第2話

「はぁー」


 死確者は深いため息をついて、背もたれに寄りかかった。途中、不機嫌そうに持っていたペンを転がすように軽く投げた。開いていた手帳に上手く乗り、のどに向かってコロコロと転がり、そして止まる。溝にはまったのだ。


「たまにいるのよね」ふと口にした死確者。


「え?」


「すっとぼけないで。あなたみたいな人よ」


 急に敬語が払われた。ということは、相手は私に心を開いてくれたということだろうか?


「全く、さっきから聞いてれば……ひやかすのはやめてもらえるかしら」


 ん? 様子が違う。


「私は仕事しに来てるの。小馬鹿にした雑談を聞きに来たわけじゃないの」


「私も仕事で来ているんです」


「そういうのが、冷やかしてるって言うのよ」


「冷やしてなどいません。私は至って真剣です」


「じゃあ聞くけど」死確者は腕を組んだ。「あなたが天使だっていう証拠は?」


「証拠、ですか?」


 いや、心を開くどころか、疑惑をもたれているようだ。だが、敬語を外す時は相手を許す時であると聞いたのだが、どうやら今回は真逆のことが起きているよう。


「そう。何かあるでしょ? 例えばーそうねぇ……羽とか」


 死確者はようやくコーヒーを一口。まだ湯気は出ている。


「羽……ですか」


「無いの?」


「ありますけど、今はちょっと……」


 痛いところをつかれた。


「なんでよ?」


「現世にいる時は出せない決まりなんですよ」


「出せることは出せるの?」


「ええ。けど、出したら始末書です」


「なら、それ以外でもいい。罰を受けていないものでいい。とにかく、何か証拠を見せて。じゃないんだったら、私は絶対信じない」


 信じないと言われても……思わず口を閉じる。ぎゅっと少し内側に巻き込んだ。こうしないと疑われてしまい、無意味だからだ。


『ではこれなら、どうでしょう?』


 私は話した、


「えっ……」目を剥き、口が少し開く死確者。


『どうです、信じて頂けますか?』


 そのままの顔で辺りを見回している。


「腹話術か何か、よね?」


 動揺まじりな死確者に私は『いいえ、頭の中に直接です……』と話を続ける。


「あなた……超能力者なの?」


 何故、すっ飛ばした!?


『いいえ』頭に血が上っていく。『天使ですぅ……』


 ……もう、いいだ、ろうっ!


「ぁあっ! はあはあ、はぁはぁ……」


 私は必要のない呼吸をしてから、「これ……現世ではなぜか……凄く疲れるんです、よ……」と気持ち悪がられる前に理由を話した。


 呼吸を整え、「で……信じてもらえましたか?」と確認する。だが、首を横に振った。


「信じない。どうせマジックか何かでしょ?」


 な、なんと……私はがくりと頭を垂れた。その衝撃によって、あっ、とふとあることに気づく。そうだ、もっといいのがあるじゃないか。


 私が顔を上げると、「な、何?」と死確者は不安げに眉をひそめた。


「私の分の水がないので、頼んでいただけますか?」


「なんで私が?」と言う質問に、「お願いします」と言葉尻が重なりながら、再度しつこくお願いした。


 死確者は諦めたようにため息をつくと、振り向きすぐ後ろにいた店員に「すいません」と声をかけた。


 はい、と返事をした店員はこちらへやってきた。品を届けた後だからか、脇にトレーを立てて持っていた。死確者は手で示しながら「この方にお水お願いします」と言った。


「えっ?」


 店員の眉が上がる。聞き取れなかったのかと思ったようで、死確者は「この人にお水を」と繰り返した。


「この人、というのは?」


「そりゃ当然、私の目の前にいる男性ですよ」


 言葉を失う店員。そうだろう。店員は体の前でトレーを身体と平行になるよう持ち直した。言いづらそうだ。


「申し訳ございません。失礼ですが、このテーブルにはお客様、なの、ですが……」


「えっ?」


 そう。私の姿は人間に見ることはできないのだ、担当する死確者以外は。


「だってここにっ!」


 死確者は抵抗するが、すぐに言い淀む。不審がる店員の表情を見たからだ。

 しかし、それだけではない。何かを察した死確者は続けて、辺りを見回す。周りに座っている人々も不審そうにこちらを見ている隣のテーブルの女性2人も、先程と同じく怪訝な表情を浮かべている。今の死確者は、たった1人で自由に会話しているようにしか見えないのだから、当然なのだ。


「……もういいです」


 店員は少しして「失礼します」とそそくさと戻っていった。表情は「何この人?」という恐怖と疑問で一杯だった。


 死確者は湯気が見えにくくなったコーヒーを一口。必死に平然を装おうとしているが、隠しきれていない。何度も唇を口の中へ巻き込む動作からは驚きと動揺が手に取るように伝わる。二口、三口と連続して口に含む。おそらく気持ちを落ち着かせようとしているのだろう。


「これでどうですかね?」


 コーヒーをテーブルに置いた死確者。「分かった。信じる」


 死確者はテーブルに腕を置き、少し前かがみになって、また小声になっている。


「だとしたら、天使さんがこの私に何の用なの?」


 来た。本題だ。


「用件は1つ、未練を解消するためです」


「未練って……」死確者は苦い表情で弱い笑みを浮かべた。「まるで死ぬみたいな言い方ね」


「その通りです」頷き交じりに返した。


「……えっ?」


 いつもと同じ反応。人間というのは多様な性格であるが、根幹的な部分では皆よく似ている。


 よし、もう話してしまおう。時間が多くあるわけではないのだから。私は背を伸ばした。


「あなたは、亡くなるんです」

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