここには、ヘルパーさん、という名の付く人しか雇ってないことになる。なんと偏りのある現場だろうか。そもそも、彼彼女らの親たちはどのような心境でつけたのだろうか。

 いやいや。違う視点から発想してみよう。この施設で雇ってもらうために、もしくはこの仕事に就くために必要だから、両親がその名をつけたというのならどうだろうか。うん、可能性はなくないぞ。


 にしても、名前が一緒か……一斉に呼んだら皆振り向くのか?ーーそんなイタズラ心が芽生えたが、すぐに摘んだ。別に我慢したわけではない。私は死確者にしか声は聞こえないので、無駄である。まあ少々工夫すれば、死確者以外の人にも私の声を届けることはできるのだが、そのためだけに行うのは自身を疲労困憊させるだけで、意味がない。割に合わない。


 2人はとある扉の前で立ち止まる。すぐ右横の壁には、“角田チエ子さん”と書かれたプレートが付けられている。死確者の母親と名前が一致。つまり、この中にいるわけだ。

 ヘルパーさんは横にスライドさせて扉を開ける。少し立て付けが悪いのか、それとも元からわざとそういう造りになっているのか分からないが、ガラガラと音を立てて扉が開いていく。建物自体はまだ建てられてそれほど年月は経過していない。もし開閉に難点があるのならば、欠陥であると言わざるを得ない。


 一方で中は一人用にしては広く感じた。すぐ左手には、トイレ、と書かれた扉があり、同じくスライド式であった。奥にはベッドやらテーブルやらテレビやらが置かれており、他にも新聞や雑誌、洋服ダンスなど所狭しと雑多に置かれていた。しかし、ある程度の片付けられているからか、汚さは感じなかった。おそらく、ヘルパーさんが整頓しているからだろう。


「どうぞ」


 ヘルパーさんは先に入り、扉に開けたまま横に逸れた。一言に死確者は軽く会釈しながら部屋の中へと入った。

 では、私もお言葉に甘えて。一歩踏み出した瞬間、扉が閉まり、思わず仰け反った。手を離されてしまったようだ。


 あぁ……まあ、特に危険があったわけでもないし、第一私の担当死確者以外には見えていないのだから、致し方ないことである。一応私は天使。車と同様、人工物などなんてことない。これぐらいのもの、簡単にくぐり抜けられる。


 私は軽く跳ねて、閉まっている扉を通って、中に入った。


「チエ子さん、息子さん来ましたよ」


 ヘルパーさんは膝を曲げて、奥でベットに座っている死確者の母親に話しかけていた。だが、目の焦点が合っていない。まるで一人で待ちぼうけを食らっているかのように、ボーッと遠くを見ている。


「母の容態は?」


 死確者はヘルパーさんに訊ねた。顔を見て、口をゆがめるヘルパーさん。「……かなり悪化してるみたいです」と呟いた。


「薬は変えて頂いたんですよね?」


「はい」ヘルパーさんは立ち上がった。「隣の藤原病院で主治医の先生から薦められたものをいくつか使っておりました」


 死確者以外の人生は資料に記載されてないため詳しくは知らないが、そういうことなのだろう。


「定期的に変えつつ、様々試してはみたんですが、残念ながらどれも効果的とは……」


 先の言葉を察した死確者は母親に視線をやった。効き目はなし、ということか。


「最近はずっとこんな感じですか? こう、どこか遠くを見てるような」


「基本的にはそうですね。ですがたまに、リョウコさんやカエコさん、とご友人の名で私たちに声をかけて下さって、角田さんとの昔話をしてくれる時もあります。とても楽しそうにお話しされてますよ」


 ご友人の名に心当たりがあるのか、少しハッとする死確者。「昔の記憶の方が覚えてる、ということなんでしょうか?」


「医師ではないのではっきりとした確証があるわけじゃないんですが、ここにも昔の記憶の方が深く覚えてる方もいらっしゃいますので、そうなのかもしれません」


 流れる沈黙。


「1つお願いがあるんですが」沈黙を解く死確者。


「なんでしょう?」


「少しの間、母と2人きりにして頂きたいんです」


 ヘルパーさんは少しキョトンとしていたが、すぐに「分かりました」と小さく縦に頭を揺らした。


「では、もし何かありましたら、そこのオレンジのボタンを押して下さい。すぐに駆けつけますので」


「承知しました。ワガママ言ってすいません」


「それでは」ヘルパーさんは死確者の脇を通り、部屋を出て行った。扉がしっかり閉まったのを確認すると、振り返り、私の顔を見てきた。


「どうせお袋の病気がなんなのか、もう分かってるんだろう?」


 母親を見つめながら、死確者は私に声をかけてきた。


 私も死確者の母親に視線を移し、「ええ」と返した。


「アルツハイマー……でしたよね?」


 死確者は今までになく悲しく弱く辛い表情を浮かべ、縦にゆっくりと頷いた。

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