第3話

「クイズ番組、だな」


 ハンドルをさばきながら、死確者はファイナルアンサーの意味を教えてくれた。片手だけでハンドルを持ち、楽々と会話する姿からして、運転には慣れているのだろうと推測できた。


 黒に包まれた車体は、太陽の光を物ともせず、煌々と跳ね返している姿はなんとも逞しかった。名前は確か、ベンツと言ったはずだ。前に死神が見ていたカタログをこっそり盗み見た際、これと似たようなが写っていた。


「クイズ……ですか?」


 助手席の私はシートベルトをまた引っ張りながら、確認をする。さっきからずっと直しているのだが、適した位置にならない。


 車を発車させる前、死確者は「シートベルトしろ」と指示してきた。シートベルトとは事故など予期せぬ事態が起きた時に生存確率を上げるためにするものであることぐらい、心得ている。

 下級ではあるが私は天使。死の理からは外れている。要するに死なないし、死ねない。そんなことを考えながらも、私は「しなくても大丈夫ですよ。何があっても死ぬことはないので」と伝えた。親切心で言ったつもりだった。

 だが、「こっちが大丈夫じゃないんだ、法律的に」と怒られてしまった。なので、仕方なく。法律とやらは守らねばいけないルールなのだろうか。見えない者であっても、しなければいけないと決められてるのだろうか。今はその確認ができない。


 それにしても、シートベルトというものは体を斜めに拘束する窮屈な代物だな。いや拘束というまでもないほど簡単に抜けることができてしまうか。だがだとするならば、強制的に付けさせているのはおかしな話である。よほどの物好きでなければ、好き好んでするものではないだろう。


 そもそも、運転など私の力を使えば、運転せずとも自動で目的地まで案内させることなど容易いこと。少々汚い言葉を用いるとしたら、こんなのは屁でもない、というやつだ。当然、発車前に提案してみた。しかし、「自動で運転して何が楽しい?」と突っぱねられてしまった。

 普段ならしない「安心安全最高の乗り心地ですよ?」などという安っぽいセールスや「運転席に座っててもらって私が運転すればいいってことですよ」と丁寧に補足しても、答えは「いらん」の一点張り。いやしかし、「運転はするのが楽しいんだ」という予想だにしなかった返答まできた時にはひどく驚いた。これまでの死確者は、「歩く方がもっと嫌だから」や「距離があるのに、電車やバスなどの公共の乗り物がないから」など理由は様々だが、嫌々ながら運転していたことが多かった。確かに彼・彼女らは直接的間接的に仕事をするためではあったが、そこまでは大差ないはず。

 運転するというのは歩行に代わるための単なる移動手段の1つではないということか?


「クイズを出した後にな」


 謎は深まるばかりだが、とりあえずファイナルアンサーについて聞こう。


「解答者への確認するためにその台詞を吐く。『その選択肢で本当にいいんですね?』という意味を込めてな。緊張感を出させるための番組の演出だと思ってくれればいい」


「へぇー」


 私は小さく頷きながら、よくよく考えてみたらある程度は推測できる言葉であったことを今更ながら認識した。ファイナルアンサーを最後の答えではなく、あなたが選べる最後の答えという意味で拡大解釈すればいい。


「有名なんですか?」


「有名……だと思う、多分」珍しく歯切れの悪い返しだった。「あいにくテレビには疎いんだ」


 テレビを見ない。ああ、予想通りだ。あらかた、あんな低俗なもの、と思っているに違いない。


「お前さん」


 死確者の問いかけに私は「何でしょう」と答えた。この空間でいるのは私と死確者だけ。直接的な呼称でなくても、自ずと分かる。


「なんで車に乗ってるんだ?」


「はい?」


 思わず訊き返す。どうしたのだ、突然認知症でも発症したのか。


「天使なんだからわざわざ車に乗る必要ないだろ。ほら、瞬間移動みたいなのはできないのか?」


「できません」


 せめて空を飛ぶにして欲しいものだ。瞬間移動するなど、そんなのはもう魔法使いである。


「天使なんだろ?」


「天使でも無理なことはあります」


「なら、飛べたりは?」


「できますよ。現世では無理ですが」


「そうか……」


 左車線に移動する。


「……見たかったですか?」


「別に」


「なら、飛んでみたかったですか?」


「……別に」


 嘘だ。恥ずかしいから威厳を保てないから、と咄嗟に嘘をついた。けど、反応は遅れた。本当は空を飛んでみたかったんだ。


 まあ確かに空を飛んだら大学から目的地まではすぐに……あっそういえば。


「授業の方は大丈夫なんですか」


「今日はもう無いからな。あったとしても休講すればいいだけの話だ」


 成る程。


「それに、どうせ学生たちは私のことを嫌ってるからな、その方が喜ばれるよ」


 ほぉー……「嫌われてるんですか?」


「教え方や態度に対して、確かに他の先生方よりも厳しいからな。だが、私が厳しくしてるのは社会に出た時、絶対的なアドバンテージになる部分だけだ」


「むやみやたらに厳しくしてるわけではないと?」


「社会は皆が思ってるよりも遥かに厳しく残酷なところだ。誰も自分に対して真の意味で興味など持っていない。使い物にならないと判断されれば、短くなった吸い殻のように簡単に捨てられる。笑いある会話も重みのある言葉も、今まで何だったんだと言わんばかりにあっという間だ」


 死確者の顔は真っ直ぐ前を見ていた。だが、どこか遠くを思い起こしているように見えてならなかった。


「そのような場面に出くわした時、ある程度免疫をつけておかなければ耐えるのは難しい。その前の四年間を大学という余暇ばかりある天国を覚えてしまっていれば尚更だ。会社で生きることだけでなく、下手したらただ純粋に生き続けていくことすら難しくなるやもしれん」


 その先を見据えている、というわけか。


「だが、そういうのはなかなか伝わらないものだな」


 死確者は苦々しい笑みを浮かべた。


「なんでそう思うんです?」


「ネットだ」


「ネット?」私の眉間に意図せずシワが寄る。


「ちなみに、網じゃないからな」


「え?」


 思わず死確者を見た。そんな動きが横目に見えたのか、死確者は「まさかとは思っていたが……」と小声で呟くと、深くため息をついた。


「インターネットのことだ。略称」


 ああ。インターネットか。そういえば前に死神がネット云々と言っていたな。前にとはいっても、人間からしたらかなりが頭に付くぐらい前なのだが、まあその辺はいい。


「掲示板があるんだ。そこには受講してた学生たちがあの教授のテストやレポートはどんなんだったとか、授業はどういう雰囲気だったのかとかを書き連ねてある。そこでは私のことが『ただ口うるさく厳しいだけ』『言うだけ言って、中身が伴ってない』と、書く奴書く奴そりゃあ酷い具合にな」


「それは……なんと言えばいいか」


「なに仕方ないさ」今度は、弱々しい笑みに。「それが“社会”というもんだ」


 前に死神が言ってた。現世はようやく言いたい事を言えるようになった、と。その昔は曲の歌詞にもあったほど、言いたいことも言えない世の中だった時代があったらしい。

 かといって、主張をする権利を得たからといって濫用するのは意を唱えたい。表立って見えないからと言って、誰に何言っても良いというわけではないはずだ。言うと貶すは似て非なるもの、大いにである。

 よく知ってないのに人間のことを生意気に言うんじゃない、と思われるかもしれないが、これに関しては違うと気がしてならないのである。いや正しくは、思いたい。天使は、私は人間の良心を信じたいのである。


 カチカチと一定のリズムが聞こえ、意識が今に戻った。車が右に曲がって、体が小刻みに揺れ出す。あまり舗装されてない砂利道に来た。そんなことを思っていると、車が止まる。


「着いたぞ」


 死確者はシートベルトを外して車を降りた。同じく私も降りると、私を待つことなく死確者はさっさと歩いていった。遅れないよう、後をついていく。


 細い道路を挟んだ向こうに低層の建物が見えた。新築だ。看板には、“有料老人ホーム いきいきホーム桑原”と書かれてあった。確か老人ホームとは、病院のようなもののはずである。


 スロープと3段しかない白い階段がある。死確者は階段側から上がると、入口の自動ドアを通っていった。だが、まだ中には入れない。二重になっているのだ。

 右手側にある棚には、館内用、と書かれたスリッパが置かれている。どうやらここは、外の靴を中のスリッパに履き替える場所らしい。スリッパ置きは縦に何段にもあった。それほど来客が多いのだろうか。


 死確者は靴からスリッパに履き替える。そして、2つ目の自動ドアに体を近づけて開けた。同時に私は死確者に追いついた。


「あっ、角田さん」


 女性が左手にあるカウンターから出てくる。ナース服のような見た目だが、色は白ではなくピンクであった。


「お久しぶりですね」女性は口角を上げて近づいてくる。敵意のようなものは見受けられない。


「いつもお世話になってます」死確者は膝に手をついて腰を低くした。「すいません、研究論文の発表で忙しくて顔出せなくて」


 あれ? そんなの作っていたか??


「いえいえ」と相手は同じく腰の低い会釈をすると、「今日はお会いに来られた、ということでよらしいんですよね?」と念を押してきた。


「ええ」死確者は深く頷く。「母は、今……」


「お部屋に休んでいられますよ。先ほど訪ねた際には起きてテレビ見ていました」


「普段はこの時間も寝てるんですか?」


「この時間はそうですね、寝てることが多いです。もしかしたら、角田さんが来られるのを気づいたのかもしれないですね」


「ハハ……」死確者はぎこちない笑いをした。


「あっじゃあ行きましょうか」


 女性は少し前に出て、「どうぞ」と手を出し、誘導を始めた。ついていく死確者。


「あの方は誰ですか?」


 死確者の後ろを続きながら、私は女性を指差して聞いてみた。死確者以外に私の声が聞こえるわけではないので、堂々と。すると、「ヘルパーさんだ」顔を少し寄せ、こっそり教えてくれた。


 ヘルパーさん……


 会って間もない人にこんなこと言うのは大変失礼だし、相手は私のことが見えないのでそもそも会っていないのだが、さん付けするとヘルパーさんになってしまうではないか。うん、何度聞いてもなんとも変な名前である。

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